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「ダイヤルアップ接続」で学んだタイムマネジメントGo AbekawaのGo Global!〜Rajesh Jayan(前)(1/2 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はミクステンドのRajesh Jayan(ラジェッシュ・ジャヤン)さんにお話を伺う。教育熱心な家庭で多くの期待と少しの厳しさとともに育った青年は、インターネットの世界に魅了されていく。

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 国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回は「調整さん」などのプロダクトを持つミクステンドのCTO(最高技術責任者)、Rajesh Jayan(ラジェッシュ・ジャヤン)さんにお話を伺った。幼いころから新しい技術に触れ、インターネットに興味を持っていた同氏が、大学進学とともに生まれ故郷を離れ、シンガポールに渡った理由とは。聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。

評価で“A”が取れないと心配された

阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) お生まれは1984年ですね。

Rajesh Jayan(ラジェッシュ・ジャヤン 以降、ラジさん) はい。アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビで15年ほど暮らしました。ちなみに国籍はインドです。

阿部川 小さいころはどんなお子さんでしたか。

ラジさん 人と関わっていることが好きだったので、どちらかというと社交的な子どもだったと思います。ただそれと同じくらい技術にも興味がありました。当時はもっぱら自動車や飛行機などに興味津々でした。

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小さいころのラジさん。笑顔がチャーミングですね

阿部川 なぜそれほど技術に興味があったのでしょう。お父さまがエンジニアだったとか?

ラジさん いいえ、父は会計士です。ただ父は当時としては珍しく、自宅のコンピュータで仕事をしていました。幼いときからそういった新しい技術に触れる機会があったのは(技術に興味を持つことに)影響したのかもしれません。

阿部川 最初のPCはお父さまのものだったのですね。やはり最初はゲームをしたいと思っていましたか。

ラジさん はい(笑)。もちろん父はゲームをやってほしくて、私にコンピュータを使わせたわけではないと思いますけれど。

阿部川 確かにそうですね(笑)。UAEの学校のシステムを教えていただけますか。

ラジさん 現在どうなっているかは分かりませんが、私のときは幼稚園が3年、小学校が6年、中学校が3年か4年で、高校が2年といった感じです。

阿部川 学校の教科が好きだったものは何ですか。やはり数学や化学などでしょうか。

ラジさん そうですね、数学、化学、物理学などの教科が好きでした。学校そのものが楽しかったですね。父は会計の仕事をする前は学校の先生をしていましたので、家族全体が教育に対して熱心でした。ただ、熱心な分だけ期待値も高くて、“A”ではない科目があると「一体、どうしたんだ」と問い詰められました(笑)。

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ちょっと成長したラジさん。中学生くらいかな?

阿部川 “A”を取って当たり前だと(笑)。教育が家庭の価値の中心を占めていたのですね。勉強に励む中で、将来何かやりたいことやなりたい職業などは考えていましたが。

ラジさん 宇宙飛行士、消防士など夢はたくさん持っていました。10代の終わりごろはGoogleやAmazon.comが出てきた、いわゆる「ドットコムの時代」でした。だからインターネットや技術を使った仕事をしたいと、漠然と考えていました。

 ただ当時は自宅からインターネットにつなぐことはできても、月額で100ドルぐらいかかり、ダイヤルアップ接続だったのでそこからさらにお金がかかりました。ですからインターネットにつなぐ前に、このWebサイトは10分、こちらは10分などと決めてから使い始めないと膨大な料金を請求されました。長く使えば使うほど、電話代金をたくさん払わないといけなかった。だからこそしっかり計画してから、使っていました。


編集中村
編集 中村

 私が学生のころはNTTの定額サービス「テレホーダイ」があったので「使えば使うほど」ではありませんでしたが、23時から寝るまでの限られた時間の中で、いかに効率的にWebサイトを巡るかが課題でした。懐かしい。


阿部川 Webサイトがたくさん登場し始めたころですね。

ラジさん はい。プログラミングを学び始めたのもこのころです。「Microsoft FrontPage」を使って独学でHTMLの基礎を学びました。

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