書籍、アプリ、インターネット――両親が私にくれたもの:Go AbekawaのGo Global!〜Amy Dang編(前)(1/3 ページ)
メコン川の支流近くで育った女の子は、PCと出会い、プログラミングに没頭し、海外と共同研究を行うデータサイエンティストになった。
国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回は、日本のアニメ「NARUTO -ナルト-」などのデジタルコンテンツの開発、集約、配布をクロスメディアで提供しているベトナム企業「POPS Worldwide」で、Data Science Leadとして活躍しているAmy Dang(エイミー・ダン)さんに登場いただく。
聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。自然豊かな農村で育ち、絵を描くことが好きだった少女は、なぜテクノロジーの道に進むことになったのだろうか――。
放課後は、メコン川の支流で家族5人分の魚を釣る
阿部川“Go”久広(以降、阿部川) ご出身はどちらですか?
Amy Dang(エイミー・ダン、以降ダンさん) ホーチミン市から車やバイクで1時間半ほど離れた村で、1991年に生まれました。家族は父母と兄弟2人です。
実家は農家で、お米とサトウキビを1年ごとに収穫しています。サトウキビが豊作のときは本当にうれしくて、みんなで畑から採って食べたものです。
阿部川 どんなお子さんでしたか?
ダンさん とても内向的な子どもで、あまり友達と話しませんでした。幼稚園では1人で座って本を読んだり、粘土や台所用品で遊んだりしていました。私が生まれたころ、村はとても貧しくて、電気も通っていないし、テレビなどの電化製品もほとんどありませんでした。ですから、遊びはいつも自然の中でした。家の近くにメコン川から伸びる小さな支流があったので、土手を歩き回ったり、竹を切って作った釣りざおで釣りをしたり、川で泳いだりしました。
阿部川 小学生のころの典型的な1日教えていただけますか。
ダンさん 私の1日は、きっちり朝6時から夜9時まででした。朝6時に起きて学校に行き、8時から12時まで勉強します。帰宅したら、すぐに宿題をやらなければなりません。その後川に行って、近所の人がくれるおやつの豆腐を食べながら家族5人分の魚を捕りました。お肉は高いので、ほぼ毎日魚を捕って食べていました。
少し大きくなったころに両親がテレビを買ってくれたので、ニュースや映画やアニメを、夜7時から30分ぐらい見るようになりました。その後は兄弟3人でかくれんぼなどをして遊び、9時には両親から強制的に寝かしつけられました。
阿部川 学校の科目で得意だったのは何でしたか。
ダンさん 絵を描くのが好きなので、小学生のときは美術が得意でした。歯磨き粉などを製造販売するコルゲートのドローイングコンテストで賞をもらったこともありました。今でもスケッチや水彩画は続けています。プロになれるほどの腕前ではありませんが。
科学や数学も好きで、得意でした。中学生になると、美術の代わりに物理が得意になって、賞を取ったこともありました。結構簡単でした(笑)。それに比べると絵を描くことは下手でした。
阿部川 勉強が好きだったのですね。
ダンさん 学校で習う数学や物理はただ数字があるだけで退屈だったので、関連する本をたくさん読みました。読書をするといろいろなことを考えられます。電子レンジはどのような原理で動くのかなど、生活に関係することの方が私にはずっと面白かったのです。
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