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ミャンマーの女性はエンジニアを目指すことをためらわないGo AbekawaのGo Global!〜Khine Zar Thwe(前)(2/2 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はAiritechのKhine Zar Thwe(カイザー・トウエ)さんにお話を伺う。「成功者といえば医者かエンジニア」という国で生まれた少女が日本への留学を決めたきっかけとは。

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大学進学後にアナリストとして活躍、そして日本へ

阿部川 その後、大学に進学されます。これは「モービン」と読むのでしょうか?

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阿部川 “Go”久広

カイザーさん モービンコンピュータ大学(University of Computer Studies,Maubin)です。ちなみに“モービン”は街の名前です。

阿部川 ミャンマーでは大学に進学する人と高校を卒業したら仕事に就く人とどちらが多いのでしょうか。

カイザーさん 一概にはいえないと思います。経済的な制約があって大学に進学できない人もいますし、高校を退学してしまう人も多くいます。わが家は両親がお金を用意してくれたので、私も妹も大学で勉強できました。


編集中村
編集 中村

 文部科学省資料によると、「ミャンマーの教育制度は「就学前教育」(3〜5歳)、「初等教育」(5〜10歳)、「中等教育」(10〜16歳前後)、「高等教育」(16歳以上)と分かれています。日本の大学に相当する高等教育の在籍率(進学率)は13%。中等教育でも51%と、ミャンマーにおいて「進学」は“当たり前の選択肢”ではないようです。ご両親は頑張りましたね……。


阿部川 大学ではどのようなことを学びましたか。

カイザーさん エンジニアを目指していましたので、技術分野を専攻しました。ハードウェアの保守や点検、ソフトウェアなどについて学びました。さらに修士に進んで、修了後はミャンマーの中央銀行でシステムアナリストとして2年半働きました。

阿部川 なるほど、日本に留学されたのはその後ですか?

カイザーさん はい。日本の文部科学省が奨学生を募集していたのでそれを使って長岡技術科学大学(以降、長岡技科大)に留学しました。長岡は、私にとって初めての外国の地でした。自国を出たのも初めてですし、パスポートを持ったのも初めてでした。

ミャンマーと日本で「学び」と「仕事」の経験値を増やす

阿部川 異国の地で毎日が刺激的だったのではないでしょうか。長岡技科大ではどんなことを学んだのですか。

カイザーさん マスターコースでマネジメントと情報システムのエンジニアリングを専攻しました。

阿部川 こうしてみると、コンピュータに関する大切な事項を、正しくステップを踏んで学んできていますね。最初は基礎的な技術から始まり、最後はマネジメントやシステム全体を学ばれています。

カイザーさん はい、全てとても楽しく学ぶことができました。

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長岡技科大の学位記授与式でのカイザーさん。はかまがお似合いです

阿部川 長岡技科大を卒業した後、そのまま日本で就職したのですか?

カイザーさん いいえ。卒業後はミャンマーに戻って日系企業に就職しました。留学前に実務も経験していましたから、エンジニアリング業務のマネジャーとして1年半勤めました。

阿部川 当時、将来についてはどのように考えていましたか。ずっとミャンマーで仕事をしたい、あるいはまた海外に出たいなどあると思いますが。

カイザーさん ミャンマーで学び、就職し、日本でさらに勉強し、またミャンマーに戻り――とやってきて、その間に結婚もしました。夫と話し合い、キャリアを広げるために海外で仕事をしようと日本に戻ることに決めました。


編集中村
編集 中村

 ミャンマーで育ち、日本で学び、ミャンマーで働き、再び日本へ……。なんというフットワークの軽さでしょうか!


阿部川 旦那さまのお仕事もエンジニアですか。

カイザーさん はい、私と同じ、エンジニアです。

阿部川 お二人で日本に来られて、お二人ともエンジニアとして就職なさった。超優秀なご夫婦ですね!


 日本とミャンマー、2つの国で学び、働いた経験は「国籍や性別に縛られない自由な発想」をカイザーさんにもたらした。後編はそんなカイザーさんが取り組んでいる社会活動について。

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