連載

IT管理者のためのPCエンサイクロペディア
−基礎から学ぶPCアーキテクチャ入門−

第2回 日本のPC史を振り返る(後編)〜PC-9801からPC互換機へ
2. Windowsの登場でPC-9801からPC互換機へ

元麻布春男
2002/05/31


DOS/Vの登場が流れを変えた

 PC-9801シリーズの独走状態を大きく変えると同時に、日本のパーソナル・コンピュータ市場全体に、決定的なインパクトを与えたのが、1989年末に日本IBMがリリースしたIBM DOS J4.0/V、通称DOS/Vと、DOS/V上で動作する日本語版Windows 3.0だ。DOS/Vが画期的だったのは、すべての日本語処理をソフトウェアのみで実現していたことと、日本IBMがDOS/Vをある種の標準として、自社製ハードウェア以外での利用を事実上認めていたことである。

 DOS/V以前に日本語化されたIBM PCアーキテクチャ、あるいはそれに準じるアーキテクチャのマシンは、日本語処理についてどこかしら、ハードウェアに依存した部分があった。この日本語処理に必要なハードウェアの存在が、海外のソフトウェアとの互換性を維持するうえでの障害になると同時に、ハードウェアそのものの進化の足かせにもなっていた。それがDOS/Vの登場で、基本的に世界で最新のハードウェア上で、日本語を処理することが可能になったのである。もちろん、世界最新のハードウェアだから、その上で世界最新のソフトウェアが利用できる。現在では当たり前のこの環境が、このとき初めて日本語処理を必要とする日本人にも与えられた、そういっても過言ではないだろう。

 また、DOS/Vのリリースに当たっては、自社製ハードウェア以外での動作にも配慮した部分が随所に見え隠れした。最も有名なのは、DOS上で日本語表示を実現するためのデバイス・ドライバ($DISP.SYS)に用意されたオプションだ。ハードウェア・スクロール時に画面が乱れるなど互換性問題が生じるサードパーティ製グラフィックス・チップに対応し、「/HS=LC」や「/HS=OFF」といったパラメータが用意されていた。ちなみに「/HS=LC」は、画面スクロールをLine Compare(線ごとに比較)しながらハードウェア・スクロールで行う、「/HS=OFF」はハードウェア・スクロールを使わないというオプションだ。それぞれスクロール速度は低下するが、画面が乱れるといった致命的な問題を回避できた。こうした気配り(?)だけでも、それまでの同社では考えにくいものだったのに、DOS/Vを中核としたIBM PCアーキテクチャの推進団体であるOADG(PCオープン・アーキテクチャー推進協議会)まで立ち上げた。DOS/Vは、日本IBMという、いわば本家が公認しオープンにしたプラットフォームであり、同社が本気で日本の市場を変えようとしたことがうかがえる。

Windowsの登場

 以上のように画期的だったDOS/Vだが、これだけではPC-9801シリーズの牙城が急速に衰えることはなかったのかもしれない。PC-9801シリーズが急速に力を失っていくのは、Windowsという戦場での勝負を余儀なくされたからだ。PC-9801シリーズが圧倒的な強さを誇ったのは、長年にわたって築き上げたソフトウェア資産と、ハードウェア(周辺機器)資産のおかげであった。しかし、ソフトウェアだけで日本語処理が実現されてしまったことで、海外で大量に開発・製造されるIBM PC用周辺機器がそのまま国内でも利用可能となり、PC-9801シリーズが持っていたハードウェア資産の優位性が大きく後退することとなる。むしろ、Windowsという新しいプラットフォームに対応した周辺機器という点では、海外の方が先行しており、それがそのまま利用できるIBM PCアーキテクチャの方が有利という事態さえ生じた。これが端的に現れたのが、Windowsアクセラレータ(Windowsの高速化に主眼をおいたグラフィックス・チップ。現在市販されているグラフィックス・チップはみなこの末えい)で、「Windowsを使うなら(PC)互換機」という流れを生んだ。

 ソフトウェア資産についても同様だ。PC-9801シリーズをPC-9801シリーズたらしめてきたのは、MS-DOS上に築かれた、ハードウェア依存性の高い(つまりはPC-9801シリーズでしか動かない)ソフトウェアの蓄積であった。これは一朝一夕にして真似できるものではなく、日本電気以外のベンダはみんなこの壁に跳ね返され続けていた。しかし、Windows上でのアプリケーションについては、PC-9801シリーズといえども、先行するソフトウェア資産などない。そもそもWindows上のアプリケーションの多くは、PC-9801シリーズだろうと、IBM PC互換機上だろうと動くのである。

 Windowsが主戦場となることで、PC-9801シリーズはそれまで持っていた優位性を失うだけではなかった。一転、不利な立場へと追い込まれていく。もともと米国で開発されたWindowsは、IBM PCアーキテクチャを前提にしている。日本語化のためには、ハードウェアが何であろうと移植作業が必要になるが、IBM PCアーキテクチャとPC-9801シリーズでは作業量が大きく異なってくる。日本電気が1社でPC-9801シリーズを支え続ける限り、未来永劫、大きな移植コストを負担し続けなければならない。

