女子高生のころは、カエルの解剖が好きでした:Go AbekawaのGo Global!〜Umme Habiba Mim(前)(2/2 ページ)
グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はBFTのUmme Habiba Mim(ウッメ ハビバ ミム)さんにお話を伺う。化学に物理、宇宙が大好きな根っからの理系女子なウッメさんはなぜ日本を目指したのか。
ふと見たアニメで「居合道」に憧れる
阿部川 プログラミングの勉強がとても楽しかったのだと伝わってきます。大学時代は勉強以外にどんなことをしていましたか。
ウッメさん 空手をやっていました。居合道が好きで、何か近いことを習いたかったんです。
阿部川 居合道! どこで居合道を知ったのですか。
ウッメさん テレビでアニメ「るろうに剣心」をやっていたんです。刀がかっこいいなぁと思って見ているうちにはまりましたね。
阿部川 ただ、居合道そのものではなくて空手なんですね。
ウッメさん そうなんです。習いたくてもバングラデシュには居合道の道場がなくて。中国のカンフーと韓国のテコンドー、日本の空手の道場はあったので、空手を選びました。最初は母には秘密だったんです、きっと反対されるので。でも、空手の道着が見つかっちゃって……(笑)。
阿部川 あらら。それで辞めちゃったんですか?
ウッメさん いいえ。大学在学中はずっとやっていました。学校の近くに道場があったので、帰るときに(通っていました)。今は土日くらいしか時間がないのでやっていません。
阿部川 せっかく日本にいらっしゃるのですからやってみたらいいと思います。習い事の他に何かしていましたか、アルバイトとか。
ウッメさん たまにですけれど家庭教師をやっていました。
阿部川 理想的な大学生活ですね。勉強を一生懸命やって、家庭教師で自分にも勉強になるし、お金も入るし。で、お金が入ったら空手の道場に行くという。楽しかったのではないですか。
ウッメさん うーん、今は「楽しかったな」と振り返れますが、当時はそう思わなかったですね。小学校や中学校、高校の方が楽しかったと思っていました。小学校から高校まで12年、ずっと同じ女子校だったんです。(その友達と離れて)結構寂しい思いが強かったからです。
阿部川 12年同じ学校で同じお友達で、それが大学に入ったらバラバラになった。ちょっと寂しいかもしれませんね。コンピュータサイエンスを専攻するくらいですから、将来はエンジニアになることを考えていたのでしょうか。
ウッメさん そうですね。バングラデシュで「なりたい職業」として有名なのは医者とエンジニアなんですが、医者にはなれないと思っていたので、自然とエンジニアになろうと考えていました。
マイクロソフトバングラディッシュや政府プロジェクトに参加
阿部川 もう将来のイメージができていたということですね。卒業して1年ぐらいはバングラデシュにいたということですが、卒業して最初の仕事は何でしたか。
ウッメさん 最初の仕事は、マイクロソフトバングラデシュのプロジェクトにインターンとして入りました。あと、フリーランスみたいな形でちょっとした開発をやりました。マイクロソフトバンクラディッシュでは、ドローンを使って消火する――消防の無人機に関するプロジェクトに携わっていました。
将来のイメージができていると、仕事に対する姿勢も変わってくるのでしょう。大学卒業直後にMicrosoftの関連企業でインターンをしつつ、フリーランス的な活躍をするなんてすごいと思います。この時点でウッメさんは「働き方の基礎」が出来上がっていたのではないでしょうか。
阿部川 素晴らしいプロジェクトですね。ドローンのプログラミングをしたということですか?
ウッメさん プログラミングもありましたし、ドローンを遠隔操作することもありました。私がいたときは製品化までは行かなくて実証実験のような段階でしたけれども。
阿部川 そういった実験が今後生きてくるんでしょうね。それが積み重なって製品が作られるのですから。開発もしていたということですが、どこで開発を学んだのですか。
ウッメさん government(政府)のプロジェクトにプログラミング言語やWebサイトの作成を教えるコースがあって、そこに参加していたのです。いろいろなプロジェクトがあり、興味があれば参加する、といった感じで。そこでWebサイトなどの開発をしました。
阿部川 なるほど、そういった活動を1年くらいされて来日されるわけですね。なぜ日本で働こうと思ったのですか。
ウッメさん そのころ、仕事するか勉強するか、バングラディッシュにいるか海外に住もうかいろいろ考えていました。悩んでも悩んでも何をすればいいかがはっきりしません。そんなときにプロジェクトの先生が「JICA(国際協力機構)のプロジェクトに参加して面接を通ったら、日本の会社に勤められる」と教えてくれたのです。それで「わー、すごい。日本に行ける! 子どものころから好きな日本に!」(と思って)。
阿部川 そこで盛り上がって決まったわけですね。そんなに日本のことを好きでいただけると大変ありがたいです。
憧れの宇宙飛行士になるため、理系の知識を蓄え、自然とエンジニアの道を歩み始めたウッメさんは、さまざまな巡り合わせで日本に渡ることになる。後編は日本とバングラディッシュの違いや将来の夢について。
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