みんなでソリティアを一緒にやりたかったから、勉強した:Go AbekawaのGo Global!〜Cyril Samovskiy編(前)(2/2 ページ)
IT大国として有名なウクライナでIT企業を経営するキリルさんは、どのようにしてITに親しんでいったのか。
みんなでゲームをしたくて
阿部川 人生最初のコンピュータは何でしたか。
キリルさん ハードウェアは覚えていませんが、OSはMicrosoft Windows 3.1でした。13歳か14歳、1994年か1995年だったと思います。自宅にコンピュータがあるのは、学校の中で私だけだったのかな。ラッキーなことに親の職場でコンピュータを使えたのですが、それでは満足できなくなり、自宅でも使いたいと思いまして。親にとっては非常に高い買い物だったはずです。
最初はご多分にもれず、ゲームばかりやっていました。しかし次第に、1人で何かをずっとやるよりも、いろいろな人と一緒にやれることに魅了されていきました。例えば「ソリティア」(1人で遊ぶゲーム、またその総称)を1人でやるのではなく、他の人と一緒にやるなどです。
そのうち正式にプログラミングを学ぶようになり、どんどんハマっていきました。当時はプログラムのライブラリー的なストックや情報はそんなになかったので、何か必要なアルゴリズムを実行するためには、最初からプログラミングをしなければなりませんでした。
もしかしたら既に誰かが解法を考えていたのかもしれませんが、それを見つけるのが大変でした。ですから私は、解法が見つかるとみんなにシェアしてみんなで使う、という、まあ今でいえばWikipedia的な方法を考えました。これは、私にとってとても勉強になることでした。
私はとてもラッキーで、昔からコンピュータを使えましたから、同い年の友達よりも早くコンピュータについて学べ、同時に、「コンピュータは全ての人が使えるようになるべきものだ」という考えを、早くから持つようになりました。
コンピュータを学べば、その考え方からさまざまなことが学べると思います。この先10年でコンピュータはもっと私たちの身近なものになり、プログラマーなどいわゆるコンピュータのプロフェッショナルだけではなく、より多くの人が使うものになっていくと思います。
阿部川 現在ではどんな業界、業種でもコンピュータを用いないものはないといっても過言ではないでしょう。
学ぶとは、どういうことか
阿部川 ウクライナの教育制度は、高校に入って、次が4年制の大学でしょうか。
キリルさん 高校は9年生から11年生と呼ばれる3年間。その後、専門的な学習をしたければ、1年制の専門学校に入ります。その後はいわゆる学士コースの大学で4年間です。多くのエンジニアは、その後3年間のマスターコースに進みます。私は数学と、コンピュータサイエンスを専攻しました。
阿部川 具体的にどのようなことを学ばれたのですか。
キリルさん 1年生のときは、何というか、コンピュータの歴史を学んでいるような感じでした(笑)。実は、ソビエト連邦が崩壊してからいろいろな変化があって、ウクライナの大学のシステムでは勉強できる分野が狭まってしまったのです。大学の教育は、基礎的なものだったり、内容の古いものが多かったりしたので、実践の方から学ぶことが多かったように思います。
ですから私は、1年生のときから仕事を始めました。プログラミング、システムエンジニア、システムアドミニストレーションなど多くの業務を経験できました。多少の実入りはありましたが、仕事をすることでお金以外のものをむしろ得られたと思っています。
大学では、4年5年と年次が上がると、データベースやデザインアーキテクチャなど、より現在進行形の技術やノウハウを学べるようになりました。AIもまだまだコンセプチュアルなものでしたが、現在に通じる基礎的な部分は学びました。それは現在の仕事にもつながっていると思います。
阿部川 お話を伺っていて2つのことを考えました。1つ目は、大学での勉強や当時の仕事を含めて、それら全てが現在のキリルさんの仕事や会社につながっているのだということ。2つ目は、「学ぶとはどういうことだろうか」ということです。
一方通行に知識を伝えるのではなく、ディスカッションを通じてお互いに切磋琢磨(せっさたくま)する、あるいは考え抜く力を育成する、これらが本当に学ぶということで、それをキリルさんはやっていたのではないか、ということです。
キリルさん 2つとも同感です。教授たちがそのようにフレキシブルに教育というものを捉えてくれていたらよかったのになあ、と思います。
10年前に最先端だった技術は、当然古くなります。しかし、技術そのもののコンセプトはある程度普遍的です。日々変わって進化していくテクニックそのものも大切ですが、それを支える考え方を学ぶことが、より大切だと思います。勉強は大学卒業後も終わるものではなく、ずっと学び続ける必要があると思うのです。
ハードウェアエンジニアの兄を追い、コンピュータの世界に入るも、人と「共に」何かをすることにより魅力を感じたキリル少年。2020年12月10日掲載の後編では、その特徴を生かしてIT企業を起業し、社内外と協働するようになるまで、そしてウクライナのエンジニアの特徴、などをお話いただいた。
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