転職するので顧客情報をLINEしてくれ、上司命令だ:「訴えてやる!」の前に読む IT訴訟 徹底解説(134)(1/2 ページ)
転職に際し、顧客の名刺情報、在庫情報、管理サイトのログインIDとパスワードなどを部下に送付させた元営業部長。企業は当然、不正競争防止法違反や秘密保持義務違反で訴えた。裁判の行方は――。
就業規則と誓約書があれば、裁判に勝てる?
AI(人工知能)が業務に深く入り込んだ現代において、企業が蓄積するデータの価値はかつてなく高まっている。顧客との取引履歴、製品の原価情報、AIモデルの学習データ、営業活動で積み上げた顧客リスト――こうしたデータは、企業の競争力そのものといっても過言ではない。そして当然、これらの中には、不正競争防止法が定める「営業秘密」として法的に守られるべきものも含まれる。
仮に情報が悪意のある者によって持ち出された場合、それが営業秘密として認められるものであれば、持ち出した者や不正に使用した者に対して損害賠償を請求できるわけだが、自らの持つ情報を営業秘密として認められるためには、どのような対策が必要かが争点になる。
これらが問題となった裁判の例を見ると、情報を持ち出された企業がしばしば依拠するのが「就業規則に秘密保持条項がある」「退職時に誓約書を取っている」という事実だ。確かにこれらは重要な取り組みではある。しかし、それだけで情報が営業秘密として法的に保護されるのだろうか――。
いままでの連載内容と異なり、ITベンダーやエンジニアだけに向けた話題ではないが、情報システムを企画、開発する上で重要な示唆を含むと考えたため、あえて取り上げることとした。
退職者が後任に、在庫情報や顧客データを送付させた
まずは概要から見ていこう。
東京地方裁判所 令和2年10月28日判決より
中古トラック、トレーラーの売買などを行う企業(以下、原告企業)でシステム関連業務も担当していた営業部長(以下、被告元部長)がライバル企業に転職した。退職直前、被告元部長は当時の部下に依頼して原告企業の名刺管理ソフトウェアに蓄積されていた1500人超の名刺情報を転職先のメールアドレスに送付させた他、原告企業の在庫車両情報(商品名、仕入先、仕入価格など)や、中古車オークションサイトへのログイン用IDとパスワードをメールおよびLINE(ライン)で順次送付させた。
これを知った原告企業は、これらの情報はいずれも営業秘密であり、被告元部長らの行為は、不正競争防止法違反、および就業規則などに基づく秘密保持義務違反に当たるとして、4000万円の損害賠償を求めて提訴した。
出典:裁判所ウェブ 事件番号 令和元年(ワ)第14136号
企業「秘密として管理していた」 vs. 元従業員「誰でも見られたもん!」
常識的、あるいは道徳的に考えて、転職前の企業が持つ顧客や在庫情報を持ち出して転職先での商売に利用する被告元部長の行動は、決して褒められたものではなく、何らかのペナルティーもあってしかるべしと個人的には考える。
しかし、これが「営業秘密」の持ち出しであり、不正競争防止法違反に当たるのかという論点で考えると、慎重な検討が必要になる。この論点は他の裁判でも時々見ることがある。
情報が不正競争防止法の定める「営業秘密」として保護されるためには、「1 秘密として管理されていること(秘密管理性)」「2 事業活動に有用であること(有用性)」「3 公然と知られていないこと(非公知性)」の三要件を全て満たす必要がある。要は「守るべき情報であり、きちんと守られていた情報であったかどうか」が問題になる。本裁判では特に、「1」の秘密管理性が問題となった。
原告企業は、名刺情報をダウンロードできる権限を、情報を被告元部長に送信した部下と役員2人とに限定していた。また在庫情報は、仕入価格など企業の利益に直結する守秘性の高い情報であることから、IDとパスワードは業務上必要な者にのみ伝えていた。さらに就業規則には秘密保持条項があり、被告元部長の退職時には誓約書も取得している。これらを合わせ「秘密管理性の要件は十分に満たしているはずだ」と主張している。
これに対し被告元部長らは、「名刺情報にはパスワードなどのアクセス制限はなく、営業担当者であれば誰でも閲覧できる状態だった」「在庫情報も同様に全従業員がアクセス、閲覧できた」「IDとパスワードも業務上必要な者の間で共有されており、特段の制限はなかった」「就業規則の秘密保持条項には、どの情報が秘密に当たるかの具体的な定めがない。これでは従業員が『この情報は秘密だ』と認識できるはずがない」と反論している。
被告元部長の主張は、「鍵が掛かっていない住宅から物を盗んでも罪にはならない」と言っているようなもので、無理筋に聞こえる。だが他方で、原告企業にも非があるようにも思える。名刺情報や在庫情報へのアクセス制限が皆無だったわけではないが、その持ち出しを厳しく制限する旨の周知がなかった点などは、やや脇が甘かったと言わざるを得ない。
さて、このように管理されていた情報を裁判所は「営業秘密」と認めたのだろうか。判決の続きを見てみよう。
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