ニッポンのiPhoneアプリヒットメーカーたちに続け!:ものになるモノ、ならないモノ(31)
発売から8カ月、盛り上がる一方のiPhoneアプリ制作市場。ニッポンのApp Storeのヒットメーカーにその秘けつと落とし穴を聞いた
ランキング上位で売れ続けるポケットギター
音楽ビジネスにおける「インディ(インディペンデント)」に倣い、個人や小規模組織の独立したアプリ開発者を「インディ開発者」と定義し、iPhoneアプリによる世界進出を鼓舞したコラム「ニッポンのインディよ! iPhoneの『予想外』にカワイイ系で打って出よ」を書いてから8カ月が経過した。その後のiPhone用アプリを販売するApp Storeの盛況ぶりはいまさら語るまでもない。そして、「ポケットギター」「フィンガーピアノ」といったアプリで“成功”を勝ち取った日本のインディも登場しているのはご存じのとおり。今回は、iPhoneというプラットフォームをベースに活躍するインディたちの近況をお伝えしつつ、iPhoneアプリ開発の光と影に迫ってみたい。
「昨年の9月から約50万本がダウンロードされました」と語るのはポケットギターの制作者で、IT企業であるKBMJでCTOをしている笠谷真也氏。いきなり生々しい話で恐縮だが、約50万本というと、1本115円(海外では99セントや79ユーロなど)なので、単純計算で約5000万円を売り上げたことになる。そのうち3割がAppleの取り分となるので、笠谷氏は約3500万円の収入があった計算だ。ちなみに、ポケットギターは、現在もランキング上位に位置し、売れ続けていると思われる。うらやましい話だ。
笠谷氏はKBMJというIT企業のCTOだけにポケットギターも業務の一環なのかと思っていたのだが、同社の業務とは一切関係ないところで「正月休みや休日に開発を進め、趣味の延長線上で出したらヒットした」(笠谷氏)というから、やはりうらやましい限りだ。ご存じの方も多いと思うがポケットギターは、初代iPhoneの時代に誕生した。初代iPhoneでは、アプリ開発がまだオープンになっていなかったため、「jailbreak」というハッキングの手法のうえで開発が進められ、08年初頭には登場していた。App Storeオープンの半年前だ。
筆者もご多分に漏れず米国で購入した初代iPhoneをjailbreakし、ポケットギターをインストールして楽しんでいた。当時から、YouTubeなどの動画サイトで、「PocketGuitar」で検索すると世界中のユーザーがアップロードしたたくさんの演奏シーンを楽しむことができた。つまり、App Storeの正式版ポケットギターが9月に登場した時点でこのアプリはすでに超有名だったことになる。いうなれば、長い長いお試しプロモーションのリードタイムを経ての満を持しての登場だったといえる。そのためか、登場後は、いきなり各国のチャートにランクインし、ダウンロードがダウンロードを呼ぶ形になっていまのヒットがあるのだろう。重ね重ねうらやましい。
気になるのは、ポケットギターの開発にかけたコストや期間。ただし、コストといっても個人で開発している点を考えると、笠谷氏自身の労働コストは勘定に入れる必要はないだろう。そのような前提であれば、笠谷氏の以下の話からこの大ヒットアプリは、限りなくゼロに近いコストで作成されていることが分かる。ご存じのようにIntel製のCPUを搭載したMacがあれば、iPhone SDK(無料)をダウンロードし、1万800円(年間)のiPhone Developer Program料を支払うだけで開発から公開までが可能になる。あえていうならば、“持ち出し”が発生するような画像や音などの各種素材の制作コストが考えられるが、笠谷氏の場合「ギターの指板や弦といった画像パーツは、jailbreak時代からのユーザーが“これを使って”と用意してくれた」と打ち明ける。つまり、そのような素材も、自分で作る能力があったり、提供してくれるような人がいれば、開発に掛かる投資や持ち出しは最小限に抑えられるということだ。
また、プログラミングなど制作期間に関していうと、「休日に分散しているのでアバウトではあるが、jailbreak版で2週間程度、製品版で1〜2カ月程度」(笠谷氏)という。製品版では、エフェクター、ビブラート、オープンチューニングといったギターとしての機能にもこだわっているため、1〜2カ月を要したようだ。ただ、iPhoneアプリの場合、一芸アプリもたくさんあり、そのようなものは、至極短期間で制作されているものもある。例えば、後述するiPhoneアプリ制作者の赤松正行国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)教授は「一発芸的な簡単なアプリであれば1〜2日で作る」という。
アップルの審査待ちで2〜3カ月放置されている例も
