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インドのエンジニアは、チャレンジがない仕事を我慢できないGo AbekawaのGo Global!〜Kumar Karvepaku編(前)(2/2 ページ)

CACHATTO INDIAの社長を務めるKumar Karvepaku(クマール・カルベパク)氏。読書とクリケットが好きなインドの少年は「いつか故郷に自分の会社を」という夢をかなえるため貪欲に勉強し、アジア、米国、日本を飛び回った。そんなカルベパク氏に訪れた出会いとは。

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金属加工関連の工場、Exim Software Technology、そしてe-Janネットワークス

カルベパク氏 私は「勉強には、一生終わりはない」と思っておりますし、常に最新の技術を知っていたいと思うタイプなので、ひたすら勉強しました。そのため、当初はプログラマーとして入社しましたが、プロジェクトリーダー、ソフトウェアアーキテクトと順調に昇進できました。

阿部川 素晴らしいですね。望んでいた「チャレンジのある仕事」ができたのだと推測しますが、Exim Software Technologyで一番楽しかったことは何でしたか。

カルベパク氏 事業全体の戦略や実行を全てマネジメントできたことが一番ですね。それと顧客とフェースツーフェースで話ができたことです。実はどの職種においても、ユーザーと直接会話し、製品やサービスに対する生の声を聞くことは簡単ではありません。5年10年と仕事を続けていても顧客の顔を見たことがないということもあるでしょう。Exim Software Technologyでは、多くの顧客と直接やりとりができました。とても楽しく有益でしたし、私のキャリア構築においても重要なことだったのだと思います。

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現在のカルベパク氏

阿部川 IT系のスタートアップはエンジニアが中心となって設立されるので、テクノロジーには詳しくとも「誰が顧客なのか、誰がそれを買って、使ってくれるのか」にあまり踏み込まない企業が多い印象です。カルベパクさんはキャリアの最初から顧客の声を聞くことができた。これはエンジニアとしては非常に素晴らしい経験、財産になったのではないですか。

カルベパク氏 そうですね。当時のExim Software Technologyの製品は米国で作られていて、インドには少し遅れて入ってきていました。当然、幾つかの機能は古くて使えなかったり、細かい部分がアップデートされていたり、といったことがありました。私はそれを直すために顧客の元にトラブルシューティングに行っていました。ハイデラバード、チェンナイ、バンガロールとインドの南部の主要な都市で仕事を経験しました。

阿部川 Exim Software Technologyを退社された後、米国に行きます。新天地として米国を選んだのはなぜでしょうか。

カルベパク氏 IT企業、それもインドの主要都市で7年間働いて、手応えを感じていたので、自分のキャリアを次のステージに高めようと考えました。既に渡米していたインドの友人たちに触発されたことも理由の一つです。ただ、永住するつもりはありませんでした。

 「米国で得た新たな経験や知己を使ってインドに自分の会社を興すこと」それが私の考えていた道でした。米国からインドに戻る前に日本に立ち寄ったのですが、そこで参加したパーティーで史郎さん(現e-Janネットワークス社長 坂本史郎氏)に出会ったんです。

阿部川 何のパーティーだったのですか。

カルベパク氏 何だったかなあ〜(笑)。確か、e-Janネットワークスのプロジェクトのお祝いだったと思います。日本のエンジニアの知り合いがパーティーに誘ってくれて、そこで史郎さんを紹介してくれたのです。会場でずっと史郎さんと話していたのを覚えています。

 そこでいろいろなことを話したのですが、共感できることがとても多かった。典型的なビジネスマンが普通にお金もうけの話をするのとは対照的に、史郎さんは「製品を通じて社会に貢献する」と言っていました。私も「インドのために何か貢献したい」という同じビジョンを持っていました。話しているうちに「インドに今戻るよりもこの会社で働いた方がいいのではないか」と考えるようになりました。それでe-Janネットワークスで働くことになったのです。

「会社を興すなら、e-Janネットワークスのインド支社を作ってくれないか」

阿部川 なるほど、それでe-Janネットワークスに入社されたのですね。

カルベパク氏 正式に入社したのは2005年の8月です。実は、その少し前に史郎さんとご友人の2人は私の結婚式に参列するために、わざわざティルパティまで来てくれたのです。もちろん私の人生の中で忘れられない大切な思い出です。

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結婚式の様子(出展:オルタナティブ・ブログ「坂本史郎の【朝メール】より」)

阿部川 e-Janネットワークスのご入社と結婚式が同じ月にあったのですね。であればどちらも決して忘れることはないですね(笑)。

カルベパク氏 はい(笑)。お二人ともインドの結婚式は映画などで見たことしかなかったらしく、招待させていただきました。最先端の4Kビデオカメラで結婚式を撮影してもらいました。自分でいうのも何ですが、カラフルで美しい光景だと思います。

阿部川 良かったですね。日本で働くことに迷いはありませんでしたか。

カルベパク氏 ありません。私が日本で働くことを決めたのは「ここで働けば、きっと私のキャリアは高まる」と考えたからです。日本人はもともと人を助ける気質が強く、心の優しい人が多い。チームワークもありますし、ハードワーカーも多いですね。それら全てが日本の素晴らしいところだと思いますし、私はそれが大好きです。

阿部川 そのように言っていただくと照れますが、とてもうれしく思います。ありがとうございます。現在はインドにいらっしゃいますが、日本にいる間はどのような仕事をされていたのですか。

カルベパク氏 最初は顧客が使っている製品をe-Janネットワークスに移行させる支援をしていました。その後、製品全体の設計と開発も担当しました。当時は社員が6、7人しかおらず、エンジニアは1人で何でもやらなければなりませんでしたから、私も製品に関わるさまざまな業務を経験しました。

阿部川 通算するとどれくらい日本ではお仕事をなさったのですか。

カルベパク氏 7年くらいですね。最初は家族全員で日本に住んでいましたが、子どもたちの教育を考え、家内と子どもたちはインドに帰しました。2年ほど仕事を続けた後、「自分の会社をインドで設立したい」と史郎さんに相談したところ、「それはそれで素晴らしいことだが、もし可能ならe-Janネットワークスの支社をインドに作ってくれないか」と言われました。



 クリケットと読書が好きな少年は、叔父の薦めでエンジニアの道を目指した。「インドに貢献したい」という思いを胸に、エンジニアとして実績を重ねるカルベパク氏の前に現れたのは、ビジョンを共有できる日本の友だった。後編は、現在の仕事の様子やコロナ禍で変わる「これまでの当たり前」について伺う。

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