第211回 ARM版Windows 10に透けるMicrosoftの事情:頭脳放談
1年ほど前、ARM版のフルセットWindows 10について書いた。やっと搭載したノートPCが発売されそうだ。なぜ、今、Microsoftはx86ではなく、ARM版のWindows 10をリリースしなければならないのか。
今回もあえて書かせてもらおう、昔を知らぬ若者が「フルセットのWindows OSがx86以外のプロセッサ上で動いていると喜んでいる」と。1年近く前に「第200回 ARM上でx86アプリが実行できるWindows 10の速さの秘密」で一度取り上げさせてもらっているし、「第205回 Intelと互換プロセッサとの戦いの歴史を振り返る」の知財ネタでも、もう一度取り上げているので、お分かりのことと思う。QualcommのSnapdragon(プロセッサはARM系)上で動くWindows 10がいよいよ登場する(Qualcommのプレスリリース「Qualcomm Launches Technology Innovation with Advancements in the Always Connected PC and its Next-Generation Qualcomm Snapdragon Mobile Platform」)。発表以来、約1年を経て、なんとか「公約」を(だいたい)守った形である。
以前からARM上で動作する“Windows”という名を冠したOSはあった。けれども、どれも慣れ親しんだPC上のWindowsとは明らかに「少し」異なるOSで、成功したとは言い難い存在であった。
若者よ、RISC上で動くWindows OSは昔からあるんだよ
それに対し、今回は完全に「Windows 10」そのものであり、「そのもの」ということが最大のポイントである。「やっとx86以外のプロセッサで、フルセットのWindows OSが動くようになった」と思っている若者が結構多いようだ。
しかし、年寄りは知っている。現在のWindows 10に至るOSの源流は、Windows NTと言われたOSである。NTは、公式見解として「New Technology」の頭文字ということになっているはずだが、実は「N10」の略であるという話がある。「N10」とは、Intelの浮動小数点性能が強力なスーパスカラーRISC「i860プロセッサ」の開発コード名であって、Windows NTはi860向けのOSとして計画が始まったらしい。
x86が性能でRISCに押しまくられて旗色が悪かった4分の1世紀前の話だ。結局、プロセッサとしてのi860は成功しなかったが、登場したWindows NT自体は、x86以外の複数のRISCプロセッサ(DEC Alpha、IBM PowerPC、MIPS R4000)を最初からサポートしていた。
ただし、アーキテクチャ別にコードは全く別物だった。もちろん、RISCプロセッサ向けOSの仕様も「フルセット」だ。どちらかといえばx86搭載のPCよりRISCマシンの方が「上」の意識だった。実際、MIPSプロセッサを使ったWindows NTワークステーションなどが出荷された。正直に言えば筆者は、日本でMIPSコアのWindows NT機向けチップセットを売っていた(正確に言えば、売ろうとしたが結局売れなかった)経験があるくらいだ。
もともと、今のWindowsの源流は多プロセッサアーキテクチャ対応であったわけだ(MS-DOSを源流にした系統のWindows OSとは異なる。その系統は21世紀初頭に絶滅している)。しかし、x86がRISCを押し返すとともに、他のプロセッサ対応版は、一度消滅の憂き目にあった。今回のARM版というのは、その復活、といえるかもしれない。
4分の1世紀前と今の似ているMicrosoftの事情
なぜ、そんな昔話を蒸し返したかというと、Microsoftの胸中を勝手に推し量るに、そのころも今も、実は環境は似ているのではないか、と思えるからだ。そのころも今も、Microsoftの大黒柱は「Windows」という名のOSで、変わりがない。そして、x86の上での市場占有率が非常に高いのも変わらない。
4分の1世紀前は、x86が台頭するRISCにPC市場で負けるのではないか、という危惧が大いに持たれていた。そして現在は、というと世界の半分以上はARMが握っており、x86は端末側からサーバ機などの上位機に向かって追い上げられている状況だ。
Microsoftにしたら、「x86と一蓮托生(いちれんたくしょう)で沈みたくない」という思いで、同じじゃないか。Intelは、まだサーバ機でおいしい商売ができるが、Microsoftは、一般消費者向けのOSやアプリの比重が大きいはずだ。
ARM世界で何としても、Microsoftのプレゼンスを拡大しなければ、x86の端末とともに沈む恐れが大きいのである。相当危機感を持っているのではないだろうか。
それ故に、ARM搭載の一般消費者向けデバイスで、Windows OSのシェアを拡大したいと常々思い続けてきたのだろう。しかし、「モバイル向け」の味付けの「Windowsもどき」では消費者の理解を得られなかった。ということでの「フルセットのWindows 10」投入だ。
ただし、ここで必須となったのが既存のWindows 10のプログラムの利用であり、それを支えるARMによるx86のエミュレーション機能となる。一般消費者が大量に持っているはずの既存のx86コードを移設できなければ、結局「Windowsもどき」と見なされて失敗に終わるだろうからだ。今後は、ARM用のコードとx86用のコードを両方配るようにすれば、効率のよいARMネイティブ利用を進めることはできるが、当面は「今あるもの」を動かさないと、そっぽを向かれる。
Intelとの特許問題は解決したのかな?
