前回、ユビキタスの話で触れたアラン・ケイ(Alan C. Kay)氏が来日した。その足跡を振り返ってみよう。 1968年12月9日、すべての始まり
不思議なことに、いわゆる「パーソナル・コンピュータ」を構成する技術の多くは、1968年に不意に登場している。 その年、アラン・ケイ氏は、マサチューセッツ工科大学人工知能研究センター(MIT Artificial Intelligence Laboratory)のシーモア・パパート(Seymour Papert)教授の元を訪れて、Logoという言語を使い、児童教育にコンピュータを利用する試みに接した。これに触発されたアラン・ケイ氏は、帰りの飛行機の中で、“a personal computer for children of all ages”というアイデアのスケッチを始めたという。それが今日Dynabookと呼ばれる構想に発展する。後に、アラン・ケイ氏はXerox社のPaloAlto研究所(PARC)設立に参加し(1972年)、その実現を試みる。 同じ1968年12月9日、スタンフォード大学(カリフォルニア州Palo Alto)のダグラス・エンゲルバート(Douglass Engelbert)氏が、HyperTextやマウスなどを一挙に学会発表した(1968 Fall Joint Computer Conference、San Francisco, CA)。その様子はフィルムに記録されていて、いま見ても感動を誘う(マウスのデモンストレーションの様子を公開したスタンフォード大学のページ)。ちなみに、スタンフォード大学とPARCは、同じパロアルトの町にあり車で数分という近距離にある。
マイクロコンピュータの時代やがてマイクロプロセッサが製品化されて、1976年にApple IIが登場した。1984年のMacintosh以後、GUIウィンドウを備えたパーソナル・コンピュータの時代が始まる。エンゲルバートとアラン・ケイの2人は「パーソナル・コンピュータの生みの親」とも呼ばれ、ほとんど神格化されて今日に至る。さらに、1986年、前回ご紹介したウエイザー氏がPARCに参加して、ユビキタスを構想する。 生きていて、成長する本:DynaBookアラン・ケイ氏が描いた“DynaBook”とは、大ざっぱにいえば電子の本である。マイクロプロセッサを内蔵し、使うごとに成長を続ける、いわば知能生命体のような、生きた本である。 “DynaBook”は本だから、片手で携帯して使えなくてはいけない。「平面ディスプレイやスタイラス・ペン、GUIやワイヤレス通信機能を備え、だれでもどこでも簡単に利用できる」といった構成が、やがてパーソナル・コンピュータの理想像と見なされるようになった。 後にウエイザー氏は、このような移動可能なデバイスをnomadic(「遊牧民の」という意味)と呼び、家具のような固定デバイスとのやりとりがユビキタス・ネットワークを織り成すことを予言する。 “Apple Knowledge Navigator”1991年、アラン・ケイ氏が参加してApple社が製作したプロモーション・ビデオ、“Apple Knowledge Navigator”には、より進化したDynabookのイメージが描かれている。 そこには、学習するエージェント機能が搭載され、秘書役を務めるノートブックが登場する。自然言語の会話を理解し、主人公の言い逃れを訂正してくれるほど、お利巧で優秀な秘書なのだけど、現実のパーソナル・コンピュータ製品とは違う、はるかに遠い夢物語のようにも見える。実際、当時のAppleが製品化したNewton*1は、期待外れの失敗作となった。
マイクロプロセッサを使った小さなコンピュータは、洪水のように普及して今日に至る。が、その用途のほとんどは、Microsoft Officeのような事務機能とデータベースといった範囲ではないだろうか。アラン・ケイ氏が夢見た知的生命体とははるか遠く、単純計算機械にすぎない。これに対しアラン・ケイ氏は“The Computer "Revolution" Hasn't Happened Yet!(コンピュータ革命はいまだ始まってない)”と嘆く。
京都で急展開する“Alan Kay Project”DynaBook構想から発したSmalltalkは、OS環境であり言語でもある。これが、オブジェクト指向プログラミング(OOP)の原点となり、今日、ぼくらが利用するプログラム言語は、ほとんどすべてその影響下にある。 今日では、Smalltalkのクラスを任意に拡張可能とし、多数のクラス・ライブラリを追加し、仮想マシン(VM)に載せてマルチ・プラットフォーム化した言語、Squeak(スクイーク)が注目されている。 このSqueakを強力に推進しているのが、京都大学の上林弥彦教授(情報学研究科 社会情報専攻)を中心とする“Alan Kay Project”*2である。小中学校で「ソフトウェアの基本的な概念やシステムを作る際の発想法を子どもの発達段階をふまえて無理なく習得させようとする」ことが狙いだという。
1月末から2月にかけて、そのワークショップや講演会が京都周辺で続けて開かれ、アラン・ケイ氏ご本人も来日、指導にあたった。会場には数百人が集まったというが、この話、東京ではほとんど知られていない。 上林先生は、小中学校に根ざした持続的な実践開発を重視されている。京都という地域と人脈に立脚し、個人の自発的参加を歓迎するが、大企業大資本には期待しない。一過性のブームを嫌い、全国メディアも期待しないという。このプロジェクトは、東京を通り越して、米国や欧州などで注目を集め、着々と成果を積み重ねているようだ。 CSK/CAMPスクイーク・ワークショップ一連の活動の最終日となる2月2日、CSK大川センターで開かれたCAMPスクイーク・ワークショップを訪れてみた。
