元麻布春男の視点淘汰が進むグラフィックス・チップ市場の明日元麻布春男 2002/02/22 |
2002年2月8日、大手半導体ベンダのSTMicroelectronicsは、PC向けグラフィックス・チップ市場から撤退すると発表した(STMicroelectronicsの「PCグラフィックス市場からの撤退に関するニュースリリース」)。現在同社が手がけているのは、KYROおよびKYRO IIという名で知られるグラフィックス・チップだ。Imagination Technologies傘下のPowerVR TechnologiesがライセンスしたPowerVR Series3アーキテクチャに基づいた唯一といえるグラフィックス・チップとなっている。KYRO IIは、2001年3月にHercules(ヘラクレス)などから採用したグラフィックス・カードが販売され、一時は大きな評判を得ていた。しかし、大手PCベンダの採用は得られず、成功した製品とはいえなかったのも、また事実である。なぜKYRO IIが成功しなかったのか、またKYRO IIが採用するタイリング・アーキテクチャ(後述)の今後について検討することで、今後のクライアントPCのグラフィックス機能を考察してみることにする。 |
■PowerVR Technologies ■Hercules(ヘラクレス) |
タイリング・アーキテクチャのメリット/デメリット
PowerVRシリーズの最大の特徴は、画面(シーン)全体を単位として3Dグラフィックス処理を行うのではなく、画面を細かく分割した小さな領域(タイル、あるいはチャンクと呼ぶ)を単位として処理を進めていく、タイリング(チャンキング)・アーキテクチャを採用している点にある。タイリングの最大のメリットは、一度に扱うデータ量を抑えられる点で、これによりグラフィックス・チップ上のオンチップ・メモリで1つの処理が完結可能となる。つまり、グラフィックス・チップが外付けのフレーム・バッファにアクセスする頻度を下げ、フレーム・バッファの帯域が性能上のボトルネックになる状況を大幅に低減することが可能だ。タイリング・アーキテクチャでは、一般的な3Dパイプラインを採用したほかのグラフィックス・チップに比べ、安価で低速なメモリを使っても、同等あるいはそれ以上の性能を実現できる。
PowerVRのロードマップ |
Series4やSeries5が日の目を見ることはあるのだろうか。 |
問題は、一般的な3Dパイプラインと処理のアルゴリズムがまったく異なるため、3Dパイプラインを前提にしたアプリケーションとの間で、互換性の問題が生じやすいということにある。これは、必ずしもPowerVRやタイリング・アーキテクチャ側の責任ばかりではないのだが、マイノリティであるがゆえに、PowerVR/タイリング・アーキテクチャ側が対応を迫られるのが実情だ。DirectXにしても、結局は3Dパイプラインを前提に開発されているのである。
多くのベンダがタイリングの技術を持つ
ここでは「マイノリティ」という言葉を使ったが、現実にはPowerVRシリーズは、現時点で唯一市販されているタイリング・アーキテクチャを採用したPC向けグラフィックス・チップだ(非PC向け、発表されていても市販されていないものを除く)。しかし、PC向けにタイリング・アーキテクチャのグラフィックス・チップの開発を行っていたベンダは少なくなかった。例えばATI Technologiesに買収されたArtXもその1社である。同社はニンテンドーゲームキューブのグラフィックス・コアの開発元として知られている。ATI Technologiesが買収後、ArtXの技術はPC用としてもP6(Pentium IIIなど)バス対応のUMAグラフィックス・チップ・セット「S1-370TL」に採用されている(ATI Technologiesの「S1-370TLの製品情報ページ」)。ただ、不幸にしてS1-370TLを採用したPCシステム、あるいはマザーボードが一般に市販されたという実績を知らない。
PowerVR Series1を搭載した日本電気のPC 3DEngine |
3DfxのVoodoo同様、2Dグラフィックス機能を持たない3Dグラフィックス専用のアクセラレータだった。商業的成功という点では、Voodooにはるかにおよばなかった。 |
