ローカル5Gより速い! キャリア5Gによる事業所内ネットワークが稼働:羽ばたけ!ネットワークエンジニア(47)
企業には5Gを使って高速で安定した無線ネットワークを構築したいというニーズがある。「ローカル5G」を利用してもよいが、筆者は「キャリア5G」をお勧めする。その理由を最新の事例で説明しよう。
2021年7月の本連載で紹介した牧野フライス製作所の5Gネットワークが予定通り、2021年12月10日に同社の厚木事業所で完成した。ローカル5Gではなく、キャリア5Gを使っている。6GHz以下の周波数帯(Sub6)を使う5Gとしては、ローカル5Gより高速だ。
ネットワークの全体像を図1に示す。構成要素は次の通りだ。
・「iAssist」 牧野フライス製作所が開発した工場の自動化を図るモバイルロボット
・スマートフォン
・キャリア5G(KDDI)
・Amazon Web Services(AWS)
・「AWS Wavelength」 低遅延を実現するためKDDI網内に設置されたAWSのリソース
・イントラネット(牧野フライスネットワーク)
全体が1つのネットワークになっており、同じプライベートIPアドレス体系を使っている。
3つの目的を5Gネットワークで実現
このネットワークの目的は次の3点だ。
(1)iAssistの安定的で効率的な運用
従来はWi-Fiを使っていたが、不安定さやローミングの不具合に悩まされていた。今回の5Gネットワークで安定した無線通信を可能とした。さらに、iAssistの管理サーバをAWS Wavelength上に置くことでインターネットを経由しないセキュアで低遅延な通信を実現している。
(2)スマートフォンの活用
スマートフォンからロボットの監視と制御を可能にした。さらに事業所内で多数使われているPHSをNSA(Non Stand Alone、5Gの方式の一つ)の5Gで使われるアンカーバンド(制御信号を流す電波)の4Gを使って、VoLTE(Voice over LTE:4Gを使った高品質電話)に移行する。
(3)経済的で陳腐化しないネットワーク基盤の確立
キャリア5Gをサービスとして導入したため、ローカル5Gとは異なり、専門知識が不要で設備費用の負担も軽減できた。5Gの技術進歩とともにキャリア5Gのサービスが進化するため、陳腐化リスクのないネットワーク基盤を確立できた。
ローカル5Gよりも高速な5Gネットワーク、CAで実現
アンテナや基地局の配置とコアネットワークへの接続を図2に示す。
図2 NSAキャリア5GでのMIMOとCAによる高速化 AGV:Automated Guided Vehicle、CA:Carrier Aggregation、BBU:Base Band Unit、RRH:Remote Radio Head
5Gの周波数帯はKDDIに割り当てられた3.7GHz帯であり、5Gの制御信号で使用する4Gは1.7GHz帯を使用している。アンテナは主にオムニアンテナを使っており、高速化のために4×4MIMO(Multiple-Input and Multiple-Output)を実現するため2台のアンテナを対で17カ所に設置している(図3)。
物理的には2台だが、それぞれのアンテナが地平線に対して垂直に振動するV偏波と、水平に振動するH偏波を送受するため、実質的に4本のアンテナとして機能する。これらが端末(スマートフォンなど)の4本のアンテナと対向する。
高速化の手段としてMIMOの他にCA(Carrier Aggregation)を使っている。3.7GHzの100MHz幅の帯域に加えて、1.7GHzの20MHz幅を合わせて利用しているのだ。そのため、CAがなく100MHz幅のSub6を使用するローカル5Gより高速になる。実際に計測すると、下り最大毎秒1.4Gbit、平均毎秒1.1Gbit、上り最大毎秒146Mbit、平均毎秒140Mbitだった。
「厚木の壁」が事業所内5Gネットワークへプラスに作用
キャリア5Gは多数のユーザーが基地局を共用するため速度が低下するのではないか、と疑問を持つ読者もいるかもしれない。このネットワークでは「厚木の壁」のおかげでその心配がないのだ。
牧野フライス製作所の厚木事業所でSub6の5Gネットワークを作るには、高い壁があった。それは衛星通信への干渉を避けることだ。3.7GHzのSub6は衛星通信と競合する。そのため、5Gのアンテナは工場内やオフィス棟内に設置し、電波を極力建物から外部に出さないことが置局設計の方針だった。多くのアンテナは電波が同心円に広がるオムニアンテナだが、干渉を避けるため一部は電波を一定方向に発射する指向性アンテナを使っている。
