元麻布春男の視点PC今昔物語--IBM PCの20周年に思う |
20年前の8月12日、現在のPCのルーツであるIBM PCが誕生した(IBMの「IBM PC誕生20周年に関するニュースリリース」、Microsoftの「IBM PC誕生20周年に関するニュースリリース」、)。その後IBM PCは、パーソナル・コンピュータと同義語になるまで普及し、いまの「PC」にも強い影響を及ぼしている。が、IBM PCが夏の盛りの8月*1にリリースされた、という事実は、当のIBMもそれほど大きな期待を持っていなかった、ということを示しているようで面白い。 |
*1 一般的な傾向として、8月は夏休みがあるうえ、米国では新学期前の買い控えが発生することなどから、PC関連製品の売り上げはほかの月より落ちる傾向にある。そのため、8月に発表される新製品は比較的少ない。 |
GUIの普及がPCを大きく変えた
個人的には20年前というと、すでにコンピュータには触れてはいたものの、自分のパーソナル・コンピュータを所有するには至っていなかった。自分自身のコンピュータを手に入れたのはもう数年経った後のことであり、8bitマシンであった。IBM PC互換機を手にするのは、さらに数年後、80年代後半のことである。
それはともかく20年というと、PCと同じ年に生まれた赤ん坊が、成人となる年月。ちょっとした歴史を感じる歳月だ。この20年間を振り返ってみて、個人的にインパクトの大きなイベント、あるいはパラダイム・シフトは何だろうか、と改めて考えたところ、次の3つが思い浮かんだ。
- CUIからGUIに
- PCがユニ・アーキテクチャ(単一アーキテクチャ)に
- インターネットの商用化と爆発的な普及
筆者がPC(あるいは広義のパーソナル・コンピュータ)の歴史を振り返って、最も大きな変化だと思うのは、CUI(キャラクタ・ユーザー・インターフェイス)からGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)への移行、つまり「Windows」の普及である。Windowsの普及をマルチタスクの普及だと見ることも可能だが、より本質的な変化をもたらしたのはGUIのような気がする。
Windows 3.0のプログラム マネージャ |
IBM PCにGUIを本格的に普及させたのは、Windows 3.0だろう。日本では、Windows 3.0のバージョンアップ版のWindows 3.1から本格的に普及した。 |
例えば、GUIのないマルチタスキング・システム(コンソール・モードのUNIXなど)は、専門家にとっては大いに利用価値があるにしても、一般ユーザーにとってはあまり使いやすいものではなく、それほど意味のあるものとは思えない。逆にGUI上に複数のアプリケーションを開いておいて、タスクスイッチする環境の方が、一般のユーザーにはメリットが多いハズだ。これは、GUIを採用しながら、本格的なマルチタスク・システムではなく、タスクスイッチ機能しか提供してこなかった、以前のMacintoshが多くのユーザーから支持され続けたことが証明していると思う。
今年は筆者がフリーランスになって10年という節目(?)でもあるのだが、10年前もいまも、やっていることはあまり変わらない。結局は、Windowsの上でテキスト・エディタを使って原稿を書き、その脇のウィンドウにテレビ放送を常に表示しているのである。もちろん、Windowsは3.xから2000へと変わったし、デスクトップ解像度は1024×768ドットから1600×1200ドットへと向上した。解像度を制約する要素の1つであったビデオのオーバーレイ方式も、アナログからデジタルへと変わった。ディスプレイ自体も、17インチから21インチに大きくなっている。しかし、この10年の変化も、その前のDOSからWindowsへの変化に比べれば、はるかに小さい。というより、変化のほとんどは量的なものであり、質的な変化はそれほど多くないことに気付く。
GUIがインターネットの普及を助けPC-9801を駆逐した
3.に挙げたインターネットの商用化と爆発的な普及にしても、先にGUIが普及していなければ、Webブラウザの受け皿となる環境は厳しいものであっただろう。それ以前の問題として、CUIのままだったら、一般のユーザーがPCをどれだけ使っていたかさえ疑問だ。電子メールが便利なのも、多くの人が電子メールを使っているからこそ、すなわち電子メールを利用できるプラットフォーム(PC)が普及しているからこそ、なのである。
PC環境におけるGUI、すなわちWindowsの普及は、2.に挙げたPCのユニ・アーキテクチャ化にも影響を及ぼした。アプリケーション・ベースがDOSからWindowsへ移行したことで、それまでDOS上で蓄えられていたハードウェア・アーキテクチャ依存のソフトウェア資産がチャラになってしまったからだ。DOSのころは、特定のハードウェア・アーキテクチャでしか動作しないソフトウェアが非常に多かったが、Windowsではこうした制限は大幅に緩和されたせいで、ソフトウェア互換性の観点から独自アーキテクチャのPCの存在意義は薄れてしまった。ハードウェアにしても、Windows以前と以後ではデバイス・ドライバの更新が必要だっただけでなく、求められるデバイスそのものが変わってしまった。その一例が、いわゆるWindowsアクセラレータの登場と、その爆発的な普及だ。
