RSS、ライブドア、Weblio、7notes、FREETEL、神エクセル、みちびき――結局、モノになったのか? ならなかったのか?:ものになるモノ、ならないモノ(@IT 20周年記念 特別編)
@IT 20周年記念として、2005年に開始した長寿連載「ものになるモノ、ならないモノ」の筆者、山崎潤一郎氏に2020年までの連載を振り返っていただきました。こちらこそ、末永くよろしくお願いします!
15年前の2005年6月からこの連載はスタートしている。当初は「『ものになるモノ、ならないモノ』とは、ずいぶんと上から目線の連載タイトルだな」と、書き手として臆する気持ちもあったのだが、この原稿を書くために、1話1話、読み返してみると、的を射たタイトルではないかと自負する部分もある。
新しい技術や新しいサービスが爆速で駆け抜けるインターネット業界だけに、わずか15年の歴史の中ですら、モノになったもの、モノにならなかったものが、栄枯盛衰をものがたり、浮き彫りになる。自身でも赤面するような、勘違いや見立て違いも散見される部分は、筆者として反省することしきりだが、それは、平にお許しいただくとして、86話にも上るアーカイブから、印象的な記事をピックアップして、振り返ってみたい。
Movable TypeとRSSの時代
2005年6月7日公開の第1回目のテーマは、「社内ブログ」だった。Movable Typeの普及とともに、個人ブロガーが右肩上がりで増加している時期だ。ブログを社内のナレッジ共有に利用しようという取り組みを取材した。ただ、現在、「社内向けのブログで、社内の暗黙知を見える化して、みんなで共有しましょう」という取り組みが一般化しているようには見えない。パブリックに向けて情報発信するための社長ブログは、一部には定着しているようだが、それは趣旨が異なる。
このコラムの中で取材対象の担当者は、ブログのRSS(Really Simple Syndication)の重要性について言及している。SNSが未発達のこの当時は、ネットから情報を集めるためには、ユーザー自らブックマークしたWebサイトを順次巡回しなければならず、今の感覚からすると、ずいぶんと非効率的だった。
RSSは、サイトやブログが更新されると、プッシュ型で情報が配信される仕組み。RSSリーダーを閲覧すれば、多くの情報を得られた。このおかげで、情報流通量が飛躍的に増大したような記憶がある。
そんなRSSも2013年には、最大規模のRSSリーダーである「Google Reader」がサービスを停止。筆者も気が付けば、Google Readerの代替えとして導入した、RSSリーダー「Feedly」の閲覧回数は、最近めっきり減っている。スマートフォンのニュース配信アプリや、SNSのシェア機能がその役割を代替する時代になった。
「ライブドア事件」以前の堀江貴文氏の無線LAN事業
2005年7月22日公開の「ライブドアの無線LANに疑問をぶつけてみました」のライブドアとは、堀江貴文氏時代のライブドアのこと。東京山手線圏内のほぼ全域において、月額525円(税込み)の公衆無線LAN接続サービス「D-cubic」を開始するというニュースを受けての取材だった。
ライブドアを中心に、トレンドマイクロ、パワードコム、フジテレビジョン、日本IBM、グローバルアクセス、アジア・ネットコム・ジャパン、アセロス・コミュニケーションズ、京セラコミュニケーションシステムと、そうそうたる企業がコラボして、山手線圏内全域をWi-Fiによって“面”でカバーしようという壮大な計画だった。
記者発表の模様を伝える記事の写真を見ると、スーツ組の中で1人、カジュアルな“いでたち”の堀江氏が目を引く。当時のライブドアは、イケイケIT企業の代表格だっただけに、スーツ組の人々も「堀江氏とコラボする」ことに一種の高揚感を得ていたのではないか。
別の取材で堀江氏にインタビューしたことのある筆者だが、ネットのメリットを生かすべく、信じた道をひたすら突き進む合理化の権化のような経営者、という印象だった。この記事の約1カ月後に、堀江氏は、総選挙に立候補し、応援演説に訪れた自民党の武部勤衆議院議員から、「わが弟です、息子です」と持ち上げられたことが今は懐かしい。合理化とは真反対の政治の世界に身を投じようとしたことが意外だった。
そして、約半年後の2006年1月、 証券取引法違反容疑により逮捕された。「ライブドア事件」である。ライブドアの新宿データセンターにサーバを押収するために家宅捜索に入る検察のニュース映像を見ながら「おお、取材で訪れたあのビルだ」と思った記憶がある。
辞書の「マッシュアップ」を実践
辞書検索専門のポータルサービスを提供するウェブリオの創立当初の様子を取材した記事(2006年8月10日公開)は、実に懐かしく読み返すことができた。大学を卒業したばかりの社長を先頭に平均年齢24.4歳(当時)の若い5人組のチームと、渋谷のJR線路沿いに建つマンションのワンルームで向き合った。床に並べられたサーバ群が吐き出す熱気と、バッハのオルガン曲の通奏低音のように地べたを這うファンの騒音の中での取材だった。
