東京都副知事・宮坂学氏がプロダクト視点で語る「行政サービスのDX」とは:行政インフラの第一印象は「1995年のインターネット」
元ヤフー社長で現在は東京都副知事として活躍する宮坂学氏が、2020年10月27日に開かれた「プロダクトマネージャー2020」に登壇。プロダクトマネジャーという観点で東京都のデジタル化に向けた取り組みを解説した。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大で、さまざまな領域でITを利用する取り組みが進展している。その中でも注目されているのが行政だ。政府が「デジタル庁創設」を掲げる中、各自治体でもデジタルを活用した取り組みが始まり、注目を集めている。
行政サービスを1つのプロダクトと捉えた場合、そのプロダクトマネジャーは何を考え、どのようなかじ取りを進めているのだろうか。2020年10月27日に開かれた「プロダクトマネージャーカンファレンス 2020」の基調講演「東京都副知事が考える行政におけるプロダクト開発とは?」で登壇した宮坂学氏が、クライス&カンパニー 顧問の及川卓也氏との対談形式で現在の取り組みを語った。
「3プラス1」で行政のDXに取り組む
ヤフーの社長を務めた後、「今までやったことのないことをやろう」と考えていたものの、「公務員」という選択肢は全く頭になかったという宮坂氏。「ビジネスの世界しか知らず、すぐ隣にこんなに大きな世界があることを知りませんでした。今まで会ったことのない人に会い、新しい経験をしています」と話す。
その宮坂氏は今、「3プラス1」の事柄に取り組んでいる。
1つ目は、5G(第5世代移動通信システム)時代を見据え、誰もが高速のモバイルインターネットを利用できる「つながる東京」を作ること。いわゆる「TOKYO Data Highway」構想だ。2つ目は、東京都が提供する保健福祉や建設などの都民向けサービスにデジタルを活用し、より良くしていくこと。3つ目は、都庁で働く職員のICTインフラやICT環境の改善だ。
「今ある事業にデジタルをかぶせ、より良くしていこうと活動しています。その前提として、日頃働くときに利用する道具がモダンになっていないと、アウトプットもなかなか変わりません」(宮坂氏)
こうした3つの取り組みを支えるもう一つの大きな取り組みが、デジタル人材の育成だ。
「現在はデジタル人材が少ないため、組織作りを一生懸命やっている」と同氏は述べた。さすがに100%内製とまではいかないが、外部のパートナーに開発を依頼するにしても「ある程度は訳が分かった状態」で、手の内化できる状況を目指しているという。
こうした宮坂氏の取り組みを一言にまとめると「行政のデジタルトランスフォーメーション(DX)」と表現できるだろう。従来、行政サービスをデジタルでどう良くするかについて集中して考える機会はあまりなかったというが「ICTをどのように自分の事業に取り入れ、よりよい都民サービスを作っていくかを各局が一生懸命考え始めました」(宮坂氏)。それらと並行してインフラ整備や組織作りを進めている。
東京都は「エンジニアリングカルチャー」にあふれた場所
行政サービスのDXを一種のプロダクトと捉えた場合、そのミッションやビジョンとは何だろうかという及川氏の問いに対し、宮坂氏は、2019年に都が策定した「未来の東京」戦略ビジョンを踏まえ、「都民の幸福を実現する=小池都知事がよく言う『Quality of Life』の向上を実現することが行政の仕事だと定義できます」と答えた。
その中でも行政の仕事としては「ICTを使って都民の幸せを増幅し、取り残される人をなくすこと」が重要だという。宮坂氏なりに表現すると「ここに住んでよかったなとか、生まれ変わってもまたこの町に生まれたい、自分の子どもはこの町で育てたい、そう思ってもらえる人が増えればいいのではないか」と考えているそうだ。
だが、東京都には、民間企業とは異なる要因が幾つかある。まず、東京都にとっての「顧客」は、都内に住む人だけではない。東京都にある法人や非営利団体(NPO)、通勤や出張で、あるいは旅行で東京に来る人も広義の都民と捉えられる。また行政に求められる継続性を考えると、今はまだ生まれていない子どもたちも顧客と捉えることができるだろう。「都民と言っても、できるだけ幅広い概念で捉えないといけないなと意識しています」(宮坂氏)
また、住民サービスを直接提供する区や市といった「基礎自治体」と、消防や警察、水道や道路などのインフラ整備に関して緩やかに役割分担をしながら街作りをしている点も特徴だ。
