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テクノロジでより良い未来を作るためには変化を恐れずじっくりと準備――日本で働く米国人ワーキングマザー経営者の格闘記Go AbekawaのGo Global!〜MarkLogic編(後)(1/3 ページ)

エンタープライズ NoSQLを提供する「MarkLogic」の日本支社長、三浦デニース氏へのインタビュー。後編は、夫婦とは何か、ワーキングマザーへのアドバイスなど、三浦氏のキャリア(人生)に焦点を当てて、話を伺った。

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 グローバルビジネスに明るい阿部川“Go”久広による、エンタープライズ NoSQL(Not Only SQL)データベースを提供する「MarkLogic(マークロジック)」の日本支社長 Denise Miura(三浦デニース)氏インタビュー。前編は、三浦氏たちが、慎重にプロセスを踏みユーザー事例を活用して、「当たり前」の基準が高い日本市場に参入にしてきた経緯を伺った。今後、海外展開を考えている企業やエンジニアの参考になったのではないだろうか。

 後編は、二人の子どもの母親と社長業との両立など、三浦氏のキャリアに焦点を当てて話を伺った。三浦氏が考えてきたこと、実行してきたことが、海外で働くことを検討しているエンジニア、そしてお子さんのいるパパエンジニア、ママエンジニアたちの参考になれば幸いだ。

シリコンバレー、そして日本で、イーコマースの良い面も悪い面も学ぶ

阿部川“Go”久広(以降、阿部川) 三浦さんは、どのようなキャリアを歩んでこられたのですか?


Denise Miura(三浦デニース)
マークロジック 代表取締役、MarkLogic(米国カリフォルニア州)日本カントリーマネジャー
顧客・市場開拓、パートナー戦略、顧客対応など、同社の日本市場に対する戦略全般を統括する。ソフトウエア開発やWebサイト技術の分野で25年以上のキャリアを持ち、エンジニア、コンサルティング、マネジメントなどの要職を、シリコングラフィックス、イー・トレードで歴任。ブルーマティーニソフトウェアでは日本法人代表取締役を務める。カーネギーメロン大学コンピューターサイエンス学科卒

Denise Miura氏(三浦デニース:以降、三浦氏) 1990年にカーネギーメロン大学のコンピューターサイエンス科を卒業してシリコングラフィックに入社し、CGやイメージプロセシングを7年半担当しました。

 1997年に、中国郵政省から受注した3DのVRMLモール技術を含むインターネットのプロトタイプ開発の一環として、中国の光州に1カ月滞在して仕事をしたこともありました。この時代に、ハードウエアやCGグラフィックス、イメージプロセッシングなど、インターネットのアーキテクチャ技術を深く学びました。

 その経験を基にイー・トレードに転職。エンジニアリング部門のマネジャーとして、消費者市場での電子商取引のためのWebサイトを構築しました。オラクルのミドルウエア製品を用いたり、WebLogicやTuxedoといったソフトウエアなど、いわばネットの黎明期の技術を手掛けたりして、当時のイーコマース技術やアーキテクチャの、良い面も悪い面も学びました。

 その後、ブルーマティーニソフトウェア(以下、ブルーマティーニ)というイーコマースのプラットフォームソフトウエアのスタートアップ企業に転職し、初めて日本を訪れました。確か2000年だったはずです。支社の立ち上げが目的でしたので当初は3カ月だけの滞在予定でしたが、予期せぬ出会いがあって(笑)、結婚して日本に住むことになりました。

 ブルーマティーニでは日本支社の代表として、サポートセンターを立ち上げたり、コンサルタント部隊を指揮したり、営業を行ったりと、あらゆる業務を統括しました。

 ブルーマティーニのシステムはさまざまなベンダーのハードウエアやソフトウエアが統合されたものなので、トラブルの多くはレイヤー間に起こりがちです。しかし、たとえそれが私たちの直接の責任ではなくても、一番のフロントエンドレイヤーにあるのは私たちの製品なので、トラブルが起こったらどんなときも謝らなければなりませんでした。

 そのような日々を過ごしていましたが、長男を授かったことを契機に、後身に社長の座を譲ることになります。

イーコマースシステムでのRDBとの格闘経験からNoSQLの利点に共感する

三浦 出産後に友人から連絡があり、マークロジックが人を探していると聞きました。「今は日本に住んでいるけれど、来週赤ちゃんを親族に紹介するためにサンフランシスコに行くので、ちょうどいいわ」ということで、里帰りのついでに関係者と面談することになったのです。

 2004年当時のマークロジックは社員数わずか25人で、創設者のChristopher Lindblad(クリストファー・リンドブラッド 以降 クリス)から直接、会社や製品に関するアイデアを聞きました。

 何年もの間、イーコマースなどのデータ関連業務でリレーショナルデータベース(RDB)と格闘してきたので、クリスのアイデアの凄さがすぐに分かり、「こんな製品が本当に実現できるの? もしそうなら世界が変わる!」と心から興奮しました。

阿部川 これまでのイーコマースシステムでのRDBとの格闘経験があってこそ、マークロジックが提供するNoSQLの利点に共感できたのですね。ですが、当時あなたは日本に住んでいたわけで……。

三浦 そうなんです。そこで、すぐに東京にいる主人に電話しました。彼にはこの面談のことを事前に話していなかったのですが、「実はこういう会社があって、ぜひ入社したいと思うのだけれど……」と言うと、少しだけ間があって、主人が答えました。「分かった、応援するよ」と。

 2カ月後にカリフォルニアに移り住み、私はマークロジックで働きだし、その後、主人も転職先を決めました。でもいつかは日本に戻ろうとも思っていました。実際その夢がかなう――自信を持って日本市場でビジネスを展開できると私が納得するには、その後7年間の歳月が必要となり、2011年になってしまいましたが。

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