「神エクセル」が役所ではびこる理由:ものになるモノ、ならないモノ(73)(2/2 ページ)
「神エクセル」問題はなぜなくならないのか? 内閣官房・CIO補佐官に疑問をぶつけた。
不本意ながらExcelファイルを採用せざるを得ない理由とは?
この疑問を解決すべく、筆者はマイクロソフトを経て現在は内閣官房で補佐官を務める楠正憲氏に話を聞いた。情報インフラの技術的レビューや調達支援全般を担当している同氏だけに、今回の神エクセル問題についても何らかの意見や見識があるに違いない。
楠氏は開口一番、「以前、担当した自治体などからの情報を受け付けるシステムで、Excelファイルによる受付を認めざるを得なかったことがある」と顔を曇らせた。最初はバックエンドでのデータ処理の効率性を考慮し、Webフォームでの受付を提案したが、現場から下記の要望が返ってきたため、不本意ながらExcelファイルを採用せざるを得なかったという。
- システムの仕様変更なしで後から帳票フォーマットを変更したい
Web上の受付フォームにおいて、後々入力項目に変更が発生した場合、職員のスキルではその内容を変更することが難しい。そのため、自ずとベンダーなど、システムを構築した業者に依頼しなければならなくなる。しかし、Excelファイルであれば、多くの職員が扱い慣れているため、組織内で対応することができる。
- 帳票の入力を1人の担当者が最後まで受け持つとは限らない
Excelファイルであれば、書類作成中のファイルを別の担当者に「後はよろしくね」と受け渡しすることで、共同作業が簡単にできる。Webフォームでの作業となるとスキルの問題に加え、担当者の数だけログインIDを準備しなければならず、発行や管理など余計な業務が増える。
- ネットにつながらない環境でも作成できるようにしたい
まさに「Web系ソリューション殺し」の要件といったら言い過ぎだろうか。HTML5であればオフラインWebアプリケーションを作ることもできるが、「ここ数年でHTML5周りの環境が良くなっていることは理解しているが、こまごまとした要件に対応することはまだまだ難しい」(楠氏)という。
- 申請者の側で提出前のデータを手元に保存できるようにしたい
こちらもWeb系ソリューションにとっては厄介な要件だ。以前、Webフォームに入力した情報をファイル保存できるユーティリティを見たことがあるので、不可能ではないのだろうが、そのときは別途、ランタイムが必要だった。実現するとなると、何らかのトリッキーな対応が必要となりそうだ。また、そもそもフォームの入力途中でブラウザがトラブルに見舞われでもしようものなら、最悪の場合それまで入力していた情報が消えてしまうこともあり得る。Excelであれば、何かあっても自動的にバックアップを取ってくれるので安心というわけだ。
- 役所の情報システムのセキュリティ対策・インターネット分離
2015年の日本年金機構の情報漏えい事故を受け、総務省は各自治体に対して、「自治体情報システムの強靭化」を指導している(関連記事)。この強靭化の中で行政ネットワークとインターネットの分離を進めており、自治体などの担当者がWebフォームでの申請を行うのは、以前よりもハードルが高くなっている。また、業務端末に導入できるソフトがあらかじめ決められているケースが多く、後からExcel以外の帳票ソフトなどを導入することも難しい。
- 多くの人が使い慣れたExcelを利用する方がサポートコストが安価
結局は、これに尽きるのではないだろうか。Excelの操作や機能であれば、質問に答えてくれる人が身の回りに1人や2人はいるだろう。Webフォームや特別なソフトウェアを導入するとなると、担当者の教育やサポートのことも考慮する必要がある。
WordやExcelでも、柔軟性が高くデータの再利用が容易な仕組みを作ることは可能
とまあ、上記のような要望を受け入れなくてならず、「やむを得ず」(楠氏)Excelファイルによる入力フォームを導入したのだという。ただし「ファイルはバイナリのOfficeフォーマットではなく、Office Open XMLを使用し、マクロは使わず、ウイルススキャンをしっかり実施する、という条件を付けた」(楠氏)そうだ。
従来の独自のバイナリ形式のファイルではなく、Office Open XMLという標準規格にすることで、Officeが使えない環境でもファイルを扱うことができるだけでなく、ファイル内に格納された情報を再利用する際のハードルをぐんと下げることができる。
このような状況を説明した上で楠氏は「WordやExcelでも、柔軟性が高くデータの再利用が容易な仕組みを作ることは可能なのだが、罫線を多用するなど、印刷したときの見栄えを優先する文化や慣習が、日本の職場には色濃く残っている」と諦め顔で話す。
そういう経験をしている楠氏だからこそ、今回の河野議員の動きには期待を寄せているという。役所の現場が慣習や惰性で、これまでの仕事のやり方にしがみついている状況を政治力でグイグイと適正な方向へ導いていくことが行革なのだから。そうやって役所が範を垂れ結果を出すことで、データの再利用を意識した情報処理の仕組み、ひいてはクラウド、ビッグデータ時代に見合った働き方が社会全体に浸透することになる、というのは希望を持ち過ぎだろうか。いずれにしても、河野議員にはぜひがんばってもらいたいものだ。
神エクセルは、ホワイトカラーの生産性向上を阻んでいる?
