恐竜かプログラミングか、それが問題だ:Go AbekawaのGo Global!〜Carlos Planter編(前)(2/3 ページ)
グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はmedibaのCarlos Planter(カルロス・プランテル)氏にお話を伺う。小さなころから日本のアニメやゲームに親しんでいたプランテル氏が「Web開発者の道」を意識し始めたのは1冊の雑誌がきっかけだった。
Web開発者の始まりは「任天堂」
阿部川 プログラミングの授業で初めてPCを触ったのでしょうか。
プランテル氏 そうですね、どこかで「Windows 3.1」を触ったことはありましたが本格的に使い出したのはそのころです。中学2年生のころ授業で週1回プログラミングするようになったら、父が自宅にPCを買ってきてくれた記憶があります。
阿部川 どういうPCだったか覚えていますか。名前とか性能とか。
プランテル氏 メーカーはたぶんHP(Hewlett-Packard)で、メモリは30MBくらい。CPUは「Intel Pentium」だったんじゃないかな……。
阿部川 授業では「QuickBASIC」を学んでいたそうですね。でも、家ではやっぱりゲームが主な用途だったんじゃないですか(笑)。
プランテル氏 ゲームはしてましたね(笑)。もちろんプログラミングも楽しみましたよ。自分で小さいプログラムを作りましたし、「C」と「アセンブラ」を勉強しました。中学2年のころはアニメに興味津々だったのでインターネットから画像を落として、その画像の名前を変える――「ドラゴンボール1」「ドラゴンボール2」みたいにしていました。手作業で名付けするのが面倒くさかったので、プログラムで変えられるようにしたんですよ。
後はプログラミング関連の雑誌をよく読んでいました。コンピュータウイルスの攻撃手法が載っていたので「メモリオーバーフローはどうすれば起こせるのか」といった実験を自分のPCでやっていました。
阿部川 セキュリティの検証をしていたということですよね、すごいです。将来PCを扱う仕事をしようと思っていたんでしょうか。
プランテル氏 どうでしょう……、どちらかといえば「自分の腕試し」が目的でしたし。Web開発を意識するようになったのは高校2年生くらいのときですね。私はゲームが好きで「Club Nintendo」という任天堂のゲーム情報を扱う雑誌を読んでいました。その雑誌に「htmlコース」という教育コンテンツがあって、なぜか私はそれを見て勉強を始めちゃったんです。そこから実際にWeb開発をしていました。周りから「ちょっとWebページ作ってください」と言われることもあって。それが(Web開発者の)始まりだと思います。
PCに触れる動機は幾つかありますが、最初はやはりゲームだろうと思います。ただその次のステップは人によってまちまちで、プランテル氏はアニメの画像収集に移り、その後プログラムを使った画像整理へと進みます。私見ですがエンジニアに最も必要なのは「面倒な作業をいかに楽にするか」という考え方だと思います。そういう意味で、プランテル氏はこのころからエンジニアの素質があったのだと思いました。
阿部川 それは仕事として、お金をもらってやっていたのですか?
プランテル氏 いや、仕事としてではないです。自分で「これを作るからお金をください」ではなくて、「ちょっと作ってくれない?」と頼まれたときにやってあげるといった感じでした。500円とか1000円とかお金をもらうときもありましたが、基本的には楽しんでやっていただけです。
阿部川 金額にかかわらず、対価を得られる仕事をしていたことは素晴らしいと思います。
プランテル氏 はい、お金が目的ではなかったのですが報酬として仕事が認められるのはうれしかったです。
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