x86エミュレーション機能に対しては、以前取り上げた通り、Intelが法的措置をチラつかせた。これに対してQualcommもMicrosoftも腰砕けにならず、この企画に乗った製品としてASUSの「NovaGo」、HPの「HP ENVY x2」を出してきた。
ARM版Windows 10を搭載するASUSのモバイルPC「NovaGo」
プロセッサに「Qualcomm Snapdragon 835」を搭載するモバイルPC。22時間のバッテリー駆動、30日間のスタンバイが可能だという(写真:ASUSのプレスリリースより)。
これを見れば、常識的に言って、その後話を付けたのか、合意のめどがある程度ついている、と見るべきじゃないだろうか。万が一、まだ裏での話し合いが付いておらず、現物のPCが流通し出してから訴訟となり、取りあえず出荷差し止めにでもなると、ASUSやHP、Qualcomm側のダメージが大きくなるからだ。当然、回避する手だてがあるもの、と考えたい。もしかすると、ひっそりと合意の発表をしていないだろうか? これからか? まぁ、すでに何らかの契約が締結されていたとしても、その詳細が明らかになることはないだろう。
それに、今後の推移からビックリするような話が飛び出して来るかもしれない。ただ、出荷日程などに関する歯切れの悪さを見ていると、まだ詰め切れていない部分があるのかもしれない。話し合っている途中でも、訴訟に打って出るというのは米国ではよくある話であるし、過去のIntelにはその前歴もある。まぁ、訴訟になればなったで、争点が衆目にさらされることになるから、両側の考えがよく分かるのではあるが……。しかし、そうなるとMicrosoftのもくろみは出だしから大きくつまずくことになるはずだ。
それにしても、ARMコアだけれども「普通と変わらぬWindows 10」では肝心の一般消費者に対する訴求力に乏しいものと言わざるを得ない。そこでQualcommとMicrosoftは、常時モバイル通信、通信の高速さ、起動の速さ、バッテリーの持ちといった点を訴求点としたようだ。
本件に関するMicrosoftのブログなど読んでいると、ARMコアだのエミュレーションだのといった内輪の事情には触れず、常にネットにつながっていて、ボタンを押せばすぐに使え、バッテリー切れを気にせずに使えるWindows 10という部分を前面に押している。消費者からすれば中身などどうでもよいのだから、しごくまともな訴求点である。
通信もバッテリーの持ちも、いずれもQualcommお得意の分野といってよいし、スマートフォンやタブレット系のデバイスがx86のノート系と比べて優位に見える部分である。客層としては、MicrosoftのSurfaceをお使いの層などまさにピッタリだろう。
当然、Surfaceの次期モデルでのARMコア機の投入は予想されていて、かつQualcommもそれに合わせて新SoC「Snapdragon 845」を投入、というシナリオである(ITmedia Mobile「『Snapdragon 845』で何が変わる? “順当進化”の中身を解説する)」。出来さえよければ受けるに違いない。Microsoftのもくろみ通りにうまくいくのか、いかないのか、まずは早々に出て来るはずの先発製品を期待して見てみたい。ARM版のWindows 10の事ばかり書いてしまったが、Snapdragonのチップの方もなかなか面白いチップである。機会があればどこかで取り上げたい。
筆者紹介
Massa POP Izumida
日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。
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