「もう十分」を超えて

小川 誉久
2001/12/27


DOSでもう十分

 最新型のパソコンが登場したら、まずはDOSのDIRコマンドを実行して、そのスクロール表示速度でマシン性能を体感する。かつてはそんな牧歌的な時代もあった。

 DOS搭載パソコンが普及し始めた8086 CPUの時代、DIRのスクロール表示はお世辞にも速いとはいえなかった。大量のファイルがあるディレクトリでDIRを実行したときなどは、処理の遅さにイライラさせられたものだ。その代わり、スクロールしている最中でも、表示を目で追跡できるという利点もあった(1画面ごとに表示を止める「/P」オプションはまだ実装されていなかった)。

 性能が向上した最新型パソコンが発表されたら、とりあえずはDIRコマンドを実行してみる。「さすが最新機種、これは速い」などと一人で納得して、パソコンの成長ぶりを確認するというわけだ。実にいい加減な評価なのだが、テキスト・エディタなどのアプリケーション性能も、このDIRのスクロール速度にほぼ連動していて、あながち役に立たない指標でもなかった。

 しかし80286搭載パソコンが登場すると、DIRスクロールはほぼ完成の域に達した。スクロール表示はもはや目で追うのが困難なほどに高速になり、たとえディレクトリに大量のファイルがあっても、あっという間に処理が終わるようになった。「パソコンの性能はもう十分」という声が聞かれるようになったのもこのころだったように思う。

 この当時、パソコン・ヘビー・ユーザーが頻繁に使っていたDOSアプリケーションといえば、テキスト・エディタと通信ソフトウェア(パソコン通信用)だった(他の追随を許さないワープロとして「一太郎」があったが、特別な理由がないかぎり、ヘビー・ユーザーはワープロではなくテキスト・エディタを好んで使っていた)。確かにテキスト・エディタを使っているかぎり、80286パソコンはもはや十分に高速であり、それに限れば、さらなる性能向上は不要だと思えた。

 そんな倦怠期を打ち破ったのがWindowsだった。DOSユーザーに対して、グラフィカル・ユーザー・インターフェイスマルチウィンドウ・システムという新境地をもたらしたWindowsは、DOS時代とは比較にならない処理性能をパソコンに要求した。結果論でいえば、Windowsはパソコンにとって不可欠な存在になったものの、i386の仮想メモリ機構に対応したWindows 3.0が登場した1990年代初頭当時は、「こんなに重くてメモリ食いの環境なんていらない。DOS環境で十分」という声をよく聞いたものだ。

 しかしWindowsは、その後もユーザー・インターフェイスの改良やマルチメディア機能の追加、ネットワーク機能の追加などを進めると同時に、アプリケーション・ベンダの賛同を得て対応アプリケーションを充実させていった。そして現在のWindowsインターフェイスの礎となったWindows 95で、その地位を不動のものとしたのはご承知のとおりだ。DOSでは十分な性能を提供していた80286パソコンも、Windows用としては忍耐なくしては使えない水準であり、Windowsの普及ととともに、ユーザーはi386からi486、Pentiumと高性能パソコンを買い求めることとなった。WinTel*1の黄金時代である。

*1 Windows−Intelの意味。Windowsの普及とともにIntelの最新CPUが次々と売れ、パソコンのコストパフォーマンス向上によってWindowsが普及するという相乗効果により、両社は大きな収益をあげた。その強固な相乗作用から、Microsoft−Intelの両社はWinTel連合などと呼ばれた。

Windowsでもう十分

 Windowsパソコンの普及が一巡した現在、深刻な半導体不況やITバブル崩壊などもあって、パソコン業界の話題は何かと湿りがちだ。さる11月16日にWindows XPが発売され、PCの販売も多少は改善されたとの情報もあるが、全体的に見ればユーザーの反応は今ひとつといった感が否めない。特に、すでにWindows 2000を使っているヘビー・ユーザーにとって、Windows XPはグラフィカル・インターフェイスを着せ替えただけの、メリットの分かりにくいOSとして映っているようだ。本Windows Insiderフォーラムで2001年10月に行った読者調査においても、全体の実に30%が「Windows XPを導入したいと思わない」と回答している(Windows Insider 第5回読者調査)。通常このような意向調査では、たとえ新OSに直近のメリットが感じられなかったとしても、「機会があれば使ってみたい」くらいの反応が大きく出るものだが、今回は積極的にWindows XPを遠ざけている人が多いのが特徴的である。

 筆者の周りにも、「WindowsもOfficeももう十分。これ以上何を求めるのか?」と意見する人が少なくない。確かに、ワードプロセッシングも、スプレッドシートも、電子メールもWebブラウジングも、それなりに快適にできるようになった。「もう十分」という気持ちも分からなくはない。

 しかしそれは本当だろうか? コンピューティングは十分に効率的で便利に機能しているだろうか?

 例えば会議のアレンジは、電話しか手段がなかった以前に比べれば、メールではるかに簡単に行えるようになった。スケジュール調整では、参加者各人のPIMにあるスケジュール情報を使い、互いの空き時間をメールでやり取りする。しかしこの際、PIMの確認を手作業で行っていないか? 会議の開催時間が決定したとして、それを通知するメールを見ながら、手作業でPIMに情報を追加したりしていないか? 優れたグループウェアを導入すれば、こうした作業を自動化することは可能だが、それは社内限定の話で、社外の利用者にそれを強制するのは不可能だ。

 会議開催のメールに取引先の地図をアタッチすることもできる。編集途中のメールをそのままに、Webブラウザを起動し、取引先のURLを入力して地図のページを表示させる。次は地図の画像をマウスでドラッグし、編集途中のメール上でドロップすればよい。マウスを使ったこのドラッグ&ドロップや、クリップボードを使ったカット&ペーストは、世界で最も標準的に使われているアプリケーション間通信手順である。この手順を使ってアプリケーションを連携させるためには、双方のアプリケーションをユーザーが明示的に起動し、対象となるデータを表示する必要がある。相手に取引先の場所を教えたいだけなのに、ユーザーはメール・ソフトウェアやWebブラウザ、ドラッグ&ドロップなど、プリミティブなアプリケーションやそれらの連携方法に精通する必要がある。またドラッグ&ドロップ、カット&ペースで実行できるのは、基本的にはアプリケーション間での静的なデータ交換でしかない。

 またそもそも、メールを見るためにメール・ソフトウェアを起動し、Webページを見るためにWebブラウザを起動するという状態は、フロッピー・ビューアやハードディスク・ビューアが別々に提供されることと同じではないか? 歴史的な経緯からそれらが別々に発展してきたことは仕方ないとして、将来的には、ローカル・ファイルもメール・メッセージも、掲示板も、Webページも透過的に扱えるような情報ブラウザが存在するべきではないか?

 目立たない存在なのであまりスポットは当たらないのだが、Windows XPではヘルプ・システムが一新されており、インターネットに常時接続された環境では、表示領域の一部にオンラインから取得した最新情報を表示したり、ヘルプの検索とともにインターネット上のサポート技術情報(米国でいうKnowledge Base)を透過的に検索したりできるようになっている。つまりユーザーから見れば、それがローカルにある情報か、ネットの先にある情報かを意識することなく、必要なヘルプ情報を検索できるということだ。決して完成されたものだとは思わないが、ネット接続が常態化する未来の情報環境に向けたチャレンジの1つだろうと感じる。

「もