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学校帰りは「PCバンでオンラインゲーム」が、韓国の子どもの日常Go AbekawaのGo Global!〜韓さんFrom韓国(前)(2/3 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はアイディスでゲーム開発に携わる韓相恩(ハン・サンウン)さんにお話を伺う。大学では機械工学科を専攻したハンさんは、何のきっかけでゲーム業界を目指したのか。

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ゲームの業界もプログラミングを生かせる仕事だと気付いた

阿部川 そして日本の神戸大学に合格します。高校卒業後、すぐ日本に来たのですか。

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学生時代のハンさん

ハンさん はい。大学に受かったのは高校3年生のときで、その後、日本に来ました。ただ、大学で授業を受け始めたのは来日してから1年後です。その間、大学に用意してもらった機関(大学の学習カリキュラム?)で日本語を勉強していました。

阿部川 初めての日本はどうでしたか。

ハンさん 高校の修学旅行先が日本だったので、厳密には初めての日本ではありません。修学旅行のときも関西方面に来ていたので、初めての感じはそれほどなかったですね。

阿部川 工学科専攻ということでしたが専攻は機械工学科ですね。どんな勉強をしましたか? 工学科だと直接ゲームに関連するものではないですよね。

ハンさん そうですね、ただ、プログラミングの授業はありましたよ。勉強は流体力学など力学系がメインでしたが、その計算のためにプログラミングも学びました。思い返すと直接的には影響しなくても、仕事をする上で重要なことをいろいろ学んだと思います。

阿部川 在学中はゲーム関係に進もう、といった考えはありましたか。

ハンさん そこまで具体的には考えていませんでした。何となく材料系や制御系かな、と思っていましたが、プログラミングの方が面白いし、成績も良かったので、それを生かしたいとも思っていました。そういった感じで探していたら、もともと好きだったゲームの業界もプログラミングを生かせる仕事だと気付いたのです。

阿部川 プログラミングの授業を取っておいてよかったですね。大学時代のことで印象に残っていることはありますか。

ハンさん 当時は就職先を日本にするとは決めていなかったので、大学にいる間にいっぱい旅行に行こうと思って、冬休みなどの休みにはよく出掛けていました。沖縄、九州……考えてみたら日本全国ほぼ行きましたね(笑)。4年間、夏休みも冬休みも全部旅行に使いました。

阿部川 それはお金がかかりますね。アルバイトはしていましたか。

ハンさん そうですね、奨学金はもらっていましたけどアルバイトもしました。翻訳や通訳、居酒屋でも働きました。敬語は居酒屋のアルバイトで学びましたね(笑)。ああ、そういえば日本に来てから『PlayStation』などコンシューマー向けゲーム機をやり始めました。


編集中村
編集 中村

PCゲームはマウスとキーボードを使うことが多いので、ハンさんはこのとき初めてコントローラーの使い方を知ったそうです。周りにいる、ゲームをする友達が男性ばかりだったので、やるゲームも格闘技やスポーツなど男性が好きなゲームに偏っていたそうです(笑)。


そしてゲーム業界へ

阿部川 小さいころほどではないでしょうけれど、引き続きゲームは好きだったのですね。そして大学卒業後、ゲーム会社に入社されます。

ハンさん はい。1社目は本当に小さい会社で、先輩が5〜6人で作ったものでした。私はゲームの学校を卒業したわけではなかったので、いきなり大きなところに行くのではなく、小規模な会社で勉強しながら働こうと思ったのです。そこで今も使っている「Unity」(ゲーム開発環境、もしくはゲームの運用プラットフォーム)を独学で勉強しました。1年後にちょっと大きい会社に転職し、エンジニアとして仕事を始めました。

阿部川 それらの会社は神戸にあったのですか?

ハンさん ええと、先輩が作った会社にいるときは、基本オンラインでしたし、私もソウルと日本を行ったり来たりといった生活をしていましたので拠点は決まっていませんでした。その次の会社は東京にあって、そこからは私の拠点も東京になりました。

阿部川 それらの会社ではどんなゲームを作ったのですか。

ハンさん ジャンルでいうとRTSに近いもので、ユーザーを1対1でマッチングさせ、それぞれの持ちキャラクターが戦うゲームでした。プラットフォームは「Android」と「iOS」。先輩たちの会社で働いていた時は、モバイル端末内で完結する、サーバとの通信がいらないパズルゲームなどを作っていたのですが、2つ目の会社では他のプレイヤーとマッチングするサーバとのやりとりがあるゲームだったので、結構勉強しましたね。

阿部川 1社目で勉強したUnityのスキルを生かしたわけですね。そこからまた転職されますね。なぜでしょうか。

ハンさん 2つ目の会社がゲーム事業を畳むことになったのです。でも、自分としてはまだゲーム業界で仕事をしていたいと思い、転職を決めました。

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旅行中の一枚。こちらは和歌山に出掛けたときのものだそうです。

阿部川 開発するゲームはやはりRTS系?

ハンさん いいえ、そこからは多様なジャンルに携わるようになりました。RPG(ロールプレイングゲーム)や教育系、知育系、音楽のゲームも作りましたね。年に1回くらいの頻度でプロジェクトが変わったので、いろいろなジャンルに関われました。受託開発が基本だったので、複数のプロジェクトを同時進行するというよりは1個終わったら次、終わったらまたその次という感じでした。そこでは3年ぐらい働きました。


編集中村
編集 中村

コンシューマー向けゲームは開発に数年かかることもあるので、そう考えるとモバイルゲームの入れ替わりが激しいのも納得できますね。一つ一つ集中しながら短期間(1年単位)で多様なゲーム開発に携われたことは、きっとハンさんにとって大きな財産になったのではないでしょうか。


阿部川 そこに3年ほどいらして、また転職したんですね。仕事上で何か変化はありましたか。

ハンさん そうですね、作るゲームは変わりませんが、サブリーダーやリーダーをやるようになりました。後は、スマートフォン以外に、『Nintendo Switch』(以下、Switch)のゲームにも関わるようになりました。

阿部川 サブリーダーやリーダーになるとやはり違いますか?

ハンさん はい。自分が手を動かすより、説明するタスクが多くなりました。与えられたのを実装するのではなくて、企画と話してこうした方がいいとか、これは難しいとか、そういうのを説明して決めないといけない。説明するにしても、企画に対しての説明だけじゃなくて、エンジニアに対してもこういう設計にした方がいいなどを説明しないといけなくなるので、仕事の進め方はだいぶ変わりましたね。

阿部川 全然違いますよね、プロジェクトを動かす責任が出てきますから。

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