最後に余談を1つ。今回の楠氏へのインタビューでは、罫線の起源(?)にも話が及んだ。以下は、楠氏が記憶をたどりながら筆者に語ってくれたことであり、その内容に関して裏取りをしたわけではないので、その前提でお読みいただきたい。逆に罫線の成り立ちに詳しい読者の方がいたら、ぜひ、筆者宛てにツイートなどしていただければ幸いだ。
まずもともと、欧米に罫線文化はなかった。Excelの前身だった「Microsoft Multiplan」(Apple II向けの表計算ソフトとして登場し、その後MS-DOSなどに移植)の日本語版に罫線機能が導入されている。罫線機能は日本メーカーからの強い要望だったという。
1986年に登場した「Lotus 1-2-3 リリース2J」も当初から罫線による作表をサポートした。しかしながら当時は1つのセルに長い文章を押し込むことはできず、帳票を作成する際は表計算ソフトではなく「OASYS」をはじめとしたワープロ専用機や、ジャストシステムの「一太郎」などのワープロソフトを使うことが一般的だった。
その後1993年にWindows 3.1日本語版とMicrosoft Officeが登場し、PCメーカーがプレインストールモデルを設定したことから、現在のようにPCを買って電源を入れると最初からWindowsが立ち上がり、Word、Excelを利用できる形態が定着した。また、同時期にPCの価格が下落し、ワープロ専用機の利用者の取り込みも進んだ。
こうしてMicrosoft Officeの利用者が増えた結果、WordよりもExcelの罫線機能の自由度が高かったことから現在の「神エクセル」につながる使われ方が増えたと考えられる。さらに同機能は90年代後半に各国のソフトを共通化する過程で各国語版にも広がり、現在では海外の文書でも罫線が使われるようになったという。
Excelと罫線という部分では筆者にも思い出がある。1989年からMacintoshを使っている筆者だが、当時は見積書を作成するのに「EGWord」(懐かしい! Mac用のワープロソフト)を使い、手計算した数字を入力し、スペースバーと改行を連打して、体裁を整えてからプリントアウトしていた。
そのようなときに、当時のMac系の雑誌(誌名は失念してしまったが……)にExcelのセルと罫線を利用して「WYSIWYG」(ウィジウィグ)な見積書を作る方法が掲載されていた。「表計算ソフトをワープロ代わりに使い、計算も行ってくれるなんて、すごい!」と感嘆した覚えがある。
今から思うと稚拙な話だが、当時は、手書きの書類をPCでデジタルに文書化することが、オフィスワークの効率化だった。今回の神エクセル問題を見ていると、今もその流れが連綿と続き、ホワイトカラーの働き方が大きく進歩していないことを思い知らされる。とはいえ、「PC=清書マシン」のままでは、オフィスワーカーの生産性向上は見込めない。今回の論争がきっかけで山が動き始めることを期待したい。
著者紹介
山崎潤一郎
長く音楽制作業を営む傍ら、インターネットが一般に普及し始めた90年代前半から現在に至るまで、IT分野のライターとして数々の媒体に執筆を続けている。取材、自己体験、幅広い人脈などを通じて得たディープな情報を基にした記事には定評がある。著書多数。ヴィンテージ鍵盤楽器アプリ「Super Manetron」「Pocket Organ C3B3」「Combo Organ Model V」「Alina String Ensemble」の開発者であると同時に演奏者でもあり、楽器アプリ奏者としてテレビ出演の経験もある。音楽趣味はプログレ。
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