この「厚木の壁」が事業所内5Gネットワークにはプラスになった。5Gの電波は牧野フライス製作所内でしか使えないため、他のユーザーと競合して速度が落ちる心配がない。基地局をコアネットワークに接続する毎秒10Gbitの光回線も専用なので他のユーザーと競合しない。
キャリア5Gなのに、ローカル5Gに近いプライベート5G的なネットワークになっており、他のユーザーの影響で速度低下を招く恐れがほとんどないのだ。可能性があるのはコアネットワークから上部だが、豊富な帯域を持っているので輻輳(ふくそう)する心配は少ない。
現在はNSAで稼働しているが、SA(Stand Alone)になっても図2の設備は変更せずソフトウェアのアップデートだけで継続して利用できる。NSAでは5Gの制御信号は4Gのアンテナを流れ、データだけが5Gのアンテナを流れる。SAでは5Gの制御信号もデータも5Gのアンテナを流れ、5Gコアネットワークにつながる。SAになった時点でも、4GのアンテナはVoLTEで使われ続ける。
自社開発プロジェクトとして実現
最後に牧野フライス製作所厚木事業所5Gネットワーク構築のプロジェクトの概要を紹介しておこう。このプロジェクトは2021年4月にスタートした。大手ベンダーのようなSIerは使っておらず、情報システム部による自社開発だ。責任者はCIO(最高情報責任者)でもあるゼネラルマネージャーの中野義友氏だ。筆者はコンサル兼プロジェクトマネージャーとして企画、基本設計から始まり、リスクの予防と進捗(しんちょく)、課題の管理を行った。情報システム部のエキスパートである志津里淳氏はiAssistとAWS Wavelengthとの接続という要所の設計と実装を行った。
5Gネットワークの置局設計はKDDIモバイルサポートセンター長 小島英明氏が担当した。「厚木の壁」をクリアできたのはKDDIの無線設計技術のおかげだ。
今回紹介した5Gネットワークはキャリア5Gを用いた企業内5Gネットワークのお手本のような事例だ。皆さんも自社の5Gネットワークを検討する際に参考にしてはいかがだろうか。
筆者紹介
松田次博(まつだ つぐひろ)
情報化研究会(http://www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)主宰。情報化研究会は情報通信に携わる人の勉強と交流を目的に1984年4月に発足。
IP電話ブームのきっかけとなった「東京ガス・IP電話」、企業と公衆無線LAN事業者がネットワークをシェアする「ツルハ・モデル」など、最新の技術やアイデアを生かした企業ネットワークの構築に豊富な実績がある。本コラムを加筆再構成した『新視点で設計する 企業ネットワーク高度化教本』(2020年7月、技術評論社刊)、『自分主義 営業とプロマネを楽しむ30のヒント』(2015年、日経BP社刊)はじめ多数の著書がある。
東京大学経済学部卒。NTTデータ(法人システム事業本部ネットワーク企画ビジネスユニット長など歴任、2007年NTTデータ プリンシパルITスペシャリスト認定)、NEC(デジタルネットワーク事業部エグゼクティブエキスパート等)を経て、2021年4月に独立し、大手企業のネットワーク関連プロジェクトの支援、コンサルに従事。新しい企業ネットワークのモデル(事例)作りに貢献することを目標としている。連絡先メールアドレスはtuguhiro@mti.biglobe.ne.jp。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- 企業が求める5Gとは――牧野フライス製作所はなぜ「KDDI 5G+AWS Wavelength」を選択したのか
企業専用の5Gネットワークとして「ローカル5G」が注目を集めている。しかし、企業のニーズに合っているのは必ずしもローカル5Gではない。なぜだろうか。今回はプライベート5Gの先取りともいえるサービスを導入する企業の事例から、その理由を紹介する。 - 「ミリ波」だから速いわけじゃない、5GでのSub6とミリ波の使い分け
企業における5Gの利用は実証実験段階から実用段階に入りつつある。5Gで使う電波にはSub6とミリ波がある。「5Gはミリ波があるから超高速」と思われがちだが、ミリ波を使えば超高速になるとは限らない。5Gの実用に向けてSub6とミリ波の使い分けを復習しておこう。 - プライベート5Gの先取り、「KDDI 5G+AWS Wavelength」に注目せよ!
「プライベート5G」はスライシングという仮想化技術を使って企業専用の5Gネットワークをサービスとして提供するものだ。すでにKDDIが2020年12月からプライベート5Gの先取りともいえるサービスを提供している。コストと運用面の壁が高い「ローカル5G」よりもメリットが大きい。