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第268回 ArmがQualcommをライセンス契約違反で訴えたのはなぜか?頭脳放談

Armがライセンス契約違反と商標権侵害でQualcommを提訴した。プレスリリースだけでは、詳細をうかがい知ることはできないが、筆者の過去の経験などから妄想たくましく、この提訴の行く末を考えてみた。

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ArmのQualcomm提訴に関するリリース
ArmのQualcomm提訴に関するリリース
Armが、ライセンス契約違反と商標権侵害でQualcommを提訴したというプレスリリース。これだけでは、詳細は分からないが、その背景と行く末を筆者が妄想たくましく解説したいと思う。

 2022年8月末に、ArmがSnapdragonなどのArmコア搭載SoCで知られる大手半導体ベンダー「Qualcomm」とその子会社を相手取り訴訟を起こした(Armのプレスリリース「Arm、ライセンス契約違反および商標権侵害に関してQualcomm社とNuvia社を提訴」)。この訴訟は、2021年にQualcommが買収した「Nuvia Inc.」という新興のプロセッサ設計会社の設計を自社製品に組み込もうとするQualcommと、その設計を「捨てろ」と迫るArmの争いである。付随してArmの商標権侵害に関しても訴えている。

Qualcommに買収されたNuviaとは

 Qualcommといえば、スマートフォン(スマホ)業界では知らぬ人のいない大手ベンダーであり、ArmコアのSoC製品を大量に販売してきている。IP(知的財産)会社のArmとは長年の間、共闘関係にあり、密接なコミュニケーションがあったはずだ。Armが訴訟という手段に出たのは少々驚きであった。しかし、訴訟にしないとならないような断絶が両者間にできたということでもある。

 なおArmのプレスリリースを読む限り、Armが求めているのは、「Nuviaの特定の設計の破棄、商標権侵害の差し止めと賠償」なので、Armコアを搭載した既存のSnapdragonなどには影響がないと思われる。

 訴訟を理解するために、まずはQualcommが買収したNuviaについて調べてみたい。現在、NuviaのURLへアクセスしても、既にQualcommのサイトにリダイレクトされている(「Nuvia」で検索すると土木系の会社がヒットするが、ここは関係ないと思う)。

 しかし、訴訟自体は、Nuviaも対象となっているので、法人格はまだ残っているものと思われる。Nuviaは2019年にシリコンバレーのサンタクララ市に設立された極めて新しい会社だ。

 資金調達の履歴をみると2019年11月には5300万ドル、2020年9月には2億4000万ドルを調達している。設立後わずかな間に直近の円ドルレート換算で400億円以上という巨額の資金調達ができたのは、創設者の3人が「スター」だったことが一因だろう。彼らはAppleでプロセッサを開発したり、GoogleでSoCを開発したりしてきた有名人だ。

 そして、Nuviaが設立当初にターゲットにしてきたのは、データセンター向け、多分、HPC(スーパーコンピュータ)もターゲットに入るようなプロセッサだ。そしてそのプロセッサはどうも「巨人Armの肩の上」に乗って先を見据えるものだったらしい。

 そして、2021年1月にはQualcommが巨額の資金、14億ドルを投じて買収することを発表している(Qualcommのプレスリリース「Qualcomm to Acquire NUVIA」)。設立からたかだか2年ほどで、直近レートで2000億円の値が付いたのだ。サクセスストーリーを挙げるのに枚挙にいとまがないシリコンバレーにおいても、大成功といえるだろう。そして大スターの3人はQualcommに入社するという発表である。

ArmがQualcommを訴えた理由

 それが2022年8月末になって、Armに訴えられることになった。Nuviaが開発していたIPがArmにとって好ましくないものであった可能性が高い。Nuviaが巨額の資金調達時に会社の方針として宣伝していたことを踏まえれば、ArmのNeoverseに相当するようなIPであるらしい。「V」「N」「E」の3シリーズあるArm Neoverseは、データセンター、5Gネットワークのエッジから末端のIoTデバイスに至るArm期待のマルチコアシリーズである(Neoverseについては、「Arm Neoverse」参照のこと)。まさにArmのこれからを背負わせるはずの次世代の屋台骨候補だ。

 この訴訟に至る前にはかなりの期間にわたってQualcommとArm間で話し合いがあったらしい。Qualcommは、長年Armとの間で広範で強力なライセンス契約を「結んでいる」と思われる。契約内容が公開されることはないだろうが、Armのライセンシーは世界中に数あれど、Apple、Nvidia、SamsungそしてQualcommなどは別格ではないかと思う。