基礎自治体とのパートナーシップを保ちながらどのようにかじ取りをしているのかという及川氏の問いに対し、「今まで、都の情報システムを担当している人たちと区市町村の情報システムの担当者が会話する機会は多くありませんでした。もっと話し合わないことにはシナジーも何もないので、時々会って話したり、勉強会を実施したりして、ちょっとしたコミュニティーを形成させていこうとしています」(宮坂氏)。新型コロナウイルス感染症の影響もあり、実際に集まることは困難だが、「ワンチームになってフラットに意見交換をできるようにしたい」とした。
さらに「定期的な異動があるためスペシャリストがなかなか育たない」という課題への挑戦として、さまざまな局に異動しながらも基本的にICTを専門に担当する「ICT職」を新たに設けると言い、2021度は30人の採用を予定している。現在、東京都の中でICTを担当する人員は約150人いるが、その中で技術の分かる専門性を持った人員は15人程度にとどまるという。
宮坂氏は「実は東京都って、エンジニアリングカルチャーがすごくある場所なんです」と述べた。水道局や建設局といった都市のインフラを担う局(部署)では、職員の多くがエンジニアで占められており、そのエンジニアリングカルチャーが高度な都市インフラを数十年というスパンで支えてきた。「ICT職も先輩であるハード系の局を見習いながらやっていこうと思っています」(宮坂氏)
全ての要素は「Webサイトをよくすること」から、サービスとして継続的な改善を
デジタル化に当たって陥りがちな問題が、取りあえずインフラを作り上げることにばかり目が行ってしまい、その上でどのようなサービスを設計し、ユーザー体験(UX)を作り上げるかが抜け落ちてしまうことだ。及川氏が「それが今までの日本の悪い流れだった」と指摘した上で、インフラの上の部分をどのように作っていくのかを尋ねたところ、宮坂氏の答えは意外なものだった。
「ちょっと毛色が違うかもしれませんが、都民が一番使っている行政のデジタルサービスは都のWebサイトだと思います。だからまず、身近なWebサイトのUXを上げることが大切だと考えています」(宮坂氏)
2019年に台風19号が関東地方に接近した際、幾つかの自治体ではWebサイトにアクセスが殺到し、閲覧できない事態も生じた。その反省も踏まえ、「CDN(Content Delivery Network)を導入したり、避難所マップなどの画像データを軽くしたりすることで解決を図ることを推奨するマニュアルを都が作成し、区市町村に共有しました」(宮坂氏)。情報システム担当者がいない自治体にもこうした情報を共有することで、落ちないWebサイト作りを進めている。
また、COVID-19対応のための感染拡大防止協力金を受け付けるWebサイトも、「リリース前に店舗に行って、店長さんが触るIT環境で実際に操作してもらい、どこで操作がつまずくかといったフィードバックをもらって修正しました。リリース後も出しっぱなしにして終わりにするのではなく、地道に継続的に改善し始めています」(宮坂氏)。
こうして徐々に、ネットプロモータースコア(NPS:顧客推奨度)のような評価指標が上がっていくと、担当者側も変わってくるという。「改善して良いものを作ると喜ばれることが分かると、楽しくなってきます。仕様書を書いて作っておしまいではなく、話はそこからだ、というようなカルチャーを少しずつ作っています」(宮坂氏)
ITの世界では当たり前のようになってきた「仮説検証」のアプローチと、年度単位で予算が決められている行政の世界は相性が悪いように見える。だが宮坂氏は、「調達しておしまい」という行政のイメージから脱却し、毎日1%ずつでも、永遠に改善していくことができる、サービスならではの良さを取り入れたいとした。
「納品して終わりだと、サービスとしての最大のアドバンテージを自ら放棄することになります。行政もサービスである以上、昨日より今日の方が進歩していることは当たり前。それはできるようにしていきたいと考えています」(宮坂氏)。構造改革チームを立ち上げ、関連する契約制度や調達ルールを改善しながら、アジャイルスタイルで回していける体制を作っていきたいとした。
「Webサイトをより良くしていくための一連の活動には、毎朝数字を見て、何を改善したらどの数字が動くのか、数字を上げるために何をすればいいのかを考えるといった、デジタルサービスを継続的に欲していくための要素が全て詰まっていると考えています。Webサイトをちゃんと運用し、地道に継続的に改善できれば、スマートシティーなどの難しい施策もできるようになると思います」(宮坂氏)
