第162回 クルマの自動運転に求められること:頭脳放談
自動車の自動運転技術に対する注目が急速に高まっている。自動運転というのは、いわばクルマに自前の目や脳を載せるという技術である。半導体技術が支える面も大きい。そこには、まだいくつかの課題がありそうだ。
このところ報道が相次いだので「すでにできてしまった」感がみなぎっているのが、自動車の自動運転という技術じゃないだろうか。1社の発表がトリガーとなって、あちらこちらの発表が雪崩を打った感じである。各社ともそう遠くない将来(ほとんど横一線的な時期に設定されてしまったが)に販売すると発表してしまったのだからすごい。まぁ、自分の会社だけが遅れをとっていると思われるわけにもいかないので、横並びの発表となったのだろうが、「ウチもやっている」と直ぐに手が上がるということは、みなさん漏れなく相当前から「仕込んであった」に違いない。
実際、研究開発のレベルでは大分前から盛り上がりをみせていた。それが一気に発売までのロードマップが引かれてしまった感じだ。その競争は自動車会社だけではとどまらず、ある国のXXが進んでいるという事例がもてはやされると、実はうちの国のYYもとなって、国家間の競争にもつながって全世界的に盛り上がってしまった感じである。それだけ自動車産業は規模も大きく、裾野も広いということだろう。さらにいえば、自動運転でほかに先駆けて話題を提供してきたのが、異業種に参入してはその既存秩序をひっくり返してきたGoogleであることも大きいだろう。地力も技術力も立派な自動車業界、特に日本の自動車業界にしたら、脆弱にもやられてしまった日本の電子産業の二の舞にはならないぞ、という決意の表れもいくぶん入っているように見えるのは、沈む電子デバイス側に立ってきたものの僻みだろうか。
すでにマスコミ的には、「自動運転しています」みたいな報道が相次いでいるので、いまさら自動運転ができたといっても新味はない。一般的には、後は発売予定でなく、「いつ?」「いくらで売ってくれるの?」みたいなところまで期待が高まってしまっているようにも思われる。しかし今回は、そんな盛り上がりの裏で、自動車技術者も電子デバイス技術者も、そしてIT技術者もまだまだいろいろやることはある、という話だ。
実際、自動運転に関わる種々の技術の進展には目をみはるものがある。長年、地下の奥深くで流れてきた技術の蓄積がここに来て一気に地上に噴出してきた如く、素晴らしい技術がいろいろあるのだ。しかし、自動運転といわず、すでに普及しつつある安全運転支援の技術をみてもその適用可能な範囲には制約がつきまとっていることが知られている(つい最近も、販売店の試乗会でスピードの出しすぎで自動ブレーキが働かず、壁に衝突してしまったというニュースがあった)。端的には、かっこよいCMの後に挿入される細かい字の注釈の画面がそれを示している。つまり「使える局面もある」けれど、「使えない局面」もあれこれ書き連ねると相当に多いということだ。
天候もよく、周囲環境も想定の範囲内で、想定範囲の「正しい使い方」をしている分には確かにできるだろう。そしてそれだけでも十分に役に立つ局面はあるはずだ。否定はしない。しかし、使う側としては、いったんできるとなると、悪天候であろうと、何だろうとできるようにしてくれと思うし、それどころかまずい局面でも使ってしまうわけだ。そこにまだまだ大きなギャップがあるように思われる。
そういう制約を取り外していくために、まだまだやることがあるわけだ。この技術の基本的な要素としては「外界を認識」し、「判断」し、「動きを制御」するという処理の繰り返しであるから、ロボット、そして動物と変わらないプロセスを取り扱うことになる。
