リサーチャー、サイエンティスト、英語教師……多才な米国のエンジニア、本職は「地下足袋職人」?:Go AbekawaのGo Global!〜Aaron Bramson(前)(2/4 ページ)
グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はGAテクノロジーズのAaron Bramson(アーロン・ブラムソン)さんにお話を伺う。サイエンティストとしての仕事の他に、愛する地下足袋の会社まで立ち上げてしまうバイタリティーあふれる同氏の幼少期は意外にも「普通の子」だったという。
さまざまな経験を積み、充実していた大学時代
アーロンさん 大学に入学してからはマウンテンバイクにのめり込みました。柔道クラブに入ったのがきっかけでカンフー、太極拳、テコンドーなどを習い始め、友人と一緒に稽古していました。週末はこれらの稽古を午前中にやって、午後はカフェで音楽を演奏する、といった生活をしていました。本当に楽しい大学時代でした。アルバイトもたくさんしました。学費は奨学金がありましたが、それ以外の生活費は工面しないといけませんでしたから。
もしあなたがコンピュータの販売会社を経営していたら、窓に企業のロゴを掲示しないといけませんよね。今だったらPCからプリントアウトしたものを窓に貼ればいいのですが、1990年代当時は人力でやらなければなりませんでした。私のアルバイトはまさにそれで、パッケージなどに付いている企業のロゴを見てそれを窓に書き写していました。色をうまく配合して、大きく描く。それでお金がもらえました。
他にもレストランのメニューを図柄や価格を入れて描いたり、中華料理屋の窓にドラゴンを描いたりもしました。特別な才能があったわけではありませんが、まあ少しはクリエイティブな面があったかもしれません。当時カリグラフィーにも興味があって、結婚式の招待状や何かの証明書の文字をきれいに描く、といったアルバイトもやっていました。
阿部川 カリグラフィーには、科学的には説明できない美しさやテクニックがありますね。そのようなアルバイトをいつぐらいやっていたのですか。
アーロンさん 練習という意味であれば、中学時代からやっていました。お金を稼げるプロフェッショナルレベルになるには、多くの訓練が必要ですからね。
思うに、当時の私のアルバイトはお金のあるニッチなマーケットの人に対する“オプション”のような位置付けだったと思います。時給でいえば30〜40ドルくらいにはなりましたから当時としては良い仕事だったと思います。音楽も同じで、2時間の演奏で200ドルぐらいもらえましたから割が良かったとは思います。せいぜい1週間に2回できればいい方でしたけど。
これらのアルバイトで、家賃や食費などは何とか自分でまかなえました。
阿部川 でもそれらの仕事を一生続けるとは考えてはいなかったのですね。
アーロンさん そうです。指示されたタスクだからできたのですが、才能はなかったと思います。例えば「こんな写真を撮ってくれ」と要望があれば撮れなくはないのですが、どうすれば素晴らしい写真が撮れるのかを追求したいという感じではありませんでした。
先のコメントでも触れましたが、本当にクレバーですよね、アーロンさん。「才能はないけど、興味はあるしやってみよう。長く続けるつもりはないけどニッチな分野だから仕事にもなるだろう」。なんだか好奇心と行動力、そして状況分析力が見事にかみ合っている感じがします。
阿部川 柔道やマーシャルアーツも嗜(たしな)んでらっしゃいますが、どういった点が魅力なんでしょうか。
アーロンさん 1人でも友達ともできるところです。マーシャルアーツもそうですし、サイクリングもそうですよね。もちろん1人でも楽しんだり鍛えたりはできますが、相手がいた方がより楽しめますし、トレーニングの効果も高いです。しかも「チーム」ほど多くの人数は必要ありません。2人いれば十分、それが魅力的ですね。
他には、用意するものが少ないところでしょうか。私は「面倒」(と、日本語で)なことが嫌いなんです。例えばスキューバダイビングだとたくさんの機材を毎回装着しないといけないし、いろいろとチェックしないといけない。だったらシュノーケリングの方がいい。もちろんスキューバに比べると深く、長く、潜ることはできませんが、それなりに楽しめます。フットボールもそうですよね。たくさんのプロテクターやヘルメットが必要です。ああ、剣道もそうですね。
その点、柔道は稽古着があればどこででもできます。ちょっとした時間に駐車場などでも友人同士でスパーリングできます。若いときは、そんなことをするのが楽しかった。
阿部川 思い立ったときにすぐできるのは確かにいいですね。さて、学校の話に戻りまして、専攻を教えていただけますか。
アーロンさん 実は専攻が3つあります。宗教と経済学と哲学です。
最初は宗教を専攻していました。ただ、師事していた先生が大学を辞められてコースがなくなってしまいました。それで専攻を変えて、経営学部で経済学を、教養学部で哲学を学びました。
経済学は、マーケティングやアカウンティングなどの実践的な知識を学びました。哲学については教養学部で学び、そのまま大学院に進学したいと考えていました。哲学という分野はトップの大学でないと社会には認知されないと思っていたので、とにかく1番の大学に行こうと決めていました。ですが、残念ながらどの大学院にも合格しませんでした。
そこで、1年浪人して大学院には経済学で進学しようと思うようになりました。そのためには経済理論と数学の勉強が必要でしたし、仕事もしないといけません。アルバイトで絵を描いたり、音楽をやったりしている場合ではなくなりました。そこで、日本に来ることを考えたのです。「日本で英語の先生をやろう、きっと良い国際経験になるだろう」と思いました。
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