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第234回 ヤァヤァヤァ、有機トランジスタの時代がやってくる?頭脳放談

東京大学などが有機トランジスタの実用性を向上させる印刷技術を開発したという。有機トランジスタは、既存のシリコントランジスタを置き換えることができるのだろうか?

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連載目次

基板上に有機薄膜を成膜する手法
基板上に有機薄膜を成膜する手法
Natureに掲載された論文「Scalable Fabrication of Organic Single-Crystalline Wafers for Reproducible TFT Arrays」より。

 数ある電子デバイスの多くは、その機能や性能のかなりな部分をその材料に依存している。2019年のノーベル賞で話題になったリチウムイオン電池を思い浮かべれば、材料の重要性は明らかだろう。リチウムイオン以降しか知らない若者と違い、それ以前の電池しかなかった時代を知っている年寄りにしてみれば、リチウムイオン電池は確実に社会の変化をもたらすインパクトがあったという実感がある。

 ただ、そこは凡人、同時代には気付かず、「今にして思えば」の後付けの感想でしかないが。偉大な進歩であったリチウムイオン電池にして、原理の発見から実用化までに長い時間がかかったことは報道されている通りだ。

 それどころか、商用化された後もしばらく赤字の時代があって苦しかったことが今回の受賞エピソードで語られてもいる。いい材料を見つけ、長年の努力で量産化にこぎ着けても、それを使ってくれる大きな用途が出現してくれないことには成功には至らないのだ。

有機半導体がシリコン半導体を置き換える?

 ともかく「材料は大事だ」というわけで、「1,600個以上の超高移動度印刷有機トランジスタアレイ、 実用レベルの均一性と信頼性を達成〜高密度・高信頼性・超低コストの印刷型集積回路事業化へ〜」というニュースリリースを読んでみよう。発表したのは東大、産総研、物質・材料研究機構、パイクリスタル株式会社のグループである。

 発表概要を読めば書いてある。有機半導体は「現状のシリコン半導体に置き換わり、安価に大量生産可能な次世代の電子材料として期待」されているのだそうだ。ニュースリリースのタイトルだけを見れば、それがすぐにも事業化されて、バンバンもうかる(?)ようになるのではないかと期待してしまう。しかし、年寄りとしては「かなりアオリが入ってるのではないの?」とまず身構えてしまったことを告白しておく。「そんなに都合よく事業化できるのかな?」と。

有機ELディスプレイの過程を振り返ろう

 材料は大事なんだが、新材料が商売になるまでの道のりは長い。一例を挙げよう。有機つながり(といっても原理は違うが)で、有機ELディスプレイである。みなさんも、iPhoneやら大画面TVやらで有機ELはおなじみだろう。液晶の次に擬せられたこともあるディスプレイ素子である。

 電子デバイスとしての有機ELの発祥は1980年代らしい(原理の発見はもっと前ということだ)。21世紀の初頭くらいの時期、有機ELディスプレイ関係者は量産化に向けて苦闘していた。そんな時期、リーマンショック頃までの期間だが、筆者の近傍にも有機EL(当時は国内でもOLED、オレッドと発音していた)に関わっている人たちがいて、時折そのうわさを聞いていた。

 有機系の材料でいつも問題になるのは信頼性だ。鮮やかな色合いの有機ELだが、当時、色によっては低寿命に苦しんでいた。それでも毎年のように改良はあり、寿命は延びていた。はた目に技術的な進展は著しいものがあるように見えた。が、市場参入の障壁は極めて高かった。

 この当時、液晶ディスプレイが、市場拡大と競争激化(当然振り落とされるメーカーも出てくる)を起こしており、性能向上と価格の低下が著しかったからだ。よちよち歩きの有機ELは正面から強敵の液晶と戦わざるを得なかったのである。

 結局、多くの日本メーカーが事業化を断念することになった。諦められない一部の人は韓国へと向かった。その後いろいろあり、ようやく有機ELの市場は立ち上がったが、これができたのは諦めずに投資を続けた韓国サムソン、そしてLGのおかげだろう。自ら光を出さない液晶に比べて、自ら鮮やかな色を発光できる有機ELは強力なアピールポイントを持っていたのだが、それでもみんなが見放しかけたこともあったのだ。

有機トランジスタの何が技術的ポイントなのか?

