私の作ったもので、故郷で働くみんなの疲れを減らしたい:Go AbekawaのGo Global!〜Than Thai Thanh(2/3 ページ)
グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はユニフェイスのThan Thai Thanh(タン・タイ・タイン)さんにお話を伺う。勉強したことを生かし、製品作りに精を出していたタンさんが日本を目指したきっかけとは。
学生時代から製品作りに夢中
阿部川 電子工学の中でも特に勉強したものは何でしたか。
タンさん 回路の設計やマイコンの制御です。マイコンで、温度や湿度に合わせて(水をくみ上げる)ポンプのスイッチをオンオフするシステムを作ったこともあります。ちなみに作ったそれは実家の農業に流用しました。
阿部川 素晴らしいじゃないですか。大学のあるホーチミン市はビントゥアン省と離れていますが、1人暮らしだったのですか。
タンさん いやあ、1人で住むのは生活費が大変なので、同じクラスの友達3人とルームシェアでした。アルバイトも頑張りましたね、接客から会計、料理、後片付けなど一通りの役割をこなしました。
阿部川 アルバイトをして、学校で勉強もし、電子工学の装置も作ったのですね。忙しかったでしょう?
タンさん 忙しかったけれど楽しかったです。やることはたくさんあるし、学校で新しい知識を得るのも面白かった。勉強した結果を製品の形にすることも好きでした。依頼を受けて製品にして売ったこともあります。
例えば、花農家の人向けに温度と湿度に合わせて水やりを制御する装置とかお店の前に置く電光掲示板を作りました。簡単なシステムでしたが、自分が作ったものが売れるということがとてもうれしかったです。
阿部川 喜ばれてお金も稼げて、素晴らしいことですね。その商品で会社を作ろうとは思わなかったのですか?
タンさん 夢としては考えていましたけど、自信がなくて……。一応、何人かに声を掛けたことはあるのですが、あんまり良い反応が得られず、諦めてしまいました。もし誰かが「一緒にやろう」と言ってくれていたら起業していたかもしれません。
大学で学んだことを生かす仕事に就く
阿部川 なるほど。大学卒業後に荏原ベトナムポンプに入社されますが、こちらは日本企業(荏原製作所)の海外拠点ですよね。なぜベトナムで日本の会社を選んだのでしょうか。
タンさん 当時、何が決め手になったかは覚えていないんですが、昔から日本に対する印象が良かったので「きっと楽しいだろう」と感じていたと思います。子どものころから「日本の製品は丈夫だ」という話をよく聞いていたので「技術力を高めるのであれば日本の企業だな」と考えていたことも理由の一つです。
阿部川 それは、ありがとうございます。荏原ベトナムポンプでは、どのような仕事をされていましたか。
タンさん 給水/排水システムなどのポンプに関する電子制御システムの設計をしました。新しく工場を建てるときに「どのぐらいの水が必要なのか」「どのようなポンプが必要なのか」「ポンプは幾つ必要なのか」といったことを調べて全体を設計しました。
阿部川 大学で学んだことを生かされたのですね。その後、日本語学校に通われた後で来日されます。
タンさん はい。荏原ベトナムポンプは日本企業ではありますが、せっかくなら日本で働きたいと思ったのです。そこで自動車部品を製造している富士機工に転職しました。
阿部川 荏原製作所の日本本社に行くこともできたのではないでしょうか。
タンさん 残念ながら当時はベトナムから日本への異動はできなかったのです。
阿部川 なるほど、それで転職を決意されたのですね。そこまでして日本に来たかった理由はなんでしょうか。
タンさん 一言では言いにくいですね……、技術面、金銭面などいろいろです。お話したように日本への憧れは昔からありましたし、荏原ベトナムポンプの上司からよく日本について聞いていて、行きたい気持ちが高まっていました。ベトナムとは違う日本の働き方にも興味がありました。
日本が好きで来日された方はこれまでのインタビューでもたくさんいらっしゃいますが、生まれた国で日本企業に入り、その後来日されるケースはすごく珍しいと思います。国内であっても違う会社に転職するハードルは高いと感じますが、タンさんのように、やりたいことや興味、待遇などで国を超えて仕事を探すバイタリティーは見習うべきところかもしれません。
阿部川 富士機工で働いていたのは、2019年から2021年までの2年間ですね。
タンさん はい。富士機工では車の部品製造を担当していました。電子シフトレバーの設計などですね。シフトレバーの中に動作などをプログラミングしてテストし、またプログラミングをする、といった感じで。これまでとは違う技術が必要だったので勉強になりました。
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