カナダのバスケ少年、ボーイング初のリモート製造に携わる:Go AbekawaのGo Global!〜Philippe_Godbout編(前)(1/2 ページ)
グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はPhilippe Godbout(フィリップ・ゴドブ)氏にお話を伺う。豊かな自然とスポーツに囲まれすくすく育ったカナダの少年は、やがて「エンジニアリング」に魅了されていく。
世界で活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回ご登場いただくのはダッソー・システムズ(以下、ダッソー)の日本法人で代表取締役社長を務めるPhilippe Godbout(フィリップ・ゴドブ)氏。カナダの美しい自然とスポーツを愛する同氏が日本に来た理由とは。聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
帰り道は、僕たちだけのホッケー場だった
阿部川“Go”久広(以降、阿部川) 出身を教えていただけますか。
フィリップ氏 1976年にカナダのモントリオールで生まれました。
阿部川 モントリオールオリンピックが開催されたくらいの時期ですね。オリンピックが開催された都市ですから、小さなときからスポーツに興味があったのではないですか。
フィリップ氏 はい、今も昔もスポーツが大好きです。子どものころは友達と歩いていると、いつの間にかアイスホッケーが始まることもありました(笑)。家の近くには湖がありましたから、夏はウオータースキーもやれましたし、冬にはもちろんスキーもできました。
阿部川 素晴らしい環境ですね。日中は学校へ行き、放課後はスポーツをする、といった過ごし方だったのですか。
フィリップ氏 そうですね、小学校では放課後にさまざまなスポーツを楽しんでいましたし、中学校からはボーディングスクール(全寮制学校)に通わせてもらえましたので、そこに通っている7年くらいの間はずっとバスケットボールをやっていました。
阿部川 夢中だったのですね。さまざまな学びがあったかと思いますが、今振り返ると何が一番重要な学びでしたか。
フィリップ氏 一番といえばチームワークですね。チームワークとは「共通のゴールに向かって競い合うこと」であり、「正しいリーダーシップとは何かを理解すること」です。リーダーになりたい人が何人いたとしても、チームを一つにまとめるためには、リーダーは1人の方がいい。これらのことを学ぶ経験ができるということです。
阿部川 共通のゴールに向かってチームをまとめることは、ビジネスにおいても重要です。
フィリップ氏 おかげで現在私は、多くの人の強みや価値を理解して、それを束ねることができるようになったと思います。それともう一つ、「自分が輝けるタイミングを待つこと」も学びました。
当時私はチームの中では背が低かったので、「もっと背が高くなれば良いプレーができるのに」といつも思っていました。しかし実際に背が伸び出して気付きました。「思いをかなえるためには時間が必要なこともある。『そのとき』に自分が輝けるよう、学ぶべきタイミングがある」と。自分が意図した形とは違うかも知れませんが、そのときは必ず来ると思っています。
阿部川 機を読み、準備を整えるということですね。バスケットに夢中だったようですが、コンピュータなどには興味はありましたか。最初に出会ったコンピュータを覚えていれば教えていただけませんか。
フィリップ氏 ええ、覚えています。最初はゲームで、名前は「Commodore 64」(コモドール64)だったと思います。小学校の高学年くらいのときでした。その後に、少し大きなコンピュータで、確か「SuperXT」(編集注:恐らくIBM Personal Computer SuperXTのこと)という名前でした。「Lotus Notes1-2-3」などを使っていました。
阿部川 日常的にコンピュータを使うようになったのは大学生になってからですか。
フィリップ氏 そうです。特にコーディングができるようになったころ、よりコンピュータのことが好きになったと思います。大学入学前くらいのときでしょうか。いろいろと応用ができるようになったことで、より楽しくなりました。
「あんなに難しいと分かっていたら選ばなかったかも」
阿部川 大学はモントリオールのシャーブリック大学ですね。なぜこの大学を選んだのでしょうか。
フィリップ氏 1つは家から通える大学だったからです。湖のほとりにあり、非常に美しい家なんですよ。もう1つは企業との共同プログラムを実行していたからです。例えば最初の2年は通常通り大学の講義をして、その次の年はインターンシップに参加するといった具合に、毎学期ごとに、大学と企業を行ったり来たりするのです。私の得意分野はサイエンスでしたが、同時にビジネスにも関心がありました。本を読んだり、講義を受けたりするだけではつまらないと考えていたので、幾つかのインターンシッププログラムに参加しました。素晴らしい体験でした。
阿部川 面白い取り組みですね。学部は何を専攻されていたのですか。
フィリップ氏 機械工学部で、航空宇宙工学が専門でした。定員は20人と狭き門でしたが、航空機に興味があったので専攻しました。
阿部川 大学に在籍されていたのが1994年から1999年ですから、当時、航空工学はそれほど人気がなかったのではないでしょうか。
フィリップ氏 そうかもしれません。一番人気があったのは土木工学で、機械工学は確か二番目だったと思います。実は当時、航空工学を専攻することでしか、機械工学全般を学ぶことができなかったのです。コンピュータサイエンスやエンジニアリングといったクラスはありませんでした。
阿部川 そういった理由だったのですね。それにしても航空工学は大変難しい分野だと思います。苦労されたのではないですか。
フィリップ氏 正直言って、航空工学があんなに複雑で難しいものだとは思いませんでした。もし知っていたら、選ばなかったかも知れません(笑)。特にエアロダイナミックス(航空力学)のクラスは本当に特別でした。とはいえ「学問のコンセプト」は他の教科に比べてスッと理解できました。その意味で航空工学は私の性に合っていたのでしょうね。
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