 一方、Nuviaは新興企業で、設立当初からArmと契約があったとは思えない。しかしその巨額の資金調達をテコにしたのか、何らかのライセンスを手に入れて「Armの肩の上」(Arm:腕の肩というのはちょっと変だが……)に乗ったものらしい。

 Armのリリースを読む限り、1)ArmとNuvia間でライセンス契約はかつて存在、2)Qualcommがその契約をNuviaから自社に移管しようとした。3)Armはそのライセンスを2022年3月で終了という経緯のようだ。終了したライセンスの下で開発継続したのは契約違反、というロジックである。

筆者が訴訟の行く末を妄想してみた

 この手の訴訟の場合、契約の詳しい内容に触れられない第三者には判断がつかないことが多い。しかしライセンス契約に関わる紛争になったということで、ある程度「妄想」できる部分もある。

 「いかなるライセンス契約もなかった」場合を妄想してみよう。つまり誰かがArm/Neoverseみたいなものを勝手に作ってしまったというケースだ。当然、Armはこれを阻止しようとするだろう。

 自社で大枚はたいて作ったIPの商売に影響が出るからだ。そのとき使える武器は特許、著作権、商標、意匠登録などに限られる。ここでArmがふた昔ほど前に直面した事例を思い出してみる。

 会社名は忘れてしまったが、Armとバイナリ互換のCPUコアIPを作ってしまった会社があったのだ。実はそこの会社へ入るというエンジニアと話したことがある。こんなことを言ったと記憶している。「やめとけ、世界中のほとんどの半導体会社がArmと何らかの契約がある。その契約書を読み返したら、そんな互換CPUのIPを買う奴はいないぜ」と。

 当然、互換機設計そのものは誰でもできる。そして特許などの回避策を考えることもできる。自社で特許を取得することもできる。そして特許で相打ちに持ち込むことができるかもしれない。相打ちになって苦しいのは既存ビジネスを持つ側だ。1カ月でも出荷差し止めなどとなったら大問題になるからだ。慌てて「手打ち」に持ち込まざるを得なくなる。後発の方は相打ちになれば万々歳、実入りはあるのだ。

 実際のビジネス(IP販売)を考えると、Armとのライセンス契約に差しさわりのある他社IPに手を出す会社がいるとは思えない。契約書には「やっていいこと」と「悪いこと」がキッチリ書いてあるものだからだ。だから、IP商売としては失敗する。そんな見立てだった。

 しかし、そこの会社は筆者などが考えるよりも上手だった。何と会社そのものをArmに売ることに成功したのだ。Armは買収後そこの設計を「捨てた」はずだ。Armは特許などを武器にダラダラと新興企業と紛争に入ることをせず、金持ちケンカせずで、買って捨てたのだ。

 この前例からすると、Armとしてはあまり特許などでやり合いたくない、という気持ちも想像できる。その点、ライセンス契約違反、というのはあくまで当事者間のみが知る契約条項の問題だ。問題はより局所化でき、リスクを抑えることができるはずだ。Armとしてはライセンス条項違反で「問題のIP」を闇に葬ることができれば目的を達することができたということになる。

 一方、Qualcomm/Nuvia側からすると、「Armとは無関係に開発したIPであってArmとの契約条項に含まれるものではない」と主張する方が有利だろう。それが通ってしまえば、Armとしては、問題のIPを止めるに特許侵害などで訴える方法に出るしかない。

 このようなニュースを見ると今昔の感がある。Armの支配力もタガが緩んできたものだ。かつては世界中の半導体とその関連メーカーに知的財産権の網をかけ、漏れなく強固で、そして柔軟で穴が空くとは見えなかったものだ。

 それが今回の紛争など、あからさまに負けてしまうと、せきを切ったように崩れてしまう気配さえ漂うようになってきた。さすがにそんなことにはなるまい。訴訟の行方次第では局所化できる「手打ち」場所を探るだろうからだ。その場合は第三者にはうやむやな結末になってしまうことになるが……。

 もちろんArmとしては、勝って、Nuviaが開発したIPを捨てさせるのが一番ではあるだろう。だいたいこういう話が出てくる遠因としては、Arm自体の開発力の低下なのか、企画力の衰えなのかがあるようにも思える。ライセンシーのニーズをとらえた高性能でコスト性能のよいIPをビシビシ出せていれば、こんな話にはならないだろうに。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。


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