まずは、外界とのインターフェイスとなるセンサーの性能や種類を増やすというアプローチがある。周囲を認識する方法としては、アクティブにセンスする代表としてはレーダーやソナーがあり、パッシブ側にはカメラなどがあるわけだが、使う周波数、検出方法もいろいろとあり、どれも一長一短がある。人間だって、目や耳、時には臭覚や、手触りなどいろいろ併用している。「五感」というゆえんだ。1つの方法ではなかなか制約を取り払えないから、複数を組み合わせということになる。けれども、精度のよいセンサーはだいたい価格も高い。また1個で全方位できるものもそうそうない。そんなセンサーを多数ちりばめるとなるとコストの問題が気になる。研究開発と違って、ビジネスを考えるとあまりコストは上げられない。そこで限られた組み合わせで何とかしなければならないわけだ。例えば、レーダーならば高周波回路設計の、センサーならイメージング(画像処理)のエンジニアが活躍する余地はまだまだ大きいように思われる。
そうしてセンサーからの情報量を増やしていくと、その後ろで認識、判断、制御を処理するプロセッサに対する要求も跳ね上がってくる。これまた端的にいえば、3次元の空間+時間の4次元がもともとのカタチである外界情報を実時間で処理していかねばならないからだ。人間の脳はこれを効果的に情報圧縮してこなすが、同様なことがプロセッサに要求されてくる。それも昨今の通信業界でおなじみの「ベスト・エフォート」などという甘さではなく、シビアなリアルタイムでである。ベスト・エフォートで、たまにぶつかってしまっては、買おうという人はいなくなってしまうだろう。
そんな負荷の増大に対してどこかの試作車のようにトランクからはみだすようなサーバを搭載して処理するというのでは実用にならない。体積的にもそうだが、車の場合は電力的にも厳しいからだ。車の自動制御のために燃費が落ちるようでは本末転倒といわざるを得ない。それこそ一昔前のスーパーコンピュータで処理していたような処理量を車の限られたスペースと電力プロファイルの中でコストも安く処理できるプロセッサがなければ大々的な普及は望めない。
そして最後に肝心要のソフトウェアがある。認識にせよ、制御にせよ、現在、次々に効果的なアルゴリズムが出現しているような段階だ。裏返していえば、まだまだ枯れていない、ということだろう。出現するもののいくつかは以前の重かったアルゴリズムを軽くしたけれども、効果は同等といったような処理量低減のものもある。しかし、より高性能でより制約の少ない新たなステージを目指すものでは必要とされる処理能力の増大は著しいようだ。
だいたい、現在適用されているような画像認識のアルゴリズム自体、原理的にはかなり以前に提唱されていたものの、昔は要求する処理能力にハードウェアの性能が追い付かず、最近になってようやく処理能力が追い付いてきて実用になった、というものがかなりある。車の進化からすると、今後は、このソフトウェアの部分こそが車の技術の中核になっていくのかもしれない。例えていえば、いままでのエンジンやらトランスミッションやらの車の中核技術の多くは、人間に例えていえば手足の骨組みや筋肉を作る技術であった。脳や目は人間のものを「借りていた」わけである。それに対して自動運転というのは、クルマに自前の目や脳を載せるという技術である。それを担う部分であるから、すぐに枯れたり、定番化はしないだろう。ここには大きな仕事が残っているといってもよいだろう。
そう考えていくと、自動車メーカー側も、今まで車載用のマイコンを半導体メーカーに「作らせていた」ようなスタンスではまずそうに思われる。センサー+プロセッサ+ソフトウェアの3点セットは「脳」だ。「脳」を人任せにはできないだろう。それに自動車メーカーは、下請けの部品メーカーに10年程度の安定供給を常に求めるものであるが、このところの半導体業界をみていたら、10年の安定供給どころか10年先に会社があるのか? という感じである。実際に製造する工場はどこかの半導体メーカーを使うにしても、設計などは自前でやって、自分のところに技術と権利を確保しておかないと「脳」を誰かに乗っ取られてしまう恐れがあるのではないか。自動運転は、ぐるっと回って跳ね返ってきて自動車メーカーにも構造改革のようなものを迫る技術のような気がしてならない。
筆者紹介
Massa POP Izumida
日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス・マルチコア・プロセッサを中心とした開発を行っている。
「頭脳放談」
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