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医者にもなれる成績だったけどプログラマーを目指した。それが海外に出る近道だったからGo AbekawaのGo Global!〜Hsu Myat Thida(前)(2/3 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はエアリテックでシステムエンジニアとして働く、Hsu Myat Thida(ス・ミャッ・ティダ)さんにお話を伺う。小さいころから「納得」を重視していたスさんは、なぜITの道を志したのか。

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ITの仕事に就くため、ひたすら勉強

阿部川 ミャンマーの教育のシステムはどのようになっていますか。日本と同じで幼稚園、小学校、中学校、高校、大学といった感じですか。

スさん そうですね。小学校は6年、中学校は3年、高校が2年、それで後は大学ですね。ああ、大学のくくりは日本とちょっと違うかもしれません。日本は専門学校と大学を区別して呼びますが、ミャンマーではどちらも大学です。

阿部川 なるほど。スさんは2007年にNCC Educationというところでコンピュータサイエンスの学位(ディプロマ)を得ています。このNCC Educationというのは、大学ですか。

スさん 大学ではなく、ヤンゴンにある私立学校です。海外の大学から言語やITに対する学位を取得できるんです。

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インタビュー中のスさん

 ミャンマーでは自分が好きな学校に行けるわけではなくて、高校卒業時の点数で行ける学校が決まります。私の点数は医学部にも行けるレベルでしたが、医者ではなくプログラマーなどITに関する仕事をしたいと思っていたので、NCC Educationに進学しました。

阿部川 翌年の2008年には「University of Distance Education」に進学されます。

スさん はい。ここの大学は、英語専門の学部であれば毎日通学しなくてもよくて、1年に10日間だけ(物理的に)通学して試験を受けるスタイルです。通学が少ない分、土日も本を見て自習したりしなくちゃいけないんですけど。大学に進学した理由としては海外で働きたかったからです。海外で仕事をするためには、大学を卒業した証明が必要なんです。

阿部川 ITとそれに関連するビジネスと英語を勉強する感じでしょうか。

スさん そうですね。技術だけではなくて、ビジネスに関するビジネスコミュニケーシェンやビジネスマネジメントも学びました。

 ディプロマは1年間だけなので、その後もう1段階進むかどうかは悩みました。ちょうどそのころ、日系企業のMyanmar DCR(ミャンマー第一コンピュータリソース)という企業が説明会をやっていて。「大学1生年で経験がなくても、テストに合格できたら入社できます」ということだったので、チャレンジしたら合格しました。2008年に採用されて、半年ぐらい日本語の勉強をして、2009年に入社しました。

阿部川 ということは、大学で勉強しながらMyanmar DCRで働いていたのですね。大変だったでしょう。


編集中村
編集 中村

 ここまでさらりとお話しされていますが、高校卒業時点で将来を見越した大学(しかも毎日通学しなくていい、など諸条件を加味した上)を選び、在学中に企業説明会に参加し、外国語(日本語)の会社に入社してしまうというのは、ものすごいですよね。それだけ海外や仕事に対するイメージが明確で、強い意志を持っていたのではないかと思います。


スさん はい、やることがちょっと多過ぎましたね。大学の実習をしないといけませんし、日本語とITの学校にも行かなきゃいけなかった。午前中は日本語とITのクラスに行って、午後は会社に戻って仕事する、そして土日は大学の勉強といった感じで休みなく、勉強と仕事をしていました。

阿部川 すごいですね、忙しくしてらして。でも大変素晴らしいですね。

スさん 大変でしたが、興味があるものだから楽しかったですね。自分はこうなりたい、このようにしたらなりたいことに絶対なれると信じていたので。

阿部川 その通りだと思います。ちゃんとこれをやればこういう風になるって分かっていたから続いたんでしょうね。

スさん そうかもしれません。子どものころから両親を見てプログラマーになりたいという思いがとてもありました。Myanmar DCRではキャリアとは何か、PM(プロジェクトマネジャー)やITコンサルタントの仕事はどんなものか、目標をどうするかを教えてもらい、何になりたいかということを勉強しました。

阿部川 Myanmar DCRには2年ちょっと勤められました。来日はその後すぐ、といった感じですか。

スさん いいえ、その後1年くらいオフショア開発をやってる会社で働きました。Myanmar DCRを退職した時点では大学を卒業していなくて(就労)ビザがもらえないので、外国では働けません。また、Myanmar DCRの経験だけだったら(社会で通用するか)分からないと思ったので、大学卒業前にその会社に転職しました。

 卒業後はシンガポールに行って、そこ(シンガポール)での仕事の仕方を学びました。開発のやり方とかあるじゃないですか、ライフサイクル通りにドキュメントを用意するとか。前職ではちゃんと仕様書などを書いて、全部決めてから開発という仕組みだったんですが、シンガポールのやり方がそれと同じかどうか、私と合うかどうかが気になっていたんです。合わないと長く仕事できませんからね。


編集中村
編集 中村

 数年仕事をしてみて、同業他社もしくは異業種への転職を考えることはありますが、「異国」が選択肢に入ってくるところがスさんのすごいところです。客観的な視点と行動力、そして現状維持に甘んじない向上心を持っているのだと思います。


 実際仕事をしてみると、シンガポールでは、仕様書を決めてから開発するわけではなく、設計書とや仕様書を残さずに開発することが多かったのです。それは私の性格と合わないので「では日本に行こう」と思うようになりました。Myanmar DCRで働いていたときの上司が日本人だったので、その人と連絡を取り、面接などをして日本に来ることになりました。

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