小学校高学年から中学生まで、約20名ほどが参加して、Squeak上のペイント・ツールやスクリプトを利用、それぞれ勝手に作品を作る。例えば、自分のマシンから発進した宇宙船がお友達のマシンに着陸する、というようにほかの子と交換することもできるし、自分だけの世界を楽しむ子もいる。ご両親のことだろうか、「ドラマのような出会い」から「運命の離婚」までを紙芝居風のストーリーとして書く子もいて、ちょっとひやひやした。だれ1人として、ほかと同じことをする子はいない。 Squeakの授業は、国語と音楽と図工の時間が混然一体となったようで、教科の境がない。 それにこれは、「教育」とはいっても教え込むことではない。学び習う「学習」でもない。子供たちは、だれにも規制されず、それぞれ自分の表現を楽しんでいる。1人1人個性が異なるからこそ、このワークショップが意味を持つ。
それこそが狙いなのだと、プロジェクト・リーダーのキム・ローズ(Kimberly M. Rose)さんは語る。「どこまでも自由な、創造性を育てる場でありたい。それこそが、制度化した教育の最大の弱点ではないか」。なるほど、コンピュータが教育に役立つというのは、こんな形もあったのだ。 他人とは異なる私もう一度、考え直してみよう。 アラン・ケイ氏のDynabookは、ユーザーの成長とともに知識知能を獲得し、従って1台1台個性が異なるような「生きた」コンピュータをいう。つまり、それ自身が「学習する機械」なのだ。 そう思ってみれば、Dynabookはその誕生から教育・学習と切っても切れない関係にあり、その背景には、当時のトレンドであった「人工知能」とかニューラル・ネットワークとか、認知、学習理論の影響が色濃く漂っている。 以来30年間、DynaBook構想がさん然と輝き続け、しかもいまだに実現されていない理由の1つは、そこにあるのかもしれない。 学習機械の復権今日、例えばかな漢字変換や音声認識といった技術を「人工知能」と呼ぶ人はいない。しかしこの数年、プロセッサ・パワーの爆発的向上や、認知や学習の数理モデルの大発展により、知的なインターフェイスは長足の進歩を遂げている。 例えば、人工知能研究の衰退とともに表舞台から去った多層パーセプトロン*3は、1986年、ルメルハートの誤差逆伝搬という手法*4で復活して、パターン認識やニューラル・ネットワークの主要な手法となっている。一方では、以前このページでご紹介したベイズ統計に基づく学習理論、Bayes Learningも発展をみせている。そのほか、さまざまな分野で「ユーザーの成長とともに知識知能を獲得」することは徐々に実現されつつある。これを「学習機械の復権」と呼ぶ人もいる。
35年の年月を経て、結局Dynabook構想は正しかったのだろうとあらためて考える。その実現が認知や学習理論に依拠するとすれば、コンピュータの未来もそこにあるのかもしれない。 Autonomic Computing:自律的コンピューティングその一方で、Dynabookとは全く違う「学習機械」構想もある。 これを提唱しているのはIBMで、当初、Project eLizaとして研究を開始、現在はAutonomic Computing(自律的コンピューティング)と総称され、同社の総力を挙げて開発を進めているようだ。 Autonomic Computingは単一のコンピュータではなく、複雑かつ巨大化したコンピューティング環境を対象として、人体を管理している自律神経系と同じように自己を管理・調節する知的な複合システム構築を目指す。稼働しながら自己学習するシステム管理機能を実現することで(IBM製品としてはTivoliがこの役を担う)、在来のIT環境にはない、以下のような進化を予告している。
何とも気宇壮大な話で全貌がつかみにくいが、以下を参照されるとよい。 Autonomic Computingに関するIBMのドキュメント 研究者向けの解説(英文) なお、AutonomicComputing自体はアラン・ケイ氏と何の関係もない、どころか、相反するものかもしれない。にもかかわらず、あえてここで紹介する理由は、自律的生命体という発想がとてもよく似ているように思えるからだ。 築きあげる未来、終わることのない革命1968年に着火したコンピュータ革命は、いまも不完全燃焼を続けている。エンゲルバート氏がいう「未完の革命」は成就していない。成長するDynabookも実現していない。というか、この革命が終結することは考えにくい。そこで、アラン・ケイ氏はいう。 The best way to predict it in the future is invent it.(未来を予見する最良の方法は、それを発明してしまうことだ) ここでいう発明とは、例えばルメルハートの誤差逆伝搬とか、ベイジアン・ネットワークによるスピングラス解析や情報場理論などを指すのだろう。 繰り返しになるが、Dynabookに代表される次世代コンピューティングのキー・テクノロジは学習機械だと思う。Autonomic Computingもその1つかもしれない。その先はユビキタスの時代へとつながる。いまぼくらは、持続する革命の入り口に立っているようだ。 資料提供 山崎俊一(やまざき しゅんいち) |
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