ポケットギターに続けとばかりに、いまでは多くのインディたちがiPhoneアプリの開発に挑戦している。ただ、彼らの悩みは尽きないようだ。まず多くの開発者が口にするのは、「アップルのアプリ審査基準が明確でない」という点。一部には「苦労して開発したのに、レビュー(審査)待ちで2〜3カ月放置されている例もある」(ある開発者)というし、「1回目の審査でリジェクトされたが、中身を一切いじらないで同じアプリを2日後に提出したら通った」(ある開発者)という例もある。アップルの提示するアプリのガイドラインには、一定の基準は設けられているのだが、実際の運用になると担当者レベルでその判断が大きく異なるのであろう。いまでは世界中から日々大量のアプリが登録されていることは想像にたやすい。アップル側もその対応に手が回らない状態なのだろうか。この問題に関してApple側は「ガイドラインに従ってレビュー(審査)をしている、としかお答えできない。ただ、人間のすることなので……」(Apple Developer Relationsの関係者)と言葉を濁す。ただ、長期間放置されている事例があれば、「アップルのデベロッパー部門に連絡してほしい」とApple Developer Relationsの担当者自身がiPhoneの開発セミナーなどで公言している。
App Storeでは、世界中の開発者が作った新しいアプリが日々公開されている。そのような状況では、ユーザーの目に触れることなく埋もれてしまうアプリもあるだろう。そのため「サムライチェス」を制作したコニットの橋本謙太郎氏のように「プロモーション活動にも力を入れている」というインディもいる。ただ、インディだけに、既存メディアを利用するといった従来型のプロモーション活動は行っていない、というか行えない。
コニットでは「YouTubeにプロモーション動画を公開したり、世界中のSNSのiPhoneコミュニティに書き込みを行っている」(橋本氏)という。YouTubeで閲覧できるサムライチェスのビデオは、友人である本物の殺陣師を起用して某有名城で撮影したそうだ。
その一方で「プロモーション活動は行わない」と言い切るのはIAMASの赤松正行教授だ。「プロモーション活動にかける時間があるのであれば新しいアプリを開発する時間に充てる」という。いわれてみれば赤松氏は、8本の有料版を含む全16本のアプリを公開しているが、その多くはイッパツ芸系のもの。考えてみれば、1本のアプリに注力し、それをプロモーションして売り上げを伸ばす、という方法論は、従来型メディアの考え方に依拠する。しかし、赤松氏のように、言葉は悪いが「数打ちゃ当たる」式のロングテール型の考え方でアプリを発売できるのもApp Storeの魅力なのだ。どちらが良い悪いではなく、多様な考え方を実践できる点がインディ向きの仕組みだといえる。
米アタリ社から著作権侵害の“脅し”が来た
インディ開発者にとって、パラダイスにも映るApp Storeだが、自分の作ったアプリを世界に向けて売るという部分に落とし穴はないのだろうか。実は、世界に向けて売る場合、各種権利処理に気を遣う必要があると思っている。ここで音楽制作事業者である筆者のiTunes Storeでの音楽販売における経験をご紹介しよう。以前のコラムでも触れたが筆者は、自身がプロデュースした音楽を世界22カ国のiTunes Storeで販売している。あるとき「Aqua」という名称の友人の無名インディバンドのアルバムを22カ国で販売したのだが、実はデンマークに世界的ヒットを出したメジャーな「Aqua」というバンドが存在する。それは知っていたのだが、無名Aquaの発売後、米国や欧州のiTunes Storeのレビューに「これってあのAqua? 音が全然違うぜ」「Aquaを語る変なバンド」といった多数の書き込みがされた。
現在は解散しているとはいえ相手はメジャーバンドだし、アルバムは依然販売されている。日本においてバンドの名称に関す明白な権利ルールは存在しないものの、プロモーション権、肖像権といった考え方の延長線上で、バンド名称にも所有権が存在するという不文律が判例の積み重ねによって存在する(緩やかではあるが……)。ましてや、各国の権利ルールは分からない。結局、こちらは吹けば飛ぶようなインディだけに、訴訟騒ぎにでもなったら怖いと思い無名Aquaのアルバムを引っ込めてしまった。いまでは「弱気だったかな」とも思うが、筆者のようなインディにとって、トラブル解決という非生産的な活動に時間を取られるのは機会損失以外のなにものでもない。
そんな経験をしているだけに、前出の成功者たちはこの問題をどのように考えているのか気になった。「米国ではすでに“Samurai Chess”というゲーム製品が存在し、その製品の名称にTMマークが付いていた」と語るのはサムライチェスを販売するコニットの橋本氏。ただ、それでもコニットはサムライチェスの販売に踏み切った。理由は「あまり神経質になっていると何もできないので取りあえず出してみようと思った」という。また、ポケットギターの笠谷氏も「一応は、“PocketGuitar”でググッてみたりはしたが、各国の商標を調査するのは困難なので、まずは販売してみよう」と思ったという。彼らがことのほか大らかな考えでいるのに驚いたが、筆者のように神経質になっていては何もできないということだろうか。