NVIDIAも、かつて3Dグラフィックス・チップ「Voodoo」シリーズで有名だった3Dfx Interactiveを買収したことで、3Dfx Interactiveが買収したGigaPixelのテクノロジを保有しているハズだが、GigaPixelのテクノロジもやはりタイリングをベースにしている。いまだに製品発表に至っていないフィンランドのBitboys Oyも、タイリングに近いアイデアを採用しているようだ(そして、だからこそ、いまだに製品化のためのパートナーが見つからないのかもしれない)。
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PCの市場で、これだけ認知されていないにもかかわらず、タイリング・アーキテクチャを採用するベンチャーが数多く存在する/した最大の理由は、外部メモリの帯域を本当に無制限に向上させ続けられるのか(特に一定のコストの範囲内で)、という点に多くの技術者が疑問を持っているからだろう。だが、それに加えて、タイリング・アーキテクチャが非PC分野では比較的成功を収めていることも、影響しているだろう。上述したニンテンドーゲームキューブ、PowerVRシリーズ2を採用したドリームキャストといった家庭用ゲーム機に加え、PowerVRシリーズ2はセガのアーケード・ゲーム機(業務機)にも採用された。先日(2月18日)には、ナムコ、セガ、任天堂の3社がニンテンドーゲームキューブのアーキテクチャをベースにアーケード・ゲーム機向けのグラフィックス・ハードウェアを共同開発すると発表している。高価で調達の難しい、最先端の高速メモリを必要としない、というメリットは非PC分野においては高く評価されているのである。同じことがPCで評価されないハズがない、そう考えている技術者は少なくないだろうし、NVIDIAにしてもATI Technologiesにしても、タイリングをベースにした技術を抱えている理由の1つは、将来的な可能性を考えてのことだと思われる。
タイリングの原点はMicrosoftのTalisman
もう1つ、タイリング・アーキテクチャをベースにしたベンチャー企業が誕生した理由は、一度はMicrosoftが将来の主流とブチ上げてしまったこともあるかもしれない。1996年のコンピュータ・グラフィックス関連の学会「SIGGRAPH(シーグラフ)」において、Microsoftは開発コード名「Talisman(タリスマン)」と呼ばれるグラフィックス・ハードウェアのアーキテクチャを発表した。Talismanはタイリング(当時のMicrosoftはチャンキングという用語を用いた)に、JPEG/MPEGのエンコーダ/デコーダ、近景から遠景までを階層化し、それぞれに必要な精度で処理して合成するイメージ・レイヤーの考えを融合した、先進的なものだった。実際、Talismanを生み出したのは、Microsoftの事業部ではなくその研究部門であり、事業化を前提にしたプロジェクトというより学会発表であり、技術シミュレーションに近いものだった。
Talismanの基本ブロック図 |
1997年に登場する予定だったプロトタイプでは、このように複数チップでカードが構成されることになっていた。チップ点数が複数になると、設計は難しくなり、また製造コストも増大する。それだけでも、プロジェクトとして野心的すぎたことが分かる。 |
にもかかわらず、当時のMicrosoftのTalismanに対する傾倒は大きく、必要以上に実用化を急いだ印象が強い。Talismanを将来のDirectXのリファレンス・プラットフォームであるとうたい、DirectX 4はそれに向けた最初のDirectXになると宣言した。ハードウェア、特にチップの開発を行うパートナーは強引にかき集められ、1996年夏の段階でシミュレーション上にしか存在しなかったTalismanのプロトタイプが、1997年末には実際に動作するハードウェアとして登場すると語ったのである。もちろん、こんな途方もない計画がうまくいくハズもなく、Talismanは先進的であったがゆえに空中分解してしまった。
