検索
連載

「最悪のシナリオ」と「最高のシナリオ」に大きな違いがないならリスクがある方を選ぶGo AbekawaのGo Global!〜Paul McMahon(前)(2/3 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はTokyoDevのPaul McMahon(ポール・マクマホン)さんにお話を伺う。勉強は決して得意な方ではなかったが、性に合うもの、興味があるものを追いかけることでソフトウェアデベロッパーとしてのスキルをポールさんは身に付けていく。

Share
Tweet
LINE
Hatena

第一志望ではない大学に入学、それで世界が変わった

阿部川 その後、大学に進学されますね。

ポールさん はい。高校時代の成績はそれほど良いものではありませんでしたが、当時はある種の根拠のない自信みたいなものが強かったので(笑)、地元大学のエンジニアリング学部を目指しました。しかし一番競争率の高い学部だったこともあって、私の成績では入学できませんでした。

 それで、バンクーバーのコミュニティーカレッジに入学しました。でもかえってそれが私にはよかったのです。コミュニティーカレッジは特定の専門学科があるわけではなく、自分の興味がある教科だけを選んで学べます。社会学や政治学、哲学など、興味があるものを選んでいきました。そうした中でコンピュータサイエンスに出会いました。これで全てが変わりました。

 講義の内容の全てがとても自然に私の中に入ってきてしっかり理解できたのです。強いて暗記しようとしなくともコンピュータの原理が頭に入ってきましたし、プログラミングの宿題は楽しくてしょうがありませんでした。学習意欲がどんどん上がっていきました。2年目にはコンピュータ関連の教科を集中して学び、3年生にはヴィクトリア大学に編入してコンピュータサイエンスの学位を取得しました。

阿部川 コミュニティーカレッジがポールさんの未来を創り出してくれたのですね。きっと素晴らしい教員の方にたくさん出会われたでしょう。

ポールさん そうですね、このカレッジはコンピュータサイエンスに力を入れていて、例えばプログラミングの講義などでは実際に仕事をしているIT業界の実務家が教えてくれましたし、今ではコーディングのブートキャンプもやっていると聞いています。

阿部川 実際に社会に出て仕事をしているプロフェッショナルから学んだことが大きかったのですね。

画像
阿部川 “Go”久広

ポールさん そうですね。アカデミックな内容というのは現実よりも少し遅れてしまいがちですが、カレッジの教授陣たちは皆、業界からきた人々でしたから、より実務的なことを学べました。もちろん、それでも2年間のプログラムだけでは、ソフトウェアデベロッパーの仕事を得るまでには至らなかったと思います。その後、ヴィクトリア大学でも継続して勉強できたことで、実際に社会に通用する実力がついたのだと思います。

阿部川 ヴィクトリア大学には3年生から編入されます。これはコミュニティーカレッジの単位を評価してもらったということですよね。

ポールさん そうです。カナダでは全ての大学で単位互換が可能です。決まった既定のコースというものはありませんので、大学に入ってからも、専門を変えたり、履修する教科を変えたりすることは比較的自由です。カナダの大学は日本と反対で、入学するのは簡単ですが、卒業するのは難しい。入学しても、退学していく学生が多いのです。恐らく退学率は日本の大学よりも高いと思います。

阿部川 日本の大学の退学率は確かに低いけれど、お話しいただいたように「学びたい人は誰でも受け入れる、しかし卒業するためにはしっかり学ばなければならない」というのが本来の大学の姿だと私は思います。ヴィクトリア大学ではどういったことを学んだのですか。

ポールさん 私の興味は全てコンピュータサイエンスに注がれていたので、それをメインにして関連する教科を履修しました。例えば、数学や線形代数ですね。在学中は「共同プログラム」にも参加していました。そこでは給与をもらえるインターンシップの機会を学生に提供していたんです。


編集中村
編集 中村

 学校で勉強していた当時、まさか将来、線形代数が仕事にがっつり関わってくるとは思いませんでしたね。「この勉強が何の役に立つっていうんだ」みたいな漫画やドラマのせりふがありますが、今や何が将来生きてくるか分からない時代だと思います。ポールさんの場合は仕事をしながら勉強もしていたわけですからそんな迷いもなく、自分の力になっている実感を持ちながら学べたのだと推測します。


 ああ、日本に来るきっかけになったのも“プログラム”でしたね。在学中に「カナダと日本の共同プログラム」を見つけたんです。ヴィクトリア大学のプログラムと同様、インターンシップの機会を提供していて、そのとき「日本でソフトウェアデベロッパーとして働く」というアイデアが浮かびました。ただ、そのプログラムに参加するには卒業を1年遅らせる必要があり、確実に参加できる保証もありませんでしたので個人的にワーキングホリデーで日本に来ることにしました。2006年のことです。そして、平仮名、片仮名、漢字を習う、人生で初めて日本語の授業を受けました。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る