しかし、米国企業からクレームが舞い込んだ例もある。IAMASの赤松教授は、自身が開発し公開している無償のテニスゲーム「T4Two Free」において、米アタリ社から「われわれが所有する著作権を侵害しているのでストアから削除しろ」という内容のメールをApple経由で受け取った。しかし、赤松教授は唯々諾々と削除することはせず「ゲームのどの部分が著作権侵害なのか明示してほしい」という内容のメールを返したそうだ。しかし、いく度かのやりとりをしても先方は、「侵害の個所を明示することなく“削除しろ”を繰り返すばかりだった」(赤松教授)という。らちが明かないと思った赤松教授は、「U.S.Copyright Office」という米国の著作権局のデータベースサイトを示し「侵害しているというのであれば、データベースの著作権番号何番を侵害しているのか具体的に示せ」といった内容のメールを送信した。すると「それっきり音信が途絶えた」(赤松教授)のだという。自社製品に似たゲームを排除したいというアタリ側の一種の脅しだったのだろうか。真相は分からない。
赤松教授のアプリが本当にアタリ社の権利を侵害しているのかどうかは不明だが、クレームが舞い込んだからと唯々諾々と従う必要はなく、まずはこちらが納得するまで先方の主張を確認することも必要ということであろう。前述の「Aqua」の担当者からクレームが直接来る前に、iTunes Storeからアルバムを引っ込めた筆者の弱気さを恥じている。ちなみに、このような権利問題に対するAppleのスタンスは「あらゆる権利処理はすべて開発者自身で行い、問題は当事者同士で解決してほしい」(Apple Developer Relationsの関係者)としている。
インディにとってセカイカメラという希望
上記のような陥穽(かんせい)ポイントにさえ気を使えば、iPhoneアプリがインディにとって世界に羽ばたくための踏み切り台になることは間違いないし、筆者もそれを応援する意味でこのコラムを書いている。というわけで最後に、いままさに世界に羽ばたこうとしているインディを紹介しよう。頓智・(トンチドット)が開発する「セカイカメラ」は、いわゆる拡張現実(AR、Augmented Reality)を実現するシステム。アニメ「電脳コイル」の世界を具現化するためのiPhoneを使ったアプリケーションだ。セカイカメラの詳細は、セカイカメラがどんなトンチでできているのか、中の人に話してもらったなどのニュースで詳しく紹介されているのでそちらをご覧いただくとして、代々木体育館で開催されたファッションイベント「rooms」でお披露目されたセカイカメラを体験して思ったのだが、IT分野でこれほど明るい希望と未来を感じさせてくれるアプリケーションは過去に記憶がない。
いまはまだ、緩慢な動きにイラッとすることもあったが、頓智・のCEO井口尊仁氏がいうように「人々の思考が現実世界と密接にリンクする手段」という部分でセカイカメラがフィールドに展開されるようになると、究極のCGM(Consumer Generated Media)が完成するのかもしれない。まあ、一部には、「ビジネスモデルが見えない」という声も聞かれるが、セカイカメラが発する“希望のオーラ”の前では「いまからそんなヤボなことはいいっこなしね」という気持ちになる。
アドバイザーを務めるIAMASの赤松教授も「今後、チップの処理能力、無線の通信速度、GPSの精度が上がれば、実用度はさらに上がる」と太鼓判を押す。実用度が上がればマネタイズの道もおのずと開けるというものだ。セカイカメラは、まさにiPhoneのインディ開発者にとって希望の星に思えてきた。
ちなみに、iPhoneとは関係ないが、なんだか最近はAR関連の話題を見掛けることが多い。インディであっても、秋葉原などで購入した寄せ集めのパーツでこのような電脳メガネを作ってしまった佐藤伸吾氏のような人もいる。「電脳コイルの磯光雄監督から連絡があり見せた」(佐藤氏)というだけに、この分野の進化を望む人は、企業や大学での研究はもちろんのこと、インディの活躍にも期待を寄せているようだ。
話をiPhoneアプリに戻そう。現在iPhoneアプリの市場は、PSPやニンテンドーDSといったゲーム機向けのアプリビジネス、あるいは携帯電話キャリアの公式サイトによる課金ビジネスとはまったく異なった論理で動いている。換言すれば、ビジネスの手法が確立されておらず大手企業が満足な収益を上げられる市場には育っていないということ。だからこそ、多くのインディがその存在感を示しているのだ。今後、Android、WindowsMobile、Symbianといったほかのモバイル系プラットフォームの上でもApp Storeと同様なビジネスが育つことが期待されている。次世代のインターネットはモバイルなくしては語れない。もしかしたら、インターネット創世記に匹敵する希望と豊潤の沃野(よくや)がインディたちの前に広がっているのかもしれない。
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著者紹介
山崎潤一郎
音楽制作業に従事する傍ら、IT系のライターもこなす蟹座のO型。自身が主宰する音楽レーベルのサイト「インサイドアウト」もよろしくお願いします。最新刊『ケータイ料金は半額になる!』も好評発売中。著者ブログ「家を建てよう」
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