当時、Talismanというアイデアが登場した背景には、タイリング/チャンキングに関する技術的、学術的な研究がある程度蓄積され、揺籃期にあったことが考えられる。同じ1996年、最初のPowerVR(PowerVR Series 1)が登場したのも、こうした蓄積と無関係ではないハズだ。MicrosoftによるTalismanの華々しい発表は、タイリング/チャンキングのアイデアに惹かれた、ほかの技術者たちを精神的に後押ししたことだろう。ただ、その後押しはDirectX 4がスキップ(キャンセル)されたことで、実体化することはなかった。そして、この方針変換こそが、唯一タイリング・アーキテクチャをサポートしたPC向けグラフィックス・チップとしてデビューしたPowerVRシリーズに、最後まで互換性問題を突きつけることになってしまったように思う。
決着がつきつつあるPCグラフィックス市場
PC向けグラフィックス・チップ市場からの撤退を発表したSTMicroelectronicsは、この事業部門の買い手を探している。だが、それを見つけるのは容易ではない。PCグラフィックス市場は、スタンドアロン・チップがNVIDIAとATI Technologiesの2強時代に突入し、メインストリームはUMAによるチップセット統合グラフィックスが主流になろうとしている(ローエンドはすでに統合型が主流)。本来、PowerVRのようなタイリング・アーキテクチャは、メモリ帯域の負荷が小さく、統合グラフィックス向きといえるのだが、そもそもこの分野では高い3D性能が求められていない、ということもあって、大きなアピールになっていない。逆に互換性問題が生じやすいことが、性能より手堅さが重視される統合型チップセット向きではない、という判断が実情だろう。
何より辛いのは、チップセットを手がけるベンダが、ほとんどグラフィックスを自社で開発するか、パートナーを決めてしまっていることだ。Intel、SiSが自社開発、VIA TechnologiesがS3を事実上買収(合弁でS3 Graphicsを設立)したことに加え、NVIDIAとATI Technologiesは自社でチップセットの開発を行い、ALiはTridentと組んでいる。残るのはServerWorksとTransmetaくらいだが、前社はサーバ/ワークステーション向けチップセットを専門としていることからチップセット内蔵グラフィックス機能にそれほど興味を持つとは思いにくいし、Transmetaにほかの企業を買収する金銭的な余裕はないものと思われる。
このSTMicroelectronicsの撤退で、タイリング・アーキテクチャは、PC向けグラフィックスの市場から完全に消えてしまうのだろうか。おそらく、一時的にはそうなるだろう。PowerVRは1996年のSeries1以来、1998年にPowerVR Series2、2000年にPowerVR Series3(KYRO)と2年ごとにアーキテクチャを更新してきた(2001年に登場したKYRO IIはPowerVR Series3であり、KYROのバグフィックス&クロックアップ版)が、ここでいったん歴史が途絶えることになる公算が高い。
しかし、将来的に復活する可能性がまったくないとも言い切れない。タイリング・アーキテクチャのアピール度が下がった大きな理由は、高速化が難しいと予想されたDRAMインターフェイスの高速化が実現し、しかもDRAM市場の暴落により、それらが安価で入手可能になったことだ。だが、果たしてDRAMインターフェイスの高速化は、未来永劫続けられるものだろうか。また、DRAMの価格はいつまでも安いままだろうか。すでに、DRAMを量産するベンダの数は絞り込まれつつあり、一時よりは若干値上がりしたとはいえ、いまのような安値が将来にわたって続く保証はない。こうした外的要因により、タイリング・アーキテクチャが再び脚光を浴びる可能性がある。上述したように、NVIDIA、ATI Technologies、Microsoftなど、この世界で大手と呼ばれるベンダは、すべてタイリングとまったく無縁というわけではない。むしろ、過去に1度はかかわったことがある、とさえいえる。いったんタイリング・アーキテクチャへのシフトが始まれば、比較的急速、かつスムーズに移行が始まる可能性だって考えられるだろう。
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関連リンク | |
PCグラフィックス市場からの撤退に関するニュースリリース | |
S1-370TLの製品情報ページ | |
XBAに関する解説ページ |
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