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日本の女性が「あたし」って言うの、かわいいですよねGo AbekawaのGo Global!〜Thidar Win(前)(1/3 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はトリニティでポイントサービスの開発と運用に携わるThidar Win(ティダーウィン)さんにお話を伺う。ミャンマーでは皆がそうであるようにティダーさんも医者を目指したが、あと一歩のところで断念することになる。しかし、そこから新しい道が開けた。

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 国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回はトリニティでポイントサービスの開発と運用に携わるThidar Win(ティダーウィン)さんにお話を伺った。両親と兄弟に囲まれ、楽しく活発な幼少期を過ごしたティダーさんが「日本で働くのもいいかも」と思った出来事とは。

 聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。

コマーシャルソングを家族の前で歌い踊る陽気な女の子

阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) インタビューは日本語で大丈夫でしょうか。

Thidar Win(ティダーウィン、以降ティダーさん) はい、日本語で大丈夫です。

阿部川 では早速。出身地を教えていただけますか。

ティダーさん ミャンマーのヤンゴン市ダゴン郡区の出身で、1995年生まれです。

阿部川 大学を卒業するまでずっとダゴンにお住まいだったんですか?

ティダーさん はい。ミャンマーでは、普通は結婚するまでは家族と一緒に暮らします。大学から遠い場所に住んでいる人であれば一人暮らしすることもありますが、私の場合は大学が実家に近かったので、実家から通っていました。


編集中村
編集 中村

 そういえば、同じミャンマー出身で「一人暮らしを始めたら楽しくて仕方がなかった」という方がいましたね。


阿部川 ずっと親元にいたのですね。子どものころはどんなお子さんだったんでしょうか。

ティダーさん どちらかというと社交的だったと思います。周りからは頭がいいとよく言われていました(笑)。テレビで新商品のコマーシャルが歌付きで流れたら、それをまねして家族の前で歌ったり踊ったりしていたそうです。今でも家族にからかわれます(笑)。

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インタビューに答えるティダさん

阿部川 明るいお子さんだったのですね(笑)。社交的だったということで、子ども同士で遊ぶことも多かったと思います。どんな遊びをしていたか教えてもらえますか。

ティダーさん 鬼ごっこをしていましたね。後は、お店屋さんごっこや人形の服を作って着せるといった遊びをしていました。

阿部川 勉強の方はどうでしたか。得意な科目は何でしたでしょう。

ティダーさん そうですね……。数学の点数はなんか良かった記憶があります。

阿部川 この連載に登場する方、数学得意な人が多いですよね。エンジニアとして活躍されている方々なので当たり前なんですが。

私だけのPC

阿部川 1995年生まれということは、ちょうど「Windows 95」が出た年ですね。私にとっては今でも鮮明に思い出せるくらい、忘れられない年です。ある意味、生まれた時点でPCは身近な存在だったわけですが、ティダーさんにとって最初のPC体験は幾つぐらいのときでしたか。

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阿部川 “Go”久広

ティダーさん 中学校のときですね。PCの授業で触りました。ちなみに日本とは制度が違うので、中学生といっても10歳ぐらいだったと思います。そのころのミャンマーはそんなに豊かではなかったのでPCは貴重でした。先生が教えてくれて、何人かが指されて1台のPCを触ってみるといった感じでした。今はちょっと変わっているとは思いますけれど。

阿部川 自宅にもPCがあったのですか。

ティダーさん PCは、大学に入るときにお母さんが買ってくれました。何人か兄弟はいましたけど私にだけ買ってくれました。

阿部川 他の兄弟は嫉妬しませんでしたか? 俺も欲しい、私も欲しいって。

ティダーさん 何ていうんでしょうか。子どものころからそんな感じだったんですよね。いつも私は「欲しい」って言う側で。妹からは嫉妬されていたと思います(笑)。

阿部川 ああ、そうでしょ。お姉ちゃんばっかりずるいって。

ティダーさん 私は高校を良い成績で卒業したので、それで自分の欲しいものを買ってもらえたというのもあります。兄弟は私より成績が悪いので。

阿部川 はっきり言いましたね(苦笑)。

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