 同じことはハードウェアの開発にも当てはまる。IBM PCアーキテクチャは、かなり早い時期から構成機能の高集積化がチップセットのような形で進められており、複数のチップセット・ベンダの競争で、機能が向上するという仕組みが出来上がっていた。同じことをPC-9801シリーズで実現するには、やはり開発費の負担がまぬがれない。例えば、上述したWindowsアクセラレータだが、PC互換機でそのまま利用できても、PC-9801シリーズではハードウェア・レベルの移植が必要になるからだ。具体的には、PC-9801シリーズの拡張バスに合わせたカードの設計やソフトウェアの変更が挙げられるし、またPC-9801シリーズがPCIバスを採用したあとでも、BIOSの変更が必要だった。いま考えれば、PC-9801シリーズとは別シリーズでWindows専用にPC互換機をリリースする、といったアイデアも思い浮かぶのだが、当時国内で圧倒的なトップシェアを誇っていた日本電気ではメンツが許さなかったのだろう。有効な手を打てないまま、シェアを失っていった。

 当時、MicrosoftとIBMは、全世界的にはWindows対OS/2の対立の図式にあり、必ずしも関係が良好とはいえなかった。こうした対立は、日本にはまったく無関係、というハズはなかったのだが、日本IBMはWindows 3.0に続き、Windows 3.1の日本語化も行い、普及に勢いのつき始めたPC互換機の流れに冷水を浴びせるようなことはしなかった。また、Windows 3.0では動きを見せなかったマイクロソフトも、MS-DOS 5.0とWindows 3.1からは自社製品としてPC互換機用のパッケージを販売し、PC互換機の流れは加速していった。

PC-9801の終えんとPC互換機時代の到来

 この時点において、AXは事実上、自然消滅し、日本における日本語化されたPC互換機プラットフォームは統一されることになる。AXには賛同しなかった東芝や富士通、日立製作所もPC互換機路線に転じたからだ。PC/ATというプラットフォームに古さを感じようと、ほかに代わるべきプラットフォームがこの時点ではなかったし、MCAやEISAといったPC/ATに代わる新アーキテクチャはいずれも苦戦していた。当面、PC/AT互換のアーキテクチャが世界的に使われ続けるのは、だれの目にも明らかだった。また、マイクロソフトによるDOS/VやWindowsのパッケージ販売は、CompaqやAST Research(当時)といったそれまで日本に進出していなかった外資系企業を上陸させる呼び水となり、横河ヒューレット・パッカード(当時)や日本ディジタルイクイップメント(当時)といった、本国ではPCを扱っていたものの、日本国内ではほとんど扱っていなかった企業に国内でのPC事業をスタートさせるきっかけを作った。

 こうして、世の中がPC-9801シリーズ対PC互換機、という構図になると、余計にPC-9801シリーズの苦戦、特に価格面での苦戦が目立つようになる。Compaqは日本進出に際し、12万8000円という、当時の国内市場としては衝撃的な価格のPCまで用意していた。その衝撃のすさまじさは、新聞や一般誌でも「コンパックショック」として取り上げられるほどで、中にはCompaqをパーソナル・コンピュータの安売りブランドと勘違いする人もいたほどだった。

 1997年9月24日、日本電気はそれまでのPC-9801シリーズとは互換性を持たないPC98-NXシリーズの投入を発表した(製品発表は10月23日)。同社ではPC98-NXシリーズを、PC-9801シリーズやPC/ATの「次の世代の世界標準パソコン」だとしたが、これがIntel製チップセットを採用した、いわゆるPC互換機であることは、だれの目にも明らかだった。事実上この日をもって、複数のハードウェア・アーキテクチャが乱立した日本国内市場は、海外と同じPCが支配する単一アーキテクチャの市場となったのである。

日本電気のPC98-NX
PC98-NXは、これまでのPC-9801シリーズとは異なり、IBM PC互換となった。写真は個人/SOHO向けのデスクトップPC「ValueStar NX」。最上位モデルのVS30D/M7modelDD1は、Pentium II-300MHz、8.4Gbytesハードディスク、DVD-ROMドライブ、17インチCRTディスプレイ、Microsoft Word付属という仕様で66万円だった。

 これにより、PC-9801シリーズの時代は事実上終えんし、時代はPC互換機+Windowsへと移っていく。次回からは、本家(?)IBM PCの歴史をひもといていこう。記事の終わり

  関連リンク 
PCオープン・アーキテクチャー推進協議会
 

 INDEX
  第2回 日本のPC史を振り返る(後編)〜PC-9801からPC互換機へ
    1.日本語対応を模索するPC互換機
  2.Windowsの登場でPC-9801からPC互換機へ
 
 「System Insiderの連載」


System Insider フォーラム 新着記事
  • Intelと互換プロセッサとの戦いの歴史を振り返る (2017/6/28)
     Intelのx86が誕生して約40年たつという。x86プロセッサは、互換プロセッサとの戦いでもあった。その歴史を簡単に振り返ってみよう
  • 第204回 人工知能がFPGAに恋する理由 (2017/5/25)
     最近、人工知能(AI)のアクセラレータとしてFPGAを活用する動きがある。なぜCPUやGPUに加えて、FPGAが人工知能に活用されるのだろうか。その理由は?
  • IoT実用化への号砲は鳴った (2017/4/27)
     スタートの号砲が鳴ったようだ。多くのベンダーからIoTを使った実証実験の発表が相次いでいる。あと半年もすれば、実用化へのゴールも見えてくるのだろうか?
  • スパコンの新しい潮流は人工知能にあり? (2017/3/29)
     スパコン関連の発表が続いている。多くが「人工知能」をターゲットにしているようだ。人工知能向けのスパコンとはどのようなものなのか、最近の発表から見ていこう
@ITメールマガジン 新着情報やスタッフのコラムがメールで届きます(無料)

注目のテーマ

System Insider 記事ランキング

本日 月間