「会社やりたいね。何しよう? 辞書を集めてみたらどう? それは便利だね」という学生時代の喫茶店での雑談から始まったという同社だが、今では、単語を検索するとけっこうな確率で検索上位に「Weblio辞書」としてリストされる総合辞書サイトに成長している。
今は、三軒茶屋の立派なオフィスビルに居を構え、大阪、福岡、フィリピンにも拠点を持っているようだ。その後も、別件の取材で同社を訪れたことがある。これまで、いろいろなスタートアップを取材してきたが、大口をたたく人々も多かった。ウェブリオは、それとは真反対に地道な企業活動でサスティナブルを実践している、という印象だ。
ちなみに、このとき筆者は原稿内で「マッシュアップ」という単語を使い、同社のサービスを紹介している。出自が音楽用語である「マッシュアップ」は、複数の有名アーティストのCDから気に入ったパートやフレーズをサンプリングし、それを、デジタル技術を駆使してリミックス(再編集)する音楽制作手法のことだ。
転じて、ネットでは、Web上に公開されている情報をWeb APIなどを参照し、加工、編集することで新たなサービスを構築することだ。今では、API連携などは、当たり前過ぎて、わざわざマッシュアップなどという表現は使わない。
インディ開発者が大活躍したスマートフォンアプリビジネス
この15年間の大きなパラダイム・シフトという意味では、スマートフォンの登場とアプリ経済圏の発展であろう。「ニッポンのインディよ!iPhoneの「予想外」にカワイイ系で打って出よ」(2008年6月17日公開)では、個人や小規模ビジネスの開発者を「インディ」と定義し、発表されたばかりのApp Storeでもうけようぜ! とあおりまくる論調でまとめている。
で、本当に、インディとして、アプリで大もうけした日本人も登場した。2009年3月9日公開の「ニッポンのiPhoneアプリヒットメーカーたちに続け!」では、「PocketGuitar」で大ヒットを飛ばした笠谷真也氏を取材している。当時、彼は、ケイビーエムジェイというIT企業のCTO(最高技術責任者)だったが、PocketGuitarの開発は、個人の趣味の延長線上で行っていたと記憶している。これまでに、100万ダウンロードは軽く突破しているはずだ。
2009年のApple WWDC(世界開発者会議)の際、会場近くのホテルにおいて、米国のMac関連雑誌が主催した、前年のヒットアプリをたたえるアワードのイベントが開催された。笠谷氏のPocketGuitarの受賞が決定していた。受賞者は、レッドカーペットを歩いて会場に入る演出がなされていたのだが、当の本人は「WWDCには参加してましたけど、他に用事があったので、出席しませんでした」とひょうひょうとして言ったものだ。まあ、華やかな場面が似合う人ではないことは確かだ。笠谷氏は、その後、すぐにケイビーエムジェイを退社してプログラマーとして独立し、今でも活躍している。
「サムライチェス」という対戦型のチェスゲームアプリを制作したコニットのメンバーもユニークな存在だった。このときの取材は一生忘れないだろう。コニットの代表取締役社長だった橋本謙太郎氏の奥様の実家(川崎市多摩区)の庭に建つ古いアパートの四畳半の一室で、男3人が肩を寄せ合い、せっせとObjective-Cを書いていた。シリコンバレーであれば、「自宅のガレージで起業」となるところだが、ここは日本、古いアパートの四畳半こそ、まさにジャパニーズインディ開発者の鏡! とばかりに興奮した覚えがある。
そんなコニットは、その後アプリ開発やアプリの課金プラットフォームで急成長を遂げ社員数も増加。2011年11月、ミクシィが全株式を取得する形でエグジットに成功。代表の橋本氏は、インドネシアのジャカルタでスタートアップ支援を行う企業のCEOとして活躍中だ。
水面を自在に移動する「あめんぼ」のような書き味
『エモーショナルな文字入力を可能にした「7notes」の秘密』(2011年10月21日)では、ジャストシステムの創業者として有名な、浮川夫妻がMetaMojiという会社を興し開発した、iOS向けの手書き入力アプリ「7notes」を紹介。それまでの手書き入力というと、筆者の場合、2000年登場の日本アイ・ビー・エムのPDA「WorkPad c3」やソニーの「CLIE」(両方ともPalm OS搭載)以後、触ったことがなかった。
従って、7notesにおいて気持ちの良い手書き入力を実現したプログラム担当の浮川初子専務の技術力に驚いたものだ。それと同時に、登場してから1年半程度だったiPadの可能性にも開眼させられた。
その書き味の気持ちよさは、特筆ものだった。『波紋1つない鏡のような水面でスーッと指を滑らせたときのような爽快感。滑らかな曲線を伴って指先に追従する文字の軌跡は、水面を自在に移動する「あめんぼ」のようだ』と思い入れたっぷりの書きっぷりで、手書きの味をたたえている。MetaMojiの手書きソリューションは、その後も進化し、教育現場、建設現場、営業の最前線などB2Bビジネスを中心に普及が進んでいる。
FREETEL創業者の激動の運命を誰が予測しただろうか
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