元麻布春男の視点
生き残りを賭けたグラフィックス・カード・ベンダの選択

元麻布春男
2002/01/18

 2001年前半まではNVIDIAの1人勝ちと見られていたグラフィックス・チップ市場に異変が起きつつある。2002年1月10日、カナダのATI Technologiesは、フランスのGuillemot(ギルモ)のビデオ/マルチメディア製品部門であるHercules(ヘラクレス)と戦略的提携を締結したと発表した(ATI Technologiesの「Herculesとの戦略的提携について」)。リリースによると、HerculesはATI Technologiesのテレビ・チューナー一体型グラフィックス・カードの最新作である「ALL-IN-WONDER 8500 DV」を含む、ALL-IN-WONDERシリーズ全般のヨーロッパ地域における独占販売権を手にする。つまり、ヨーロッパではALL-IN-WONDERシリーズは、ATI Technologiesの製品としてではなく、Herculesの製品として売られることになる。またHerculesは、ハイエンドの「RADEON 8500」を含むATI Technologiesのグラフィックス・チップを用いたカード製品を、同社の「3D Prophet」ブランドでワールドワイド向けに販売する。


NVIDIA(ヌビデアまたはエヌビデア)
1993年に設立されたグラフィックス・チップ、PC向けチップセットの開発ベンダ。グラフィックス・チップ「GeForceシリーズ」で知られる同社は、最近ではマイクロソフトのゲーム専用機「Xbox」のチップセット開発を担当したことでも有名である。現在のようにPC向けグラフィックス・チップで大きなシェアを確保するようになったのは、1998年に発表した「RIVA TNT」の成功による。

ATI Technologies(エー・ティ・アイ・テクノロジーズ)
1985年にカナダで設立されたグラフィックスならびにマルチメディア関連機器の開発・販売ベンダ。つい最近まで、同社はグラフィックス・カード・ベンダに対して、一部を除いてグラフィックス・チップの外販を行っていなかったが、2001年の後半より、ハイエンドの「RADEON 8500」を除く、グラフィックス・チップについてはカード・ベンダに対する供給を始めている(「元麻布春男の視点:RADEON 8500はグラフィックス市場に新風を巻き起こすか?」参照のこと)。グラフィックス・チップの性能ならびに出荷数で、NVIDIAに対抗できる唯一のベンダとなっている。

Hercules(ヘラクレス)
1982年設立の老舗グラフィックス・カード・ベンダ。英語読みの「ハーキュリーズ」の方が馴染みがあるかもしれない。1999年にフランスの大手マルチメディア機器ベンダのGuillemot(ギルモ)に買収され、現在は同社の1部門となっている。

ATIとHerculesの提携の意味

 これまでHerculesの3D Prophetシリーズといえば、NVIDIAのグラフィックス・チップを用いたグラフィックス・カード製品というイメージが強い。実際にある時期まで、NVIDIAが新しいグラフィックス・チップをリリースした後、真っ先に市場に登場するカードの1つが同社製品だった。それが、ST Micro製グラフィックス・チップ「KYRO II」を用いたカードを昨年リリースしたあたりから、NVIDIAとHerculesの関係は以前ほど良好なものではなくなったようだ。それまで、自社の製品(グラフィックス・チップ)を専ら使っていたOEM先が、ライバル製品の採用を決め、かなり積極的なマーケティングを行ったのだから、心情的には無理からぬところだろう。ただし、ビジネスとしては、NVIDIAはその後もHerculesにグラフィックス・チップの供給を続けたし(ライバル製品の購入を理由にチップ供給を断ったりすれば、独禁法の問題になっただろうが)、HerculesもNVIDIA製のグラフィックス・チップを搭載したカード製品の販売を続けていた。

ヨーロッパではHerculesが販売することになった「ALL-IN-WONDER 8500 DV」
テレビ・チューナーを搭載したグラフィックス・カード。グラフィックス・チップには、同社のハイエンド向けチップ「RADEON 8500」を搭載する。

 しかし、今回のATI Technologiesとの提携は、KYRO IIの採用とはインパクトが違う。何しろATI Technologiesは、現時点で事実上唯一存在するNVIDIAのライバルなのである。ST Microがミドルレンジ向けのKYRO IIしかラインナップに持たないのに対し、ATI Technologiesはローエンドからハイエンドまで、果てはチップセット、ゲーム専用機(ATI Technologiesは任天堂のゲーム・キューブにグラフィックス・チップを提供している)、ノートPC用のグラフィックス・チップまで、フルレンジでライバル関係にある。

 もちろん理屈の上ではカード・ベンダ1社が、ATI TechnologiesとNVIDIAのグラフィックス・チップの両方を採用することは可能だ。しかし現実には、両社と付き合いながら、双方から極めて高い優先順位でチップの供給を受けるというのは、ライバルへの情報漏洩ひとつを考えても容易なことではない。今回の発表でHerculesは、少なくとも主力のグラフィックス・カードを、NVIDIA製のグラフィックス・チップを用いたものから、ATI Technologies製に切り替えると考えて間違いないだろう。ニュースリリースでも今回の提携について、「Herculesにとって戦略的シフト」と表しているくらいだ。

