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第113回 グローバリゼーションと囲い込みと、お金の流れと頭脳放談

グローバリゼーションの影で「囲い込み」が起きている。しかしITベースの現代では、その囲い込みも仮想化、多重化して分かりにくくなっている。

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 ときどき、こういうことが書かれているのを見ることがある。「日本の製造業も過剰な品質や機能を追求することを止めて『世界標準程度』の品質や機能に抑え、価格を追求して海外市場に活路を求めるべきだ」といった意見である。このところ行き過ぎたグローバリゼーションへの批判の声も上がってはいる。だが現実に、日本製品の競争力は失われ、世界市場を新興国に奪われつつある。成長が止まってしまった国内限定の「ガラパゴス化」が進んで久しいから、そのような意見が出てくるものと思われる。

 そういうことをいう人は、大体が証券アナリストなど資本の立場からの分析者に多いようだ。資本の立場からはそういう意見が出るのももっともだとは思う。非常に繊細で高い性能を持っていても、そのような製品は市場のピラミッドの上位のわずかなボリュームを占めるだけである。ほとんどのマスマーケットは下位の「必要十分」な機能と品質のところにあり、「そこそこの安いもの」が世界市場の大多数である。ここを攻めきれないようでは、どんどんニッチなところへ追い詰められていってしまうことは明らかだからだ。

 しかし、「日本企業」がそういう「そこそこの安いもの」を志向するに当たっては反発も強いのではないかと思う。特に実際に物を作っている側からすると、新興国並の「安物」を作ってやっていけるはずがない、と考えるのが普通だろう。やはりよいもので勝負したい、と。

グローバリゼーションはレガシー・コストを切り捨てること?

 別に日本企業に安いものが作れないといっているわけではない。グローバリゼーションの結果、十分な資本か信用力があれば、誰であれ「他社並みに安い」原材料や部品を世界のどこからか調達し、世界のどこかの労働コストの安いところを選んで「必要最低線」の性能の製品を作ることはそう難しいことではないのである。特に電子工業界についてはそういう傾向にある。

 ぶっちゃけ、輸出規制などのかかっている特定の国々を除けば、新興国企業でも日本や欧米の先端企業と同じ製造装置を買うことができるし、装置どころか、ついでに製造技術まで買ってくることも不可能でないのだ。確かにそれを極限まで使いこなし「最先端」「ステート・オブ・アート」「リーディング・エッジ」的なところまで行き着くのは大変だが、大体そういう先進的なところは、すぐにはボリューム・ゾーンに入ってこない。ボリューム・ゾーンは「買ってくることができる」程度の技術で十分キャッチアップできてしまう。

 そういう同じ土俵に乗ってしまうと日本企業は不利である。「レガシー・コスト」は別にGM(ゼネラル・モータース)やJAL(日本航空)だけの専売特許ではなく、多くの日本企業が多かれ少なかれ背負っているはずだ。それに対して新興国企業は歴史が浅いだけ「レガシー」なものには無縁なことが多いように思われる。

 すると、大体のアナリストの人は、「レガシー・コスト」を切れという。つまるところ、国内の会社をタタミ、資本だけが海外に出て効率良く回るようにすれば対抗できないこともないだろう。でも、それじゃ、ワシらみんな、クビじゃなか!

 これは、なんか考えないといけない。ニッチなところでほそぼそと生きていく、というのは一案だが、ニッチなところの収容能力は、ニッチなだけに小さいに違いない。図体の大きい会社だと収まりきれない。アナリストの人のいうことも聞くべきことは聞いて、みなさん策を練っておられると思う。

囲い込みはお金の流れを変える

 グローバリゼーションは世界の経済を1つに結びつけ、市場をフラット化したかに見える。でもその中でひそかに「囲い込み運動」が起こっているような気もするのだ。といって、どこかの国とどこかの国が経済ブロックを作ってというような古典的なブロック経済ではない。マイレージとか、ポイントとか、あるいはSaaSとかクラウド・コンピューティングといった形の隠微な「囲い込み」である。

 個人レベルだと分かりやすい。例えば、航空会社のマイレージ・サービスだ。スター・アライアンスの加入者は、いつもスター・アライアンスのフライトに乗りたがる、という「囲われ」方である。航空会社のサービスにはみなさん好みの意見があるのは承知の上だが、「運ぶ」という機能には変わりがない。そのような状況下で「差別化」しようとすれば、そういう「囲い込み」に知恵を絞らないと競争優位な状態には持ち込めない、というわけだ。これがITサービスともなると「囲い込み」もさらに複雑化、高度化して、なかなか当事者にも全体が把握しきれない。

 囲い込みの本質は、あるところからあるところへ流れていた「お金」の流れを別なところに「付け替え」て「集約固定化」することにあるように思われる。そこには必ず付け替えられてしまう「ソース」と「付け替え」先の「デスティネーション」がある。卑近な例でいえば、Webベースのスケジュール・サービスに乗り換えたことで、いままで毎年買っていた手帳を止めれば、文房具屋さんに流れていたお金がWebの方に付け替えられたことになる、といった感じだ。過去であれば、商売敵は近くの同業だったが、現在では、地球の裏側のまったくの異業種に「囲い込まれて」収益源を失うということも多いにあり得る。

 またいつもの変なたとえだが、これは律令制度が崩れて、荘園制度に移行しているような状態にも思われる。どこまで実際にフラットであったかは別にして、全国一律の制度だった古代律令制が崩れ、それぞれの利益で在地勢力と中央の寺社や貴族が権益の流れの固定化を図って荘園ができたような時代に、アナロジーが求められるかもしれない。しかし、ITベースの現代は、まさに囲い込みも仮想化、多重化して分かりやすいものではない。同じなのは、権益をむしり取られる側と囲い込む側があるということである。

 まぁ荘園制度も、その権益の流れからはじき出された「悪党」といわれるような人々が登場するようになって崩壊していく。IT業界でもしかりだろう。どちらの側につくにせよ、右往左往しつづけるのが筆者ら大多数の行く末か……。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部を経て、現在は某半導体メーカーでRISCプロセッサを中心とした開発を行っている。


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