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「大きな靴」に導かれ、高卒の技能実習生が1000人超のAI-BPOトップへ:Go AbekawaのGo Global! ユイさん from ベトナム(2/3 ページ)

将来は工場で小さなチームを任せてもらえたらいいな――大学進学を諦めた青年は、小さな夢を抱いて日本にやってきた。だが、周囲が履かせてくれた「大きな靴」は、青年を想像もしていなかった世界へ導いた。

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日本の「プロセス」に驚き感嘆した

 「大学にいけないのであれば、工場で正社員になり、定年まで安定して働ける道を探そう」。貧困から抜け出したい一心で、ユイさんが選んだのが日本の「技能実習制度」であった。

 単に稼ぐだけでなく、「3年間で技術と日本語を身に付ければ、帰国後により良い仕事に就けるはずだ」という強い意志を持って19歳で渡日。配属先は岡山県にある造船会社だった。

 そこで出会った日本のモノづくりにおける、仕事のプロセスを明確に定義し、それを一つ一つ順守していくという考え方に、ユイさんは強い印象を受けた。

 「日本で働くようになって一番びっくりしたのは、どの仕事にもちゃんとプロセスがあって、全員そのプロセスの通りにやっていたことです。仕事の手順やルールが明確に決められていて、それを守ることの大切さを学びました。プロセスを定義して、それをきちんと順守するという考え方は、勉強になったことの一つで、いまの仕事にも役に立っていると思います」


技能実習の仲間たちと。仕事が終わったらサッカーをやったり、週末にはみんなで買い物に行ったりした

 工場での過酷な作業の傍ら、日本語の習得にもはげんだ。

 会社が用意してくれた日本語教室に、最初は50人ほどの同僚が参加していた。だが、厳しい労働の合間を縫って3年間通い続けられたのは、ユイさんを含めてわずか3人だけだったという。彼はさらに、鉄板を切断するNC機械の稼働待ち時間すら単語帳を開き、仲間から頼まれる市役所や銀行での通訳を「実践練習の絶好の機会」と捉え、進んで引き受けた。

 ユイさんは取材の中で「私はいつも運が良かった」「ラッキーだった」という言葉を何度も口にした。しかし、その「ラッキー」は決して偶然舞い降りたものではない。たゆまぬ努力と前向きな姿勢によって、自ら引き寄せた必然であった。

たとえ学歴がなくても

 3年間の実習期間を終えて帰国したユイさんは、未経験からIT・デザイン領域の企業「ラバーソウルベトナム」に就職し、観光パンフレットやカタログなどのデザイン、3Dコンテンツ作成などに従事した。PCの基本操作すらもおぼつかない状態からのスタートだったが、独学を重ね、またたく間に業務を習得していった。

 ここで彼の才能を見抜いたのが、当時の会長であった。

 「会長から『あなたは日本語はそんなにうまくないし大卒でもないけれど、営業に向いている。相手の話をちゃんと聞くところが、いい』と言われました」

 語学力や学歴というスペック以上に、相手の意図をくみ取るコミュニケーション能力と誠実さを評価されたユイさんは、日本法人(東京)へ出向し、営業や日越間のブリッジ業務、さらには現場の管理職へと昇格していく。

 そして2018年、さらなる飛躍を求めて大手IT企業FPTへの転職を決意する。家族を日本へ呼び寄せる生活基盤を作ること、そして何より「より大規模なプロジェクトを通じて、母国ベトナムの人々に多くの雇用(仕事)を持ち帰って貢献したい」という思いからであった。

 高卒という学歴の壁が存在する中で、実績と信頼を積み重ねることで自らの道を力強く切り拓いていったのである。

「大きな靴」が導いたキャリア

 FPT入社後、ユイさんの手腕は一気に花開く。

 ラバーソウル時代にも100人規模のプロジェクトをまとめていた彼だったが、FPTで任されたのは、ベトナム・ダナン拠点を中心とする総勢600人体制の「高精度3D地図構築プロジェクト」だった。

 ナレッジトランスファーリーダーとして業務マニュアルの策定から現地チームの育成体制を構築し、PMOを経てプロジェクト責任者に就任。離職率の管理やデータ連携の課題など、600人規模故の困難を上司やアドバイザーの力を借りながら乗り越え、大規模プロジェクトを成功へと導いた。

 高卒の技能実習生だった青年が、なぜこれほどまでの躍進を遂げることができたのか。その問いに対し、ユイさんは象徴的な比喩を明かしてくれた。

 「私はいつもラッキーで、会社から大きな靴を頂いてきました。私の身の丈はちっちゃいけれど、その靴に合うぐらい大きくなるように頑張らないといけない。その思いを持ってきました」

 自分には少し不釣り合いに思えるほどの大きなチャンス(靴)を与えられたとき、逃げ出すのではなく、背伸びをし、自己研さんを重ねて自らの足を「靴のサイズ」まで大きくしていく。この「大きな靴」の哲学こそが、彼の成長の原動力だったのだ。

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