これを受けて及川氏も、「自治体のWebサイトは、情報があることそれ自体が目的になってしまい、本当にそれが見られているか、活用されているかまでは追い切れていないケースが多いように思います」と指摘した上で、「まずWebサイトから」という宮坂氏のメッセージに同意した。
正しいデジタルサービスはさまざまなデバイドを埋める
プロダクトマネジャーの重要な役割の一つは、サービスのターゲットを決めることだ。しかし、民間企業とは異なり、行政のサービスには「あまねくあらゆる人に」という性質も求められる。行政のDXを進めつつデジタルデバイドを招かないために、どのようにかじ取りをしているのだろうか。宮坂氏は、セーフティネットの役割を担うのが行政の本質だとしながらも、サービスごとに性格が違うため、まだ明確な答えがない部分だとした。
そして「現在は、デジタルでやりたい人にも紙での手続きを強いるような状況になっています。そうではなくて、デジタルでやりたい人はデジタルで進めてもらえるようにしつつ、やっぱり紙で、窓口で相談しながら進めたい人もいるはずなので、それはそれで残しておく。両方ともおろそかにせず、いわば、行政サービスのオムニチャネル化という意識でやろうとしています」と述べた。
さらに、「『デジタルデバイド』というとICTと紙の対比になりがちですが、他にも言語や身体的ハンディキャップなど、角度によってさまざまなデバイドがあります。大変な作業ですが、デジタルサービスを正しく作ることができれば、誰もが使える包摂性の高いサービスを提供できると考えています」とした。
及川氏も、デジタルの魅力を発信するという観点から、「たくさんのデバイドがある中でデジタルが救う側面もたくさんあるはず」とし、そうした部分で率先してデジタルを取り入れていった方がいいだろうとうなずいた。
行政とデジタル、2つの異文化をコンバージョンすることが鍵
行政のDXを実現するには、インフラ面だけでなく、デジタルを活用していくための人や組織、マインドセットを作り上げていく必要がある。そこにどう取り組んでいるのかという質問に対し、宮坂氏は、デジタルと行政の現場、両方の知見を持つ人材が協業することが必要だとした。
「さまざまな現場を見てきて現地感を持つ人と、デジタル感のある人が一緒になって取り組まなければいけません。現地の感覚をあまり持たない人がサービスを作っても良いものができないし、逆にデジタル知識がない人が作ってもあまりうまくいきません。2つの異文化をどうやってコンバージョンするかは難しい課題ですが、それを成し遂げられればかなりすごいことになると思います」(宮坂氏)
さらに、行政とデジタル、双方をある程度分かっている人物がプロダクトマネジャー的に橋渡しすることで、より良いものができるのではないかと考察した。
「法律や現地を熟知している行政のエキスパートと、行政の中にいてある程度ICTについても知っている人、そして、外の企業や大学で技術をバキバキにやってきた人。その3つがトライアングルになって行政のICT化を実現させられればいいなと思っています。その中心に総合プロデューサー的な役割を果たす、いわばプロダクトマネジャーがいてトライアングルを回し始めれば、良いものができるんじゃないかというイメージです」(宮坂氏)
その実例の1つが、オープンソースとして公開した新型コロナウイルス感染症対策サイトだ。当初は宮坂氏自ら見ていたプロジェクトだが、今は行政側の担当者がプロダクトマネジャーとして、OSS(オープンソースソフトウェア)コミュニティーと対話しながら運用しているという。
宮坂氏は最後に、「行政のデジタル化は、『未開の地』というと怒られそうですが、25年前にインターネットを見たときの感じに近いものがあります。混沌(こんとん)としていて何でもできる可能性に満ちあふれているけれど、パターンが全然決まっていません。そうした大変さはありますが、チャレンジ精神のある人には面白いと思います」と述べた。
宮坂氏は、自身のように公務員となって転職する方法だけでなく、さまざまな人がさまざまな形で参画する方法も作っていきたいという。いわゆる「シビックテック」の実現だ。
「功労者表彰を通じて、消防団や自治体、見守り活動など、街を守るために長年活動している人がいることが見えてきました。『共助』という言葉の通り、街は行政だけでなく、民間の力が一緒になってできているのだと思います」と宮坂氏。消防団のデジタル版など、デジタルを通じて市民参加ができる窓口を広げていきたいし、縁があれば多くの人にそうした窓口に参加してもらいたいと呼びかけ、講演を締めくくった。
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