Windows XPでコンシューマ・ユーザーが手にするもの

小川 誉久
2001/03/22


 長年にわたり苦楽をともにしてきた古い友人が、間もなく臨終を迎えようとしている。

 華々しいWindows XPの発表の影で、ビル・ゲイツやスティーブ・バルマーなど、Microsoftの幹部たちはそんな感傷に浸っているのかもしれない。そう。Windows XPの登場によって、マイクロソフトを「帝国」と呼ばせしめるに至った原動力、16bit Windowsの灯が消えるからだ。

WindowsはMS-DOSのオマケだった

 マイクロソフトが帝国への階段の第一歩を踏み出したのは、影も形もないPC用OS、MS-DOSをIBMに売り込んだ瞬間だとされる。小型のPC分野でAppleに出遅れたIBMは、OSを自社開発するのではなく、外部に委託するという異例の決定をし、ビル・ゲイツと向き合っていた。当時Basic言語の開発で名を馳せていたビル・ゲイツは、IBMが新しく開発するパーソナル・コンピュータ、IBM-PC用DOSの提供をIBMに約束する。まだ開発も始めていないのに、だ。急遽ビル・ゲイツは、86-DOSと呼ばれるPC用OSを買収し、これをMS-DOSの土台とした。

 OSといっても、このMS-DOSは実質的にはプログラム・ローダであり、メモリには常駐しているものの、アプリケーションを実行している最中には、ほとんど呼び出されることがない。当時のPCはあまりに非力で、アプリケーションが使えるメモリやディスク容量を押し分けて、OSが高機能化することなどできなかったからだ。

 初期のWindowsは、この16bit OSであるMS-DOSに追加することで、グラフィカルな操作環境を提供するシェルとして開発が進められた。OSはあくまでMS-DOS、そしてユーザーインターフェイスを担当するのがWindowsというわけだ。しかし大方の予想どおり、Windowsの開発は難航した。プロセッサ性能にしろ、メモリやディスク容量にしろ、WindowsはMS-DOSのそれを一段越えるスペックを必要としたのだが、PCが非常に高価だった当時は、「高くて遅いWindowsなんか誰が使うか。軽快なDOSで十分」と考えるユーザーが支配的だったからである。

死にかけの16bit Windows

 16bit Windowsは、今まで何度も死にかけている。まずはMS-DOSの後継として、IBMとMicrosoftがOS/2という新しいOSの共同開発を発表したとき。OS/2は本格的なマルチタスク/マルチスレッド機能に加え、PM(Presentation Manager)と呼ばれるグラフィカル・ユーザーインターフェイスも備えていた。DOSのオマケであるWindowsなんてもはやお払い箱、と誰もが思った。しかしその後Microsoftは、OS/2の共同開発から電撃的に撤退し、自社開発のWindows開発に注力すると発表する。

 次はWindows NTが登場したとき。当時はWindows 3.0やWindows 3.1の発売が開始され(米国では特にネットワーク機能を強化したWindows for Workgroups 3.11が普及していた)、Windowsが急速な普及期を迎えていた。しかしプロセッサが16bitの80286から、i386やi486へと32bit化するなかで、主に互換性の理由などから、これらのWindowsは旧態依然とした16bitのままだった。この16bit Windowsを片手で売りまくりながら、もう一方の手でMicrosoftは新しいフル32bit OSの開発に着手していた。これがWindows NTである(Windows NTの歴史については、別稿の「特集:Windows 2000とは何か?(改訂新版) Windows NTの歴史」を参照)。

 Windows NTの登場により、やがて古い16bit Windowsは市場から消えて、32bitのWindows NTに一本化されるとだれもが考えた。しかしMicrosoftは、16bit Windowsをベースに、一部を32bit化し、グラフィカル・ユーザーインターフェイスを一新したWindows 95を発表。このWindows 95の爆発的な普及により、Microsoftは「帝国」の称号を確固たるものにした。

Windows Meは建て増しを繰り返した温泉ホテル

 多少のブラッシュアップはあるにせよ、現在販売されているWindows Meの中身は、このWindows 95と何も変わらない。その内部には、MS-DOS用のグラフィカル・インターフェイスとして開発された16bitコードが今なお息づいている。事実、Windows Meの上でアプリケーションを実行すると、32bitコードから16bitコードを呼び出すために、あるいは逆に、16bitコードから32bitコードに制御を戻すために、サンク(thunk)と呼ばれるしくみが常に実行されている。またWindows Meには、16bitアドレスでアクセスするという伝統を守るために、64Kbytesまでに使用が制限されるバッファがさまざまなところにある。このうち悪名高いのはシステムリソースであり、不足しそうなバッファに対しては、対症療法的な対策が打たれているものの、根本的な解決はなされていない(16bit Windowsの歴史と制限については、別稿の「特集:Windows 9x or Windows 2000? Windowsの歴史、メモリの歴史」を参照)。

 16bit Windowsの流れを汲むWindows Meは、まるで増築に増築を重ねた温泉ホテルのように入り組んでいる(そして今なお、旧館も改修され健在である)。不思議なのは、このように入り組んで、一部には古いコードを残すWindows Meが、大量のメモリを搭載する最新のPC環境で、巨大なアプリケーションを実行する土台として立派に機能しているということだ。正直なところ、Windowsと長年つきあってきた筆者としては、ある種、神業的なものを感じてしまう。Microsoftの本当の技術力は、こんなところに発揮されているのではないか?

漠然とした安心

 さて、紆余曲折を経ながら、Microsoftを帝国へと導いた16bit Windowsは、Windows XPの登場によって市場から姿を消す。Microsoftはこの点について多くを語らないが、Windows XPによってMicrosoftが踏みしめる大きな一歩は、実はこの点にある。

 新しいグラフィカル・ユーザーインターフェイスや強化されたマルチメディア機能、複数ユーザーでの円滑な切り替え機能などに目を奪われてはいけない。Windows XPによってコンシューマ・ユーザーが手にするものは、「大量のアプリケーションを同時実行しても、空きメモリがあるにもかかわらず、メモリ不足などと不条理な文句を言われなくなった」、「そういわれれば、システムが挙動不審に陥って、リセット・ボタンを押す回数が減った気がする」というような、言われて初めて気が付くような、それでいて最も大切な、漠然とした環境に対する安心ではないかと思う。End of Article


小川 誉久(おがわ よしひさ)
株式会社デジタルアドバンテージ 代表取締役社長。東京農工大学 工学部 材料システム工学科卒。'86年 カシオ計算機株式会社 入社、オフコン向けのBASICインタープリタの開発、Cコンパイラのメンテナンスなどを行う。'89年 株式会社アスキー 出版局 第一書籍編集部入社、書籍編集者を経て、月刊スーパーアスキーの創刊に参画。'94年月刊スーパーアスキー デスク、'95年 同副編集長、'97年 同編集長に就任。'98年 月刊スーパーアスキーの休刊を機に株式会社アスキーを退職、デジタルアドバンテージを設立した。現Windows 2000 Insider編集長。

「Opinion」



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