あの子が「できる」といったから、僕は“モノづくり”に目覚めた:Go AbekawaのGo Global!〜Adrian Zulnedi編(前)(1/2 ページ)
グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はプラゴのAdrian Zulnedi(アドリアン・ズルネディ)氏にお話を伺う。インドネシアで30人もの親戚に囲まれて育ったズルネディ氏。同氏が小学校のときに経験した「一生モノの出会い」とは。
世界で活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回ご登場いただくのはプラゴのAdrian Zulnedi(アドリアン・ズルネディ)氏。インドネシア生まれ、東京育ちのズルネディ氏が“モノづくり”にはまったきっかけとは。聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
親戚30人に囲まれ、すくすく育つ
阿部川“Go”久広(以降、阿部川) 出身はどちらですか。
ズルネディ氏 インドネシアのジャカルタです。もう日本で過ごした時間の方が長くなりましたけれど。
阿部川 だから、日本語がスラスラなのですね。インドネシアで過ごしていたころのことは覚えていますか。
ズルネディ氏 もちろんです。どちらかといえば内向的な子どもでしたので、1人で遊ぶことが多かったですね。よくボールを蹴って遊んでいました。他には絵を描いたり本を読んだり……。いとこが近くに住んでいたので追いかけっこなどもしていました。いとこは30〜40人くらいいるものですから。
阿部川 30〜40人! インドネシアでは普通のことですか。
ズルネディ氏 そうですね、特に珍しいということはありません。
阿部川 それは遊ぶ相手には困りませんね(笑)。日本に来たのは2007年ですね。
ズルネディ氏 はい。父はITエンジニアで日本に単身赴任していました。そこに合流したという感じです。小学校も東京の学校に入学しました。
阿部川 今は日本語が大変達者ですが、当時はもちろん日本語が話せなかったのですよね。
ズルネディ氏 最初のころは相手が何を言っているのかさっぱり分かりませんでした(笑)。自己紹介では自分の名前をアルファベットで読み上げるだけで精いっぱいで。後はジェスチャーで補足していました。
「潜水艦作ろうぜ!」でモノづくりに開眼
阿部川 苦労されましたね。先ほど内向的とおっしゃっていましたが、小学校のころはどんなことをして遊びましたか。
ズルネディ氏 印象的なのは、友達と一緒に「モノづくり」をしたことですね。その友達は突然「本物の潜水艦を作ろう」と言い出すような子で、その子と一緒にいろいろ作りました。潜水艦を作ろうと言われたときは、近所からペットボトル100本ぐらい集めて夢中で取り組みました。3日くらいで落ち着きましたが(笑)。でも、その経験からモノづくりそのものに興味が出てきました。
阿部川 その3日間は、熱に浮かされたような情熱的な日々だったことでしょう。何が一番楽しかったのでしょうか。
ズルネディ氏 「可能性を感じられたこと」だと思います。できるかどうか分からない状態で「できる」と言っている人がいる。じゃあできるかもしれないからやってみようと思ったんです。実際に手を動かし始めると「本当にできるのかなぁ」という不安な気持ちと「でも、できたらすごく楽しいぞ」というワクワクした気持ちが湧いてきて。それで、すっかりモノづくりにはまってしまいました。
秘密基地を作ろうとして、公園の砂場をひたすら掘っていたこともあります。結構深く掘ったんですが、途中で苦手な虫が出てきて慌てて逃げたことを覚えています(笑)。小学6年生のころには電気自動車のようなものも作ったんですよ。丸い木材とモーターをつなぎ、スイッチを切り替えることで前後に進む仕掛けにしました。全長は1.2メートルくらいで、運転席はぎりぎり1人乗れるかどうかという大きさでした。ただ、乗った瞬間に運転席の底が抜けてしまいました(笑)。
阿部川 「バキッ」という感じでしょうか、目に浮かびます(笑)。走ることはできなかったのかもしれませんが、素晴らしい経験でしたね。
電気自動車の話をとても楽しそうにお話しされていて、まるでいたずらっ子の打ち明け話を聞いているようでした。誰しも「一生を変える出会い」はあるといいますが、ズルネディ氏にとってこの同級生との出会いがまさにそうだったのでしょう。「できないかもしれないけどできたらすごく楽しい」ってモノづくりに携わる人としては最強のキーワードだと思います。
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