人生に挫折は必要ですか?:おしえて、キラキラお兄さん(4/4 ページ)
朝6時に起床、日中は訓練で心身の鍛錬に励み、勤務後も銃剣道で心身の鍛錬に励む――そんな日々を送っていた自衛官は、一度は離れたシステム開発の夢を忘れられなかった。
もっとクリエイティビティを発揮したい、挑戦したい
「もっとクリエイティブに動きたいし、一からの創造も運用面もやってみたい。何より、自分がどこまでできるのか挑戦してみたい」――こうした思いが抑えきれなくなった尼崎さんは、再度の転職を決意した。そして転職活動を開始して出会ったのが、今の職場であるMCFだ。
他の企業と並行して面接を進めていた尼崎さんだったが、現在の上司に当たる二階義元さんとの面談を終えた後は一転、「MCFにするか、だめなら一からリセットしてやり直そう。消去法で決めるのはやめよう」と決意していた。
「なぜなら、二階さんの話が本当に面白かったんです。Tシャツというラフな格好で面接に登場したんですが、主力製品であるオンライン問診システム『SymView』について、裏側のインフラの話からユーザー導線の話に至るまで、一連の概要をたっぷり熱く教えてくれました。見掛けとのギャップにも萌えましたが、何より、入社するならこれくらい自社サービスの話で盛り上がれる会社に行かなきゃいけないな、ここに入りたいなと思いました」
決まった後の行動は早く、前職を辞してMCFに入社した。当初はサイネージシステムの開発に携わる予定だったが、折しも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響が全国的に拡大し、医療機関におけるオンライン診療のニーズが高まったこともあって、SymViewや患者アクセスツールの「tonect」の開発に携わっている。
仕様書に沿って決められたものを決められた通りに作っていたころとは異なり、デザインやユーザー導線も含め、自由にアイデアを出し、開発していける環境に「逆に戸惑いまくってしまいました」と尼崎さん。それでも「患者にとってどんな画面の見せ方がいいのか」「どんな形がいいか」、仮説を立てては試し、同僚や先輩エンジニアの意見を得ながら一から作り上げていく仕事に、手応えを感じている。
尼崎さんがこれまで経験してきた職場は、どちらかというと保守的な風土のところが多かった。だが、緊急事態宣言が出たらすぐにリモートワークに切り替え、Slack上でスピーディーに意思決定が進んでいくMCFの文化を驚きながら楽しんでいるところだ。
尼崎さんはこれからどんな道を歩もうと考えているのだろうか。
かつて「定年説」がささやかれた35歳を迎えたところだが、「35歳定年説はない、と答えます。なぜなら、手を動かせる人がエンジニアだからです」と即答する。逆にいえば「一から何かを作れなければエンジニアとはいえない」と考えている。この先もエンジニアとして、クリエイティビティを発揮しながらものを作っていくためにも、少し先を見ながら技術をキャッチアップしていきたいという。
もう一つ抱いている野望は、「二階さんに追い付くこと」だ。
「ただものを作るための技術力が高いだけでなく、システムをデザインするときの運用フローの捉え方がすごいんです。ユーザーがどうシステムに入ってきて、それに対しどんなふうにサービスを提供していくのかという全体像の考え方が素晴らしいので、少しでも追い付けるよう、アーキテクチャ全体を見通す力を付けていきたいと思っています」
進んでは壁にぶつかり、また別の方向を目指しては新たな壁にぶつかり……と紆余(うよ)曲折を経てきた尼崎さんだが、振り返ってみると、それらは全て今の尼崎さんに必要なステップだったかもしれない。「専門学校を出たてのころであれば、今自分がやっている事業を理解もできなければ、選ぼうとも思わなかっただろう」という尼崎さんは、挫折した経験もバネにして、これからも手を動かしていくという。
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