 さて本題に戻ろう。有機トランジスタアレイだ。何が技術的ポイントなのかと言えば、第1に「超高移動度」であろう。有機トランジスタそのものは、昔からあり(ずっと長いこと研究されつづけてきている)、その大きな欠点として「遅い」という点があったからだ。

 今回、トランジスタの速度を決める移動度は、過去のものと比べて1桁大きな数字を打ち出してきている。それができた背景に、従前の技術の多くが使っていた有機材料の多結晶状態ではなく、有機材料を印刷的に「塗りながら」単結晶に成長させるという技術があるようだ。つまり、移動度の高い「ウエハ」を塗って作れるという技術のようだ。塗って作れるというのはいかにも低コストになるだろう、と期待できる。

 しかし、手放しで喜べるわけでもない。従前の有機トランジスタの移動度より1桁大きな移動度だ、といっても、その辺に転がっている半導体デバイスに比べると、2桁から3桁くらい移動度は低い。即座に高性能マイクロプロセッサやメモリ、ADコンバーターなどを作れるわけではないのだ。

 そして、発表の中心は「ウエハ」に相当するものを作る技術なので、トランジスタそのものの集積度についてはことさら言及していない。「トランジスタを作れるウエハがあるのだ、お金さえかければ集積度は上げられる」という意図かもしれない。

有機トランジスタは小さく生んで大きく育てられるか?

 この状況を見て考えるに、正面から正攻法で、普通のデジタルICやアナログICと戦える土俵に上がろうなどという方針を立てたら、長期の開発期間と膨大な投資が必要になると予想できる。そんな決断をできる上場製造業の経営者は多分一人もいない。それをするためには、もうかっている部門の利益(ボーナスやら配当の原資でもある)か借金を、海のものとも山のものとも分からぬ新事業につぎこみ続けることになる。よってたかって引きずり降ろされるだろうこと必定だ。

 となれば、方針はよく言われる「小さく生んで、大きく育てる」というやつになる。「小さく生んで」はリスク(つまり投資)を小さくクイックに入れるニッチな市場に参入し、ということであり、「大きく育てる」というのは、そのニッチな市場自体がそれこそ加速度的に成長する、というシナリオである。

 実は、多くの電子部品が、このような過程を経て「モノになった」ものばかりといってよい。2段階のどちらも簡単ではないのだが、どちらかというと「大きく育てる」の方が難しいのではないかと思っている。熱心に探してみれば結構ニッチな分野は存在する。そこに最適なデバイスさえ提供できれば取りあえず市場参入は果たせるかもしれない。しかし、ニッチはニッチのまま成長性がなかったり、ある一時期「うたかたの夢」のように消えてしまったりすることもあるのだ。そういう分野に狙いを定めてしまうと、時間を使い、その間になけなしの資金を失ってしまうことにもなる。

有機トランジスタの事業化への道は遠い?

 今回のニュースリリース自体は研究機関主体で、「事業化へ」とはいうものの具体的な事業化のシナリオが提示されているわけではないように読めた。中の一社、パイクリスタルという会社のみが事業会社(東大発ベンチャー)であり、事業化せずにはいられないはずであるので、そこのWebサイトも眺めてみた。

 売りは3点くらい書いてあった。第1にフレキシブルで曲面的な回路も作れるということ、第2にRFID、第3にゆがみセンサーである。フレキシブルな基板というものは現在でも非常に大量に使われており特殊なものではない。それにゴマ粒だったり、細い針状だったりする半導体チップを貼り付けて使う方法はコモディティと言ってよいだろう。

 これに対して、有機トランジスタ(多分、遅くて普通の半導体ほど電気を流せない)で曲がる回路基板を提供できたとしても機能、性能面でアドバンテージを打ち出せるのだろうか。そこを打ち破るためには結局投資勝負になるのではないだろうか。とにかく安く大量に作る。そのためには設備投資が必須だ。

 第2のRFIDもまた市場確立済の分野だ。RFIDは全世界で膨大な数量が使われているし、印刷技術とも整合性が高い。しかし、勝手な意見だがRFID業界には、「RFIDそのものでもうけなくても、まぁ、いいか」的な体質があるように思われる。管理対象の物品に貼り付けるRFID、それと通信するリーダーライター、そこからの情報を管理するためのサーバシステム、そして、基幹系システムというかビッグデータと呼ぶか、クラウドにするかのバックエンドのシステムがある。

 この中で本当に付加価値を生んでお客の利益を生み出すのはハードウェアではなく、後ろの方のデータとソフトウェアである。よって先っぽのRFIDそのものは必要悪のコストでしかない。これまた飛び込むにはキツイ世界じゃないかと思う。

 第3のゆがみセンサーはどうか。大事なデバイスではあるし、一定の需要はある。既存のゆがみゲージ、ゆがみセンサーの市場規模データを持っているわけじゃないが大きな市場とは言い難い。かなりニッチ。今はニッチでも、例えば加速度センサーやジャイロセンサーのように、世界中のスマートフォンやらドローンやらに大量に使われるようになる可能性があるのだろうか(筆者が知らないだけかもしれないが)。ニッチで細く長くも1つの方向性ではあるが。

 否定的なことばかり書いてしまったが、結局のところ、筆者のような凡人がノーマークで、これから爆発的に伸びる今はニッチな市場にマッチするデバイスに仕上げて市場参入すれば大成功、ということである。なるべく早い時期に「今にして思えば」と反省文を書けるようにお願いしたい。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。


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