グラフィックス・チップ業界に起きている異変

 どうして、このようなシフトが起こったのか。それは、強すぎるNVIDIAへの反発が根底にあると見てよいだろう。NVIDIA製グラフィックス・チップを採用したカードの多くが、いわゆる「リファレンス・デザイン」と呼ばれるNVIDIAの手によるカード設計を踏襲し、NVIDIAがリリースするグラフィックス・ドライバ(リファレンス・ドライバと呼ばれる)をそのまま添付している。リファレンス・デザインの採用は、新しいグラフィックス・チップを採用したカード製品をいち早くリリースするには、ある意味避けられないことである。現在のように、グラフィックス・チップが複雑化したにもかかわらず、6カ月サイクルで世代交代していると、サードパーティのカード・ベンダがグラフィックス・ドライバ本体に手を入れる余地は、時間的にも経済的にもほとんどない。カード・ベンダに残された裁量権は、ヒートシンクの選択とグラフィックス・ドライバに加えるユーティリティくらい、というのが実情なのである。例外としては、カノープス製のグラフィックス・カードのように、アナログ部に手を加えた製品も存在するが、その代償として製品投入が1カ月遅れ、サイクルが速いグラフィックス・カード市場において商機を逃す可能性もある。

独自設計のカノープス製グラフィックス・カード「SPECTRA X21」
グラフィックス・チップにNVIDIAの「GeForce3 Titanium 500」を採用しながら、アナログ部に手を加えることで他社との差別化を図っている(製品情報ページへ)。しかし、製品投入が1カ月以上遅れてしまううえ、価格が台湾ベンダのものに比べて高くなってしまうという問題がある。

 つまり、NVIDIA製のグラフィックス・チップを採用すると、ほとんどすべてがNVIDIAのコントロール下にある状態に甘んじなければならない。これでは、カード・ベンダとしての経営の独立など論じられない、という反発が出るのも無理からぬところだろう。ただし、この状態は、ユーザーにとっては、必ずしも悪いことばかりではない。NVIDIAによるリファレンス・ドライバの迅速な提供と、カード・デザインの事実上のワンメイク化は、NVIDIAのグラフィックス・チップが載っているカードならどれを買っても、まったく使い物にならないといった致命的にまずいことにはならない、という安心感があるからだ。ただ、これもグラフィックス・カード・ベンダにしてみれば、差別化ができないため、価格競争に追い込まれるというデメリットとして映ることだろう。

 その価格競争のせいか、ドイツのELSA(エルザ)は、北米地域(米国およびカナダ)でのマルチメディア・カード(GeForceシリーズを用いたコンシューマ向けのカード)から、事実上撤退した。同社の北米向けWebサイトからは、コンシューマ向けのGLADIACシリーズが消え、CAD/CAM向けのSynergyシリーズやGloriaシリーズだけになっている。北米以外の地域、ヨーロッパやアジア、日本ではGLADIACシリーズの販売が続けられるが、最大市場である北米コンシューマ市場からの撤退は、大きな決断に違いない。NVIDIAとの関係が深く、もともとプロフェッショナル向けのカードを手がけていたELSAは、こうした決断ができたわけだが、すべてのカード・ベンダが同じ道を選択できるわけではない。

 もちろん、だからといってATI Technologiesのグラフィックス・チップを採用することで、問題が本質的に解決するわけではない。ATI Technologiesのグラフィックス・チップを採用しても、市場ではNVIDIAの同等製品との間の価格競争が待っている。究極的にはNVIDIAのコントロール下に置かれるか、ATI Technologiesのコントロール下に置かれるかの違いしかない、という見方さえできるかもしれない。

 それでも、HerculesがATI Technologiesへとシフトしたのは、グラフィックス・チップ市場の競争を維持したいからだろう。かつてのような、多くのチップ・ベンダによる競争(ここではカード・ベンダがキャスティング・ボートを握りやすい)は望めないまでも、せめて2社による競争関係を維持しなければ、「カード・ベンダは全滅してしまう」という危機感があるのではないだろうか。それが、現在トップを走るNVIDIAから、追い上げる立場のATI Technologiesに乗り換えた理由だと思う。2社の均衡を図り、その狭間で生き残りを図る、というのが多くのカード・ベンダにとっての戦略となるハズだ。Herculesの場合、それに加えてALL-IN-WONDERシリーズのヨーロッパ地域独占販売権という「おまけ」までもらえたのだから、カード・ベンダの中では条件面で恵まれたといえるだろう。もちろんそれも、同社が持つヨーロッパ地域の販売網とブランド力のおかげに違いないが。さて、ほかのカード・ベンダはどのような道を選択することになるのだろうか。2002年はグラフィックス・カード・ベンダにとって生き残りをかけた戦いの年になるかもしれない。記事の終わり

  関連記事
RADEON 8500はグラフィックス市場に新風を巻き起こすか?

  関連リンク
Herculesとの戦略的提携に関するリリースENGLISH
グラフィックス・カード「SPECTRA X21」製品情報ページ
グラフィックス・カードの製品情報ページENGLISH
 
「元麻布春男の視点」


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