最も初期のWindowsアクセラレータ |
写真は、初期のWindowsアクセラレータ(グラフィックス・カード)でDiamond Computer Systemsの「Stealth VRAM」である。写真のモデルは、S3の86C924というグラフィックス・アクセラレータを搭載した後期型である。最近、筆者宅の物置から発掘された。初期型は86C911を搭載していた。ちなみに、この頃のS3のグラフィックス・チップの型番は、ポルシェの車名から取っている。Diamondの出世作であると同時に、S3製のグラフィックス・チップが一世を風靡するきっかけとなった。当時、S3がDiamondを買収することになること、そのS3(現 SONICblue)がグラフィックス・ビジネスから撤退することを予想した人はいなかっただろう(S3のグラフィックス・カード事業の撤退に関しては、「ニュース解説:S3がグラフィックス・カード事業からも撤退」参照のこと)。 |
ただ、PCのアーキテクチャがIBM PC互換に統一されたことがエポックになったのは、日本だけのことだ。日本以外の世界では、もともとIBM PC非互換のPCはほとんど存在していなかった。DECの「Rainbow」など、MS-DOSを採用したIBM PC非互換のPCがまったく存在しなかったわけではなかったが、ほとんど鳴かず飛ばずで終わってしまった。早々に撤退し、みんながIBM PC互換路線を採用してしまった。日本だけが、PC-9800シリーズという、ハードウェアの構成がよく似たIBM PC非互換のパーソナル・コンピュータの天下であった。
そのPC-9800シリーズに引導を渡したのは、Windowsだったのだと思う。DOSに比べてはるかに複雑なWindowsを日本語化するだけでなく、オリジナル・プラットフォーム(IBM PC)とは異なるハードウェア(PC-9800シリーズ)に移植する手間とお金、上述したWindowsアクセラレータなど、続々と現れる新しいハードウェアへの対応など。PC-9800シリーズを擁する日本電気は、IBM PC/AT互換機ベンダにとってほとんど必要のない上述の苦労(コスト)を背負わなければならなかった。こうしたことが、PCのアーキテクチャをIBM PCに統一する推進力となった。
IBM PCのライバルはIBM PS/2だった
しかし、IBM PCに対する挑戦者がまったくいなかったわけではない。おそらく最強の挑戦者は、IBM PCの生みの親、IBM自らがリリースした「Personal System/2(PS/2)」だろう。MCA(マイクロチャネル・アーキテクチャ)というそれまでのISAと互換性のないバス・アーキテクチャを採用し、詳細なスペックを公開しないクローズド路線を採用したPS/2は、登場直後から大きな議論を呼んだ。実際には、IBMがクローズド路線に転換したのは何もPS/2が初めてというわけではなく、例えばEGA(解像度640×350ドット、16色表示のグラフィックス・モード)などのグラフィックス・ハードウェアの仕様がすべて開放されていたわけではなかった。ただ、既存のハードウェア資産の継承ができないという点で、やはりインパクトが違った。
結局、MCAを採用したPS/2が、IBM以外のメーカーが堅持した古いISAを更新できず消えていくことになったのは歴史が示したとおりだ(PS/2の名残は、キーボードやマウスのPS/2コネクタに残るのみ。そのPS/2コネクタもいまや、USBにとって代わられようとしている)。だが、それ以上に大きいのは、MCAの失敗で、PCアーキテクチャの決定権が、それまでのシステム・ベンダから、コンポーネント・ベンダ(特にプロセッサ・ベンダであるIntel)に移ったことだろう。MCAの挑戦を退けたISAにしても、IBM PC/ATの時代とまったく同じ、というわけではなかった。PC/ATではISAバスは、80286の外部バスとほぼ同義であったが、386以降のISA対応PCではISAバスはプロセッサ・バスと完全に分離されている。このアーキテクチャを最初に採用したのは、Compaq Computerである(「DualFlexアーキテクチャ」と呼んでいた)。
しかしこの後、PCアーキテクチャの決定権は、Intelに移ることになる。PCIバスの策定とその標準化、サポートしたチップセットの供給、AGPやUSBなど矢継ぎ早の新アーキテクチャの提案といった施策により、PCプラットフォームのイニシアチブは、完全にIntelが握った。これは、いまも変わらない。PCIが巧みだったのは、最初からISAを完全に排除するのではなく、当初はISAとの共存を訴えたことだ。プラグ・アンド・プレイというPCIの性格上、本質的にISAとの共存は困難であり、いずれはISAを排除することが最初からロードマップにはあったハズだ。それでも、MCAのようにいきなり二者択一を迫るのではなく、ISAを継承するフリをしつつ、その置き換えを図ったのは巧みな戦略だった。最終的にPC-9800シリーズのアーキテクチャを置き換えたのも、IntelのPCIだったのである。
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