ドラえもんのタイムマシンに乗って、僕は日本にやってきた:Go AbekawaのGo Global!〜Nguyen Manh Hung編(前)(1/3 ページ)
ドラえもんの想像力に憧れ、タイムマシンに乗るような気持ちで日本にやってきたベトナムの青年は、ほんやくコンニャクを作りたいと自然言語処理を学ぶようになった。
国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回は、ベトナムのオフショア企業「New IT」を経営し、越境HRプラットフォーム「Linkus」で、外国人の就業や雇用をサポートする活動もしているNguyen Manh Hung(グエン・マン・フン)さんに登場いただく。自らを「タケオ」と名乗るグエンさんの日本との出会いは、1冊の日本の漫画だった。
聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
私の名前はマン・フン。タケオと呼んでください
阿部川“Go”久広(以降、阿部川) お名前は、グエンさんとお呼びすればいいでしょうか。
Nguyen Manh Hung(グエン・マン・フン、以降タケオさん) タケオと呼んでください。昔ベトナムでは、日本や韓国のように漢字も使われていました。19世紀からはフランスの影響を受けてアルファベットになったのですが、ほとんどのベトナム語は、漢字と対になっています。私の名前、Nguyen Manh Hung(グエン・マン・フン)は漢字では阮孟雄です(チャットで漢字を書いてくれる)。日本語で読むと「ゲンタケオ」なので、日本の方々は皆、私のことをタケオと呼びます。
阿部川 なるほど。では、心置きなくタケオさんと呼ばせていただきます(笑)。生まれはベトナムのどちらでしょうか。
タケオさん ハノイの中心部から17キロほど北部で生まれ、高校までそこで育ちました。ハノイの中心部まではバスで1時間程度です。
阿部川 どんなお子さんでしたか。
タケオさん 甘えっ子だったと思います。私は子どものころから勉強が好きで成績も良かったので、その地域の成績優秀者が集まる小学校に通っていました。ただ、その学校は家から6キロくらい離れていたので、低学年のころから自転車で通っていました。
阿部川 どんな教科が得意だったのですか。
タケオさん 数学と物理です。両親は中学校の先生で、数学と物理を教えていました。中学のときに、たまたま父の部屋である本を見つけました。ベトナム語の本ですが、日本語だと……黄金の鍵、Golden Keyです。恐らく世界を開くための鍵といったシリーズで、数学、物理、科学の3冊がありました。
その本には、日常の生活の中で仕組みを理解できなかったことが、具体的に、しかも面白く書いてあって、いろいろなことが納得できました。そのときから、数学や物理の世界が好きになったのだと思います。
阿部川 中学生のときの1日を教えてください。
タケオさん 中学校も自宅から少し離れていたので、自転車で通っていました。朝早く家を出て、学校に着いたら午前中は勉強です。ランチは先生が作ってくれて、友達と一緒に食べました。それから全員で少し昼寝をして、午後はまた勉強です。上の学校に行くための国家試験があるので、勉強中心の生活でした。
でも、スポーツもよくしました。先生が「勉強ばかりしていると体が弱くなる」というので、15時以降は友達と校庭でサッカーなどをしました。
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