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カナダのバスケ少年、ボーイング初のリモート製造に携わるGo AbekawaのGo Global!〜Philippe_Godbout編(前)(2/2 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はPhilippe Godbout(フィリップ・ゴドブ)氏にお話を伺う。豊かな自然とスポーツに囲まれすくすく育ったカナダの少年は、やがて「エンジニアリング」に魅了されていく。

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「ちょっとだけ先」の未来を考えて飛び込んだコンピュータ業界

阿部川 卒業後、2000年の4月にダッソーに入社されます。今とは違い、当時はエンジニアリングを学んだ学生の就職先は限られていたと思いますが、その中でもダッソーを選んだのはなぜでしょうか。

フィリップ氏 簡単に言えば、コンピュータ業界に将来性があると考えたからです。ダッソーはCADや3Dなどを手掛けていましたが、創業したばかりでスタートアップのような小さな企業でした。他にもインターンでお世話になっていた企業から声を掛けてもらっていたのですが、ちょっとだけ先の未来、例えば3年先はどうだろうかと考えたとき、この業界(コンピュータ業界)で頑張ろうと決めました。

阿部川 ダッソーではどんな仕事をされていたのですか。

フィリップ氏 ダッソーのビジネスモデルは、エンジニアを客先に派遣し、顧客と一緒に製品の開発や研究をするといったものでした。昼、夕方、夜という3つのシフトで機械を操作して業務をします。昼のシフトの人は現地の顧客の業務をします。夕方のシフトの人は、時差を利用して別の国や地域の顧客に向けた業務をします。夜のシフトは私たち新入社員にあてがわれた時間になります。この夜のシフトで私はCADシステム(現在のCATIAの前身)について学びました。

阿部川 同じ機械を使うのでシフトで分けていたのですね。

フィリップ氏 そうです。新入社員の同期は14人ほどいたのですが、実はこの時の仕事はその中から「顧客の業務に就ける新入社員を数人選ぶ」という目的がありました。

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現在のフィリップ・ゴドブ氏

阿部川 なんと。新人同士が競争しなければならない状況であることは知っていたのですか。

フィリップ氏 はっきりとは教えてもらっていませんでした(笑)。ただ、時間がたつに連れて「これは互いを競わせているな」と分かってきました。私たち全員が客先での業務に携わるわけではないと。それぞれのメンバーに対して、対応が少しずつ変わってきていましたから。

阿部川 選ばれなかった方々は、どうしたのですか。

フィリップ氏 別の業務を担当していました。プロジェクトには、顧客の3Dデザインを支援したり、データを分析したりといったさまざまな業務がありますので、客先に行かないメンバーもそれぞれ重要な役割を担っていました。私はできるだけ一所懸命に働き、ラッキーなことに本田技研工業(以下、ホンダ)の日本工場に行けることになりました。それが2000年の4月のことです。米国以外で、しかも英語圏ではない地域に初めて私が訪れた瞬間でした。

4年間自動車業界で働き、いよいよ飛行機業界へ

阿部川 そのときの日本の印象はいかがでしたか。

フィリップ氏 今でもよく覚えていますが、歩いているだけで私を指さす人がいたり、隠れながら見ている人がいたりしました(笑)。もう20年も前のことなので東京ならともかく、ホンダの工場がある栃木の宇都宮ではまだ外国人は珍しい存在だったのだと思います。

阿部川 物珍しさがあったのでしょうね。仕事を進める上ではいかがでしたか。

フィリップ氏 「国の違いは文化の違い」ですから、日本企業ならではの仕事の仕方に戸惑うことはありました。私はなるべく、日本人に近づこうと努力しました。言葉は話せなくとも、理解して行動することによって、日本の文化の一部になろうとしました。

 そうしていると徐々に「なぜそうするのか」の意味が分かってくる。それ(独特の仕事の仕方)があるからこそ、高い品質と技能が生かされた製品が日本から作り出されているということが理解できるようになりました。今日こうして私があるのも、あの時の経験があるからだと思っています。本質的なところで、日本の企業というものがどのようにしてビジネスを推進しているかということを教えてくれた経験でした。

阿部川 ダッソーはメルセデス・ベンツやBMWなど自動車業界のグローバル企業を顧客に持ちますが、フィリップさんの最初のキャリアが日本企業のホンダだというのは大変うれしく思います。その後、ボーイングの本拠地であるシアトルに赴任されますね。

フィリップ氏 はい。自動車業界で4年ほど業務を経験し、次はどの業界にチャレンジするのか会社に聞いたところ「航空機メーカーのボーイングでコンピュータ制御の航空機を作る」と。うれしかったですね。

 私のミッションは、ボーイングと協力し合いながら仕事ができる環境を構築することでした。ボーイングの飛行機を作る場合、それまではビジネスパートナーが部品と人をシアトルに集め、そこで飛行機をデザインし、製造し、出来上がった飛行機を別の場所に運ぶ必要がありました。そこでダッソーは、世界中にいるビジネスパートナーやサプライヤーが協力して飛行機を製造する新しい仕組みを考案しました。「ボーイング」をプラットフォームに見立て、リモートでデザインを完成させ、製造は各国の工場で実施するといった方式です。

 画期的な取り組みですが、うまく機能させるには世界中のサプライヤーの協力が不可欠です。そこで私は各国のサプライヤーと調整するため、文字通り世界中を飛び回りました。

阿部川 なるほど、ダッソーはCOVID-19が来る前からリモートでの業務に注力していたのですね。

フィリップ氏 そうですね、リモートで業務をするための基盤はできています。このインタビューのように、皆が協力して新しいことにもチャレンジしていますので、この状況でも従来とほとんど変わりなく仕事ができています。

阿部川 素晴らしいですね。そのころもCADやCAMがメインプロダクトだったのですか。

フィリップ氏 ちょうど現在では3D CADと呼んでいるものに移行していたころでした。ただ3Dデザインだけではなく、分析や仮想データを使ったシミュレーション、理想的な製造プロセスの提案などもしていました。いわゆるPLM(Product Lifecycle Management)ですね。

阿部川 自動車業界から飛行機業界、そしてPLMと業務の内容が変わっていったのですね。



 自然とスポーツを愛するカナダの少年は、小さなころから「チームで成果を出すこと」を強く意識していた。それはやがてグローバル企業を相手に世界中のチームを束ねる仕事へとつながっていく。後編は、コロナ禍によってリモートが常態化し、「つながりやすくなった世界」でエンジニアは何をすべきかについて問う。


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