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「大きな靴」に導かれ、高卒の技能実習生が1000人超のAI-BPOトップへ:Go AbekawaのGo Global! ユイさん from ベトナム(1/3 ページ)

将来は工場で小さなチームを任せてもらえたらいいな――大学進学を諦めた青年は、小さな夢を抱いて日本にやってきた。だが、周囲が履かせてくれた「大きな靴」は、青年を想像もしていなかった世界へ導いた。

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私は、AIに仕事を奪わせない

 「AIが浸透すれば、世界のバックオフィス業務やデータ作成など、これまでBPO(Business Process Outsourcing)で受託してきた業務の一部は減っていきます。けれども、わが社のAIの精度が高くて効率が上がれば、獲得できる仕事は増えるはずです。だからAIの登場は、わが社にとってはリスクではなくチャンスだと考えています」

 そう力強く語るのは、FPT Japan HoldingsでBPO部 部長を務めるグエン・チュオン・ユイさんだ。

 生成AIの波が世界中のビジネスプロセスを塗り替えようとするいま、BPO事業の現場では「AIに仕事が奪われる」という懸念がささやかれることも多い。しかし、ユイさんの見解は逆である。

 同社は、MicrosoftやNVIDIAといったグローバルパートナーとの強力な連携の下、オリジナルAIの開発と自社検証を推進している真っ最中だ。人間5人で行っていた業務を「人間2人+AI」などの高効率な体制へと転換させ、単なる作業受託にとどまらない「AI-BPO」提案・導入コンサルティングへとサービスを進化させている。


FPT Japan Holdings BPO部 部長 ユイさん

 彼の主導する事業は、先進的なAIの導入にとどまらない。代表的な実績の一つが、自動運転など次世代モビリティの基盤を支える「日本全国の高精度3D地図構築プロジェクト」である。ベトナム・ダナン拠点の約600人におよぶ巨大なオペレーション体制を統括し、日本全国の地図データの精度向上と整備を主導してきた。

 立ち上げ当初はKnowledge Transfer(KT)リーダーおよびPMOとして技術移管やマニュアル整備、教育体制の構築を担い、2024年からはプロジェクト責任者として品質・コスト・リスク管理の全てを指揮している。

 加えて近年では、日本の物流業界向けに立ち上げた約200人規模の経理バックオフィスBPOをはじめ、人事・総務領域における業務移管案件、さらにはAIモデル開発に必要なアノテーション業務など、企業の業務変革を支援する多様なプロジェクトを次々と軌道に乗せている。

 ビジネスの前線でテクノロジーを乗りこなし、巨大な組織の舵(かじ)を取るユイさん。だが、彼のキャリアの原点をたどると、グローバルIT企業の部長という現在の姿からは想像もつかない、泥臭く苛烈な足跡に行き当たる。

工場の小さなチームを任せてもらうことが、夢だった

 目覚ましい経済成長を続けるベトナムは、極めて苛烈な「学歴社会」でもある。

 各種教育統計(※1)によると、ベトナムにおける高等教育(大学など)の進学率は26〜30%程度にとどまる。日本の50%超(専門学校などを含めると80%以上)という数字と比較すると、大学進学そのものが一握りの層に許された「狭き門」であることが分かる。特に都市部と農村部の経済格差は大きく、地方の貧しい家庭が子弟を大学へ進学させることは極めてハードルが高い。

 また、ベトナムの労働市場では、大手企業のホワイトカラー職や管理職、ITエンジニア職の採用条件には「大卒以上」が当然の前提として課されることが一般的である。日系IT企業で活躍するベトナム人エンジニアの多くも、名門ハノイ工科大学をはじめとする高等教育機関の出身者が占めている。

 そうした中にあって、ユイさんは「高卒」という異例のバックグラウンドを持つ。


10歳ごろのユイさん。ベトナム中部の農村で育ち、幼いころから家族を支えながら成長した。

 ユイさんが生まれ育ったのは、ベトナム中部にあるクアンナム省の農村地帯である。世界遺産の街ホイアンで知られる地域だが、彼の故郷は観光地から遠く離れた貧しい村だった。

 「私は1990年生まれです。戦後15年しかたっておらず、ベトナム全体がまだ貧乏だった頃で、両親はずっと畑にいました。お米も足りないほど貧乏で、すごく大変でした」

 幼少期から牛の世話や田んぼの草取りを手伝い、中学、高校と上がるにつれて本格的な農作業を担った。長い夏休み期間には、家計を少しでも支えるために、ダナンの建築現場で日雇い労働に汗を流した。

 当時、ユイさんが抱いていた将来の夢は、驚くほどつつましいものだった。

 「当時は、工場で働きたいなと思っていました。大学にいきたかったけれど、うちにはお金があまりないので、進学は無理だろう。大学を出ていないといい仕事は見つからないし、大学にいけないんだったら工場かな、と。当時は、モノづくりの現場で経験を積めば、いずれ工場の小さなチームを任せてもらえるかもしれないという、ごく小さな夢を持っていました」

※1 出典:世界銀行「Gross enrolment ratio, tertiary - Viet Nam」および、UNESCO「Education statistics for Viet Nam」

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