試験のために勉強する人にとって、勉強は苦しいこと。でも……:Go AbekawaのGo Global!〜蔡樺編(後)(2/3 ページ)
私は、負けたくない――グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回も、中国出身の蔡樺さんにお話を伺う。紙モデルで培ったものづくりへの喜びをエンジニアとして開花させた蔡さんが今後日本でやってみたいことは、なんと「ケーキ作り」だった!
会社は作りたくないけど、ケーキは作りたい
阿部川 今後はどんなエンジニアになりたいですか。
サイさん 今はShopifyに専念していますから、これをしっかり完成させるエンジニアになることです。会社の先輩エンジニアは、みんなとても強い人たちです。先輩たちのような、他の人に頼られるエンジニアになりたいです。
阿部川 そうなるためには何が必要でしょうか。
サイさん 難しい質問ですね(笑)。コードを書く能力だけではなく、SQL、インフラ、フロントなどさまざまな知識を身に付けないといけないと思います。リーダーシップも身に付けないといけないですね。
阿部川 将来自分で会社を起こしてみようとはお考えになりますか。
サイさん (きっぱりと)思ってません。会社を作るのは難しいし、私の性格には向いていないと思います。先のことは分かりませんが、日本にいる間は、エンジニアリングに集中したいと思います。
ビジネスの方向にいくのであれば、日本語の能力が足りないと思います。日本に来て5年たちますが、言語の壁をいまでも毎日感じています。日常会話は基本的に問題ないとは思いますが、日本人であれば、自分の言いたいことを短く簡潔に表現できるけれど、私が話すとどうしても長くなる。毎日このような思いを感じます。
阿部川 日本にいる間に実現したい、夢は何ですか。
サイさん エンジニア以外の夢としては、半分本気ですが、日本の製菓学校で勉強して、ケーキ作りをしたいです。現実的には、私が持っているのは就労ビザなので、完全な学生として入学することはできないのですが、例えば仕事をしながら夜間学校で製菓を学びたいです。
阿部川 中華料理ではなく、ケーキがいいのですね。なぜ、ケーキを作りたいのですか(編集部注:サイさんのお父様は四川料理の料理人)。
サイさん もちろん中華料理は好きですが、これ以上勉強の必要はないですね(笑)。ケーキ作りは勉強しないとできない、深い世界だと思います。
日本に留学する前に、中国のホテルのケーキ店で1カ月くらいアルバイトをしました。そのときからケーキが好きになりました。それで大学生のときに1年間ぐらい、ネットのビデオでケーキ作りを独学しました。
ケーキ作りは料理と近い世界なので、すぐに魅了されました。日本でも製菓の専門学校に行こうかなとちょっと思ったくらい好きでした。でも、学費が異様に高くて(笑)。もし両親に、修士を辞めて製菓の専門学校に行きたいなどといったら、めちゃくちゃ怒られたと思います。父の職業に近い世界なので、かえって逆鱗(げきりん)に触れる……。
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