「レースが面白ければ、走るのは人間でもAIでも構わない」 若きエンジニアが夢見るモータースポーツとAIの共存:Go AbekawaのGo Global! スコットさん from イギリス(3/3 ページ)
自律走行レース「A2RL」で優勝を飾った日本のレーシングチーム「TGM Grand Prix」。現場でマシンを制御したのは、スコット・ロベル氏。イギリス人である彼は、なぜ、あえて日本の過酷なモータースポーツ界に飛び込んだのだろうか。
最大の難敵「オノマトペ」 論理と感覚の衝突
緻密なデータ解析を旨とするスコット氏にとって、日本の現場で最も高い壁となったのが、日本語特有の「オノマトペ(擬音語、擬態語)」によるコミュニケーションだった。モータースポーツの世界では、マシンの状態を極めて正確に記述することが求められるが、日本のドライバーはしばしばその感覚を独特の響きに託して表現する。
「最初はオノマトペですごい苦労しました。ドライバーに感想を聞くと、『コーナーを曲がるときに“グッ”と踏み込んだら、リアが“ズルッ”となって、“サッ”といけなかった』などと言われるのですが、最初は何を言っているのか全く意味が分からなかったんです。英語では感情や状態を表現するときにそういう言葉をあまり使いませんから。チームの日本人スタッフが何も気にせずにそれを聞き、全員が同じ感覚を共有できているのを見て、本当に驚きました」
スコット氏によれば、こうした言葉は単なる音の響きではなく、タイヤの接地感や挙動の変化を、論理的な言葉以上にリアルに伝える手段として機能しているのだという。だが、彼にとって、その「聞き分け」は依然として難易度の高いタスクである。
「去年、車の動きを説明する中で『バタバタ』と『ガタガタ』という言葉が出てきたのですが、その差が全く分かりませんでした。私にとっては『B』と『G』が入れ替わっているだけで、同じように聞こえてしまうんです。こうした微妙で小さい差は面白いのですが、同時にめちゃくちゃ分かりづらいですね。いまでもたまに、聞いたことがない新しい言葉が出てくることがあります」
スコット氏は現在、これらの言葉の意味を理解し、現場でのコミュニケーションを円滑にこなせるようになっている。しかし、自身が業務で発信する場合においては、今なおエンジニアとしての厳密さを崩さない。感覚の共有よりも、誤解のない確実な伝達を優先するためだ。
「個人的にはオノマトペを使いません。解釈の不一致を防ぐために、論理的な言葉で説明します。例えば『ブレーキがガタガタする』という状況なら、『ロッキング(Locking)をトリガーとしたバイブレーション(Vibration)が発生している』といった用語に置き換えて、正確に伝えるようにしています」
論理を重んじるイギリス人エンジニアが、感覚を言語化する日本独自の文化に戸惑いながらも、その間にある「共通言語」を見いだそうとする姿。それは、まさに彼が日本という異境の地で挑み続けている、もう一つの「チューニング」の過程といえるだろう。
自動運転が開く未来 AIは人間の「教師」となる
セルブスジャパンがA2RLに参戦する最大の目的は、単なるレースの勝利ではない。サーキットという極限環境で磨かれたAI技術を社会へと還元することにある。
現在、世界の交通事故死亡者数は年間約120万人に達しており、その多くがヒューマンエラーに起因する。レーシングドライバーのような「プロの感性」をAIに実装し、限界域での車両制御を自動化できれば、一般公道の安全性は飛躍的に向上するはずだ。また、スコット氏はエンジニアの作業効率を変える可能性も指摘する。
「車には多くのセンサーが付いているので、いまは人がやっている分析をAIに任せたいんです。そうすることで、みんなの時間をもっと効率的に、クリエイティブな仕事に使えるようになります」
「自動運転が進化すれば人間のドライバーは不要になるのか」――そんな悲観的な声に対し、スコット氏は明確に否定する。むしろ、AIは人間を高める存在になると考えているのだ。
「AIで速くなったら、その分で人間はそこから勉強ができる。AIが導き出した理想的な走行ライン(レコードライン)のデータを人間もトレースしてみる。それが面白いと思うんです」
AIが導き出した最適解をデータとして活用し、人間がさらなる高みを目指す。テクノロジーがロマンを消すのではなく、新しい挑戦のフェーズを提供するというのが彼のビジョンだ。
「AIが前に進んで、人間がもう一回AIとどれぐらい近くできるかが、将来の面白いことだという気がします」
極限を追求する若きエンジニアの手によって、AIはいま、レースの定義を、そして私たちの移動の未来を塗り替えようとしている。
Go's Thinking Aloud 編集後記にかえて
フォーチュンビジネスインサイトなど、複数の統計によれば、各国のモータースポーツ市場(市場の定義にはばらつきあり)規模はおおむね、2025年で10.5億ドル(約1500〜1650億円)程度。その内訳は、以下である。
- イギリス:数10〜100億ドル
- イタリア:約10〜20億ドル
- ドイツ:約10億ドル
- 米国:約20〜30億ドル
- 日本:約1〜5億ドル
イギリス、米国がツートップで、日本はまだまだ小さな市場だ。だからこそ、日本でモータースポーツに従事することをスコットさんは選んだ。理由は3つ。アジア最高峰のレースであるスーパーフォーミュラの圧倒的速さと技術力、競合の少なさ、規模が小さいが故にレースやビジネスについて何でもやらせてもらえて学べること。
最初はコミュニケーションに苦しんだ。特にオノマトペ。「グッとアクセルを踏んだら後ろのタイヤがズルッとなった」など、ドライバーの言葉の真意をつかむことにいまも奮闘する。
タイムアタック形式のレースで、2024年はAIは人間に完敗したが、2025年には人間と互角に戦った。今後ドライバーはAIになる時代が来るかもしれない。それでも、速さを追求することは楽しいと看過する。その情熱はAIをしのぐのか、あるいは私たちは全く新しいモータースポーツを生み出すことになるのだろうか。
阿部川“Go”久広
アイティメディア 事業開発局 グローバルビジネス戦略担当、情報経営イノベーション専門職大学(iU)学部長、教授、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)特任教授、インタビュアー、作家、翻訳家
コンサルタントを経て、AppleやDisneyなどでマーケティングの要職を歴任。大学在学時から通訳、翻訳も行い、CNNニュースキャスターを2年間務めた。現在、iU情報経営イノベーション専門職大学の学部長、教授も兼務し、多くの企業とプロジェクトを推進。元神戸大学経営学部非常勤講師、元立教大学大学院MBAコース非常勤講師。ビジネスや起業のコンサルティング、英語やコミュニケーション、プレゼンテーションのトレーナーの他、作家、翻訳家としても活躍中。
編集部鈴木の Editor's view
「レースが面白ければ、走るのは人間でもAIでも構わない」。
また刺激的な言葉を聞いてしまった。自動運転レースに対して「ロマンがなくなるようで寂しい」とぼやく私に、スコットさんは「フォーミュラE(※5)に『この車にはエンジンがないから応援しません』という人たちなら、AIに対しても同様の感情を抱くかもしれない。でも、いいレースを見たくて、AIの方が人間よりレースを面白くできるなら」と前置きして、先のフレーズを言い切った。
だがスコットさんの考えは、前回のアルジュンさん同様、ドライバーの否定ではなかった。AIが先達をつくり、人間がさらなる高みを目指す、それこそが21世紀の「人馬一体」の姿なのかもしれない。
編集部から
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