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さよなら、シリコンバレービザや永住権はどうなるの?(4/4 ページ)

シリコンバレーで20年近くにわたりITエンジニアとして働いてきた「エル氏」が伝授する、シリコンバレーでエンジニアとして働く方法。今回は、日本への帰国を決めたエル氏の「出口戦略」です。

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まさに浦島太郎状態

 20年ぶりに帰国したら、昔行きつけだったカレー屋は超高層オフィスになり、どこがどこだったか分からないほど街が変わっていました。まさに浦島太郎です。

 テレビも白物家電も操作が全く分かりません。米国の家電は案外単純な機能のものが多いので、前面に液晶画面が付いている洗濯機や冷蔵庫はなかなかありません。日本の家電はいつのまにか米国よりはるかに進化していました。

 私が日本を発ったころはガラケー全盛時代で、スマホなんて便利なものはなく、インターネットで商品を買ったり、電車の乗り換えを調べたり、新幹線や飛行機の予約をしたりするなんて、今ほど便利にはできませんでした。

 SuicaやPASMOなどのICカードの進化にも驚きました。シリコンバレーにはClipper Cardと呼ばれるICカードシステムがあるにはありますが、せいぜい電車とバスに乗れるくらいです。自動販売機で缶ジュースが買えたり(そもそも自動販売機すらなかなかない)、コンビニでピピっと支払いができたりするなんてことは、まだまだ一般的ではありません。

 米国ではUberアプリで車が呼べるので飲み会の帰りがだいぶ楽になりました。しかしそれよりも、東京の電車、地下鉄、タクシー、そしてそれらを連携するありとあらゆるシステムの方がはるかに便利です。

 今の日本は、シリコンバレーを追い抜いてしまっているといえるほど便利になりました。それもこれも日本のITエンジニアの日々たゆまぬ改善、改良の成果です。

 エンジニアの働き方もIT化が進み、昔のような「書類にハンコ」などがずいぶん減ってびっくりしました。その一方で、ガード下に煮込みのうまい飲み屋がまだあったり、そこで外国人観光客が宴会していたり、東京という街には懐の深さを感じます。

 さぁ、この連載も締めくくるときがきました。最後まで読んでいただきありがとうございました。シリコンバレーの良いところ、そしてイマイチなところもたくさんお届けしました。

 日本は確かに何でも便利で、飯がうまくて、居心地は最高です。それでも私はITエンジニアとして一番脂がのった時期を最先端のシリコンバレーで過ごせたことに後悔は全くありません。学んだこと、楽しかったこと、苦しかったこと、全てが日本で働いていては絶対に得られない貴重な経験でした。

 ニッポンの未来を担うITエンジニアの皆さん、何歳でも決断に遅過ぎるなんてことはありません。いつまでも「猫はいいよなー」なんて嘆いてないで、いちど猫になってみませんか? そうすればまた人間の生き方の良いところも悪いところも、よーく分かるはずですよ。最後にもう一度。

 人生は誰でも一回きりです!


多くのIT企業が並ぶシリコンバレーの中心地をダラダラと結ぶローカルな州道82号、通称「エル・カミノ・リアル」の標識。元メキシコ領であったカリフォルニアにはスペイン語の地名が多い。ちなみにエルは定冠詞、カミノは道、リアルは王、直訳すると「ザ・王の道」(笑)。名前とは裏腹に両脇には世界各国のB級グルメや庶民的なスーパーマーケットが並ぶ、まさに青梅街道

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