「Apple II」に「Lisa」、そして「Macintosh」 私の青春はAppleとともにあった:Go AbekawaのGo Global!〜アンドリューさんFrom米国(前)(2/2 ページ)
グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はClarisでプロダクトマーケティングとエバンジェリズム担当ディレクターとして活躍するAndrew LeCates(アンドリュー・ルケイツ)さんにお話を伺う。昔からオタク気質で、朝から晩までコンピュータをいじっていたアンドリューさんが「データベース」に魅了されたきっかけとは。
データベースとの出会いは牧場?
阿部川 データベースに出会ったきっかけは何でしたか。
アンドリューさん 大学時代の夏休みにやったアルバイトです。そこは農業系の大学で、牛やヤギなどを世話する必要があります。そこで「家畜の成長をトラッキングするためのデータベースを作れないか」と頼まれたのです。それでリレーショナルデータベースやデータベースの仕組みなどを学ぶうちに「これは面白い」と思うようになりました。
阿部川 もしかして、そこで出会ったのが「Claris FileMaker」だったのですか。
アンドリューさん その通りです。GUIでデータベースを構築するという、全く新しいアイデアに魅力を感じました。これが仕事になるといいなあと思っていたら、ラッキーにもこうして、ここで仕事ができるようになりました(笑)。
阿部川 それはラッキーでしたね。入社時(1990年)は、ClarisはAppleの1部門だったのですよね。
アンドリューさん 当時のプランではClarisはAppleから独立した法人になる予定だったと聞いています。ただ、私が入って間もなくAppleの1部門として運営されることになったようです。私はまだ23歳でしたので、そういった経営判断には関わっていませんでしたけれど。
阿部川 入社は大学を卒業されてからですよね?
アンドリューさん いいえ。大学は中退してすぐにビジネスの世界に飛び込みました。もし卒業していたらその後の人生は変わったかもしれません。大学での教育は素晴らしいものでしたし、ビジネスの世界に飛び込んだことも良かったと思います。もちろん後悔はありません。
エンジニア、営業、そしてコンサルタントの経験を積む
阿部川 入社当時はどういった仕事をしていたのですか
アンドリューさん フィールドエンジニアやセールスレップ(営業代理人)をやりました。顧客のところに出向いて、ソフトウェアのコンセプトを説明したり、利用方法を教えたりという仕事でした。FileMakerの開発にも携わりましたね。それ以外の「MacDrow」「MacPaint」「Claris CAD」などの製品についても、開発やデモンストレーション、トレーニングなどで関わっています。黎明期でしたから、本当にいろいろやりました。
営業に開発、トレーニングと、スタートアップの社長のような働きぶりですね。行動力と意欲にあふれていたのでしょう。お話を聞いているだけでも当時の「これから何かが始まる」といったワクワク感を感じました。
阿部川 当時の主要顧客は、企業のユーザーですか。
アンドリューさん そうです。Macintosh自体まだ新しかったのですが、企業内のユーザーがどんどん増えていました。ハードを買えば、当然、スプレッドシートやドキュメントソフトウェアが必要になりますし、データベースも欲しくなります。企業側の視点でいえば、さまざまな業種、業界が顧客になり出した時期でした。また、いわゆる中小企業もMacやFileMaker、スプレッドシートを使ってビジネスするようになっていました。
阿部川 なるほど。そうして6〜7年ほど従事した後、1997年にモイヤーグループに移りますね。
アンドリューさん はい。創設者のクリス・モイヤー氏は友人で、Clarisでは同僚として一緒に仕事をしていました。これは彼が書いた本です(と『Using FILEMAKER Pro3 for the Mac』の表紙をカメラに近づける)。コンサルタントとして活躍していて、多くの優良顧客にも恵まれていました。そんな彼が誘ってくれたので、4年半、一緒にコンサルタントの仕事をしました。
阿部川 そして4年後、再度Appleに入社されます。これはなぜでしょう?
アンドリューさん モイヤーグループに入ってからもAppleの社員とは常にコンタクトを取っていまして、そのころ「開発やコンサルティングができる人材を求めている」と聞いたのです。コンサルタントの仕事は嫌いではありませんでしたが、Clarisの立場でいろいろなことを解決したり、それを可能にする製品を開発したりする方が、より多くの人々の問題解決を手助けできると考え、戻ることにしました。
阿部川 ええと、確かそのころClarisは組織から企業になったのですよね。
アンドリューさん はい。1998年にFileMaker製品を展開する企業になりました。FileMaker以外のClaris製品はAppleに残りました。そこからの20年近くは「FileMaker, Inc.」という企業名でしたが、2019年にClarisになりました。
1日中、コンピュータとにらめっこしていた「オタク」はFileMakerでデータベースの魅力に気付き「技術者」へと進化。やがてデータの魅力と問題解決の方法を伝える「コンサルタント」になる。果たしてアンドリューさんが次の目指すものは? 後半は現在のお仕事と、今後の展望について伺った。
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