検索
連載

人は幾つまでチャレンジできるか? 45歳だろうが、75歳だろうが、それが必要であれば「いつでも」だGo AbekawaのGo Global!〜TechTarget編(後)(1/2 ページ)

注目のグローバルIT企業トップに話を伺うインタビューシリーズ。「TechTarget」APAC(アジア太平洋地域)統括ヴァイスプレジデントのJon Panker氏に、テレビリポーターからキャリアチェンジしたご自身の経歴を踏まえて、職業選択とチャレンジについて話してもらった。※メッセージ動画あり

Share
Tweet
LINE
Hatena

 アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広が、注目のグローバルIT企業トップに話を伺うインタビューシリーズ。今回は、IT製品/サービス情報メディア「TechTarget」のアジアパシフィック地域(APAC)統括ヴァイスプレジデントのJon Panker(ジョン・パンカー)氏に、キャリア観を伺った。

 テレビリポーターからWebメディアの編集へと、専門もフィールドも異なる職業に転職をした経験を持つパンカー氏。その後も、社内異動でマネジメントにキャリアチェンジし、近年は中国、シンガポールへと活躍の場所も広げてきた。常に新しい可能性に向けてチャレンジしてきたパンカー氏が考える「チャンスの作り方」は、キャリアの方向性に悩むエンジニア読者の参考になるだろう。


I was a tv star〜テレビリポーターからWeb編集者への転身

阿部川“Go”久広(以降、阿部川) パンカーさんのキャリアについてお聞かせください。お生まれはどちらですか?


Jon Panker(ジョン・パンカー)
TechTarget Vice President, International
米国のテレビ局で10年間ジャーナリストとして活躍。1999年にTechTargetに入社。編集記者、編集長、編集統括マネジャーを経て、ビジネスマネジメント担当に。現在はシンガポールでアジアパシフィック地域全体を統括している。好きな日本食は寿司。

Jon Panker氏(ジョン・パンカー:以降、パンカー氏) ニューヨーク生まれ、ニューヨーク育ちです。18歳で大学に行くためにシカゴに移り、あの極寒の地(笑)で4年間を過ごしました。

阿部川 最初の仕事はどのようなものだったのですか?

パンカー氏 私のキャリアのスタートはテレビリポーターでした。約10年間、ミシシッピ、テネシーなど米国南部の諸州で放送ジャーナリズムの仕事を行い、最後はテレビのモーニングショーに出演していました。

 仕事は大変好きでしたが、長い目で見たら必ずしも情熱をかけ続けるところではないな、という気もしていました。それまでのジャーナリストとしてのスキルを他のメディアで生かせないか、何か新しいことは始められないか、と思っていたときにTechTargetと出会いました。

 最初は記事を書いてWebサイトに掲載する業務を5年くらい行いました。当初はいち編集記者でしたが、順当に昇格し、編集チームの長になり、編集長になり、最後は幾つかの編集部を統括する立場になりました。

 そして今から10年前、ビジネスのセクションに異動になりました。最初は米国内でインターナショナル市場を担当していましたが、TechTargetが各国にオフィスを構えるようになった2010年に、アジアパシフィック地域を担当することになり、北京に赴任しました。

阿部川 編集業務からビジネスマネジメントの業務に移られたのは、ご自身で望んだことなのですか?

パンカー氏 はい。自分で「こうしよう」と思って異動しました。放送に関わっていた時代も入れると通算で15年近く、私はジャーナリズムの制作サイドの仕事に携わってきました。それはそれで楽しかったのですが、新しいこと、何かまったく違うことにチャレンジしたいとも思っていました。

パンカー氏から読者へのメッセージ「人は幾つまでチャレンジできるか? 45歳だろうが、75歳だろうが、それが必要であれば『いつでも』だ」

Long way from home〜故郷を離れて

阿部川 母国を離れて働くことも大きなチャレンジですね。

パンカー氏 以前から他の国や地域に関心を持っていて、休暇のたびに多くの国を旅行して歩いていました。新しい文化を学ぶことはとても楽しいし、常に新しい体験をしたいと思ってきました。多少キャリアパスは変わっても、機会があれば米国以外の国で仕事をしたいと、ずっと思っていました。

 北京行きのオファーを受けたことは、人生で最高の決断だったと思います。というのも、この5年間は人生で最高の5年間でしたから。

 中国でも、その後に赴任したシンガポールでも、たくさんの素晴らしい機会に恵まれ、素晴らしい仕事ができました。仕事を通じて、多くの素晴らしい人との出会いがありました。また世界のさまざまな地域を訪れることもできました。これはかけがえのない経験でした。

 「中国での3年間こそ、人生最高の思い出だ」と、よく友人に話します。ビジネスでも個人的にもチャレンジングでしたが、その分非常に魅力的で、非常に充実した達成感を味わえました。中国が先進的な国へと変貌を遂げていくのを目の当たりにできた日々でもありました。このような機会が巡ってきたことに感謝しています。

阿部川 生まれ育った国ではないところでビジネスを行う際のポイントはありますか?

パンカー氏 私は中国語が話せません。文化の違う国で言葉ができないと、コミュニケーションは難しいし、物事を明確に誤解の余地なく話せないので、大変苦しい思いをします。とはいえ中国には3年おりましたので、少しずつ文化の違いを理解できるようになりました。また、オフィス内は英語で的確にコミュニケーションできました。

阿部川 母国語以外の言葉を学ぶことは、キャリアアップの手段の一つだと思いますか?

パンカー氏 阿部川さん。それはあなたが一番ご存じでしょう。あなたこそ、言葉を学ぶことがキャリアアップにつながった良い例じゃないですか。英語を扱えるからこそ、米国で学び、アップルやディズニーなどの外資系企業でキャリアアップを重ね、このようなインタビューを英語で行える。確実に他の人が得られない機会をつかみ、生かしていますよ。

 どんなスキルでも、学んだものは必ず仕事のキャリアアップに役立つと思います。言葉はその一つです。特に多国籍な企業やグローバル企業では、言葉を操れると、多くの新しい機会を得られます。他国のオフィスにいる社員と仕事ができますし、新しく他国で始まるプロジェクトにも参加できます。言葉のスキルは非常に大切なものの一つだと思います。

阿部川 恐縮します。そう言っていただけると大変うれしいです。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

       | 次のページへ
ページトップに戻る