東京マラソンのTV中継で使われた5Gネットワークスライシングの全貌と企業利用への課題:羽ばたけ!ネットワークエンジニア(63)
2023年3月5日に開催された東京マラソンで、KDDIとフジテレビは5GネットワークスライシングをTV中継に使う実証実験に成功した。その仕組みと企業で利用するための課題を述べたい。
「KDDI」(本社:東京都新宿区、代表取締役社長:高橋誠氏)は2023年3月6日、「5G SAで東京マラソン2023を生中継」という報道発表を行った。「フジテレビジョン」(本社:東京都港区、代表取締役社長:港浩一氏、以下フジテレビ)と共同で、5G SAのネットワークスライシングを活用して、従来のTV中継と比較して簡易な設備構成で安定した中継をする実証実験に成功したという。
5Gネットワークスライシングのネットワーク構成と効果
5G SAは5G Stand Aloneの略称で5Gネットワークを基地局もコアの部分も5Gの設備だけで構成する5Gの完成形だ。SAの前段階である5Gと4Gの設備を使う方式はNSA(Non Stand Alone)と呼び、基地局は5Gの設備を使うがコアは4Gの設備を使う。
5G SAは超高速、超低遅延、多端末接続という5Gの特長を実現できるが、NSAでは超高速しか実現できない。日本の携帯通信事業者は2022年春にNSAで5Gサービスを開始し、2021年秋から順次SAサービスを始めている。
ネットワークスライシングとは、1つの物理的な5Gネットワークを論理的に複数の仮想ネットワーク(スライス)に分割することだ。それぞれのスライスで用途に応じた通信特性(広帯域、低遅延など)を持つサービスを提供できる。
今回の実験では、図1のように観客などが使う通常スライスと分けて、放送用カメラ専用スライスとスマホカメラ専用スライスを定義し、放送用カメラとスマホカメラの通信品質を確保した。通信品質確保の内容の詳細は明らかにされていないが、通常スライスの通信の影響を受けず、安定した中継ができることを確認したそうだ。
従来のTV中継では現場に専用機器を搭載した中継車を持ち込むことが多く運用負担が大きかったが、5Gネットワークスライシングとスマホの活用で機材や運用のコスト削減が図れるだけでなく、機動力のあるスマホ内蔵カメラを使って新たな映像体験の提供も期待できるようになった。
企業における5Gネットワークスライシング利用の課題
上述の実証実験から5Gネットワークスライシングが実用の入り口に来ていることが分かる。企業が使うためにはどんな課題があるだろうか。
筆者はKDDIに限らず、携帯通信事業者が企業にとってメリットのある5Gネットワークスライシングを早期に提供することを期待している。図2は筆者が想定する企業における5Gネットワークスライシングの利用イメージだ。工場において5Gの超低遅延を生かしたモバイルロボットの運用を行う(低遅延スライス)、作業者の支援や製品の検品を効率的に行うため、リアルタイムで映像をAI解析する(広帯域スライス)、このようなユースケースを実現する上で4つの課題がある。
1 5Gネットワークに接続する適切なデバイスがない
図1では、エンコーダーを5Gネットワークに接続するためにスマホを使っている。実験ならこれでいいが、実運用ではどうだろうか。現場では耐久性や環境耐性(気温や湿度)が求められるはずだ。
少なくとも工場のモバイルロボットの接続にスマホは使えない。モバイルロボットの表面にスマホを貼り付けてもすぐに壊されてしまう。バッテリーに電力がなくなったら剥(は)がして充電する、などという運用も無理がある。
モバイルロボットで使われているWi-Fiルーターの本体はロボット内部にあり、アンテナだけを外部に出している。電源はロボットから供給する。5Gルーターでも同様の使い方が求められる。カメラを5Gに接続するにもスマホは適さない。
コンシューマー向けの5Gルーターもモバイルロボットには不向きだ。アンテナと本体を分離できないし、バッテリーで電力を供給するからだ。ネットワークスライシング以前の問題として携帯通信事業者が5Gを企業に使ってもらうつもりがあるなら、企業の用途に適した5Gルーターや5G通信モジュールを用意すべきだ。
2 企業が必要とする通信特性を持つスライスの提供
「通常のスライス」と「通常より優先されるスライス」の2種類だけでは企業のニーズに対応できない。広帯域を保証するスライス、超低遅延を提供するスライスなど多様な通信特性を満たすスライスの提供が必要だ。
3 使いやすいユーザーインタフェースの提供
スライスを生成し通信特性を定義する、スライスに端末を追加する、といった操作をユーザー自身で簡単にできるインタフェースが求められる。
4 イントラネットとの一体化
ネットワークスライスはイントラネットの一部として使われる。携帯通信事業者は既存のイントラネットとスライスを接続する手段を用意せねばならない。
5Gの商用サービスが始まって早くも3年たったが、企業における5Gの利用で驚くような事例は目にしたことがない。携帯通信事業者にはそろそろ、目の覚めるようなネットワークスライシングを使った企業向けのサービスを提供して期待に応えてほしい。
筆者紹介
松田次博(まつだ つぐひろ)
情報化研究会(http://www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)主宰。情報化研究会は情報通信に携わる人の勉強と交流を目的に1984年4月に発足。
IP電話ブームのきっかけとなった「東京ガス・IP電話」、企業と公衆無線LAN事業者がネットワークをシェアする「ツルハ・モデル」など、最新の技術やアイデアを生かした企業ネットワークの構築に豊富な実績がある。本コラムを加筆再構成した『新視点で設計する 企業ネットワーク高度化教本』(2020年7月、技術評論社刊)、『自分主義 営業とプロマネを楽しむ30のヒント』(2015年、日経BP社刊)はじめ多数の著書がある。
東京大学経済学部卒。NTTデータ(法人システム事業本部ネットワーク企画ビジネスユニット長など歴任、2007年NTTデータ プリンシパルITスペシャリスト認定)、NEC(デジタルネットワーク事業部エグゼクティブエキスパート等)を経て、2021年4月に独立し、大手企業のネットワーク関連プロジェクトの支援、コンサルに従事。新しい企業ネットワークのモデル(事例)作りに貢献することを目標としている。連絡先メールアドレスはtuguhiro@mti.biglobe.ne.jp。
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