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プログラミングはアートだ! 「逆境」を「幸運」へと読み替えてきた男の哲学Go AbekawaのGo Global! ヒュージさん from ブラジル(1/3 ページ)

ブラジルから7歳で来日し、言葉の壁や不登校といった「暗黒時代」を経験した高田・ビニシウス・ヒュージ氏。彼は人生の転機を常に「運が良かった」と語るが、その裏には不条理を自らの意志でポジティブに読み替え、再生してきた強固な哲学がある。

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 「プログラミング言語はアートだし、コードを書くこともアートです」

 そう語る高田・ビニシウス・ヒュージ氏のまなざしは、冷静な技術者のそれではなく、自身の作品を慈しむ芸術家のそれだ。AI(人工知能)が秒進分歩で進化し、効率性が全てを支配しようとする現代において、彼はあえて「美しさ」や「楽しさ」という、数値化できない感性の領域に立ち続ける。

 ITソリューションを提供するフリースタイルで、社内エンジニアの教育を担当しているヒュージ氏。彼はテックトレーニングチーム係長として、IT初心者を技術者へと導く教育プログラムを作成したり、初心者向け解説動画に出演したりしている。彼の人生というキャンバスに描かれてきたのは、決して華やかな色彩ばかりではなかった。ブラジルからの移住、言葉の壁、そして不登校――彼はそのたびに、本来なら「不運」と呼ぶべき出来事を、自らの意志で「幸運」という名の色彩へと塗り替えてきた。

 「僕は本当に運が良かったんです」――そう繰り返す彼の言葉の裏には、逆境をポジティブに読み替え、自らの成長へと結び付けてきた強固な哲学がある。現在、IT初心者を技術者へと導く「教育のアーティスト」として活躍する彼の、数奇で、かつ幸福な軌跡を追った。


高田・ビニシウス・ヒュージ氏 フリースタイル テックトレーニングチーム 係長

アフターAIで必要になるのは、上流工程のエンジニア

 エンジニアとしてのキャリアと、7年に及ぶ教育現場での経験。その双方を併せ持つヒュージ氏が考えるエンジニア像は、単純な「作業者」ではない。AIの進化が加速し、コーディングの価値が変容する中で、彼が重視するのは「基礎への理解」と「上流への志向」である。

 「将来的にIT業界でどういうエンジニアが必要になるのかを考えると、いわゆる上流工程がやれる人だと思います。設計であったり、広い範囲で技術を考えてどうあるべきかを考えられたりする人が、今後メインになっていくと思います」

 彼が設計した教育カリキュラムは、単にコードが書けるようになることをゴールとしていない。オブジェクト指向の深い理解や、開発工程全体の把握――それは、AIには代替できない「思考するエンジニア」を育てるための挑戦でもある。

 「基礎を理解した上でちゃんと思考して設計する、そこに需要が集中していくでしょう。また、新しいものに対して、取りあえずやってみよう、どういうものか知ってみよう、というマインドは、必須になると思います」

言語や文化の違いになじめず不登校に だが「私は運が良かった」

 1993年、ブラジル サンパウロ州ののどかな田舎町、ミランドポリス市にヒュージ氏は生まれた。日系の父とブラジル人の母を持ち、家族の絆は深かったが、経済的な事情から両親は日本へ出稼ぎに出ることとなる。寂しい子ども時代を過ごしたが、7歳の時、家族そろって日本へ移住することになり、群馬県太田市での新生活が始まった。

 当初、ブラジル人が多いコミュニティーの中でブラジル移民向けの学校に通っていたヒュージ氏にとって、日本語は遠い存在であった。しかし小学5年生の時に日本の公立小学校へ編入したことで、世界は一変する。言葉が分からず、何が起きているのかさえつかめない日々が始まったのだ。彼はここで、最初の「運の良さ」をアピールする。

 「運のいいことに、転入した小学校は外国籍の生徒のための日本語教室などもある模範校でした。そこで徐々に言葉を覚えました」


ブラジルにいた頃のヒュージ氏

 だが、中学1年生の秋に愛知県へと転居。彼の心は、くしゃりと折れた。

 「太田で友達もできて『これから』というタイミングで引っ越すことになったんです。外国籍の生徒が多い中学でしたが、文化的に分断されている印象でした。そういうところが個人的にきつくて、2年生に入ったぐらいの時に限界が来たんです。記憶がほとんどないぐらい。暗黒時代でした」

 学校から足が遠のき、数カ月の不登校期間を経験した。だが、ここで彼は「恩人」に出会う。自宅まで何度も足を運び、根気強く対話を続けてくれた担任教師の存在である。

 「先生のおかげで学校に行ってみようという気持ちになってきました。しかし、いきなり週5で通学するのは難しかった。『だったら、週2や週3でもいいよ』と先生が言ってくれて、少しずつ慣らす時期を経て、また学校に行けるようになったんです」

 恩師との出会いがなければ、今の自分は存在しない。彼はその事実を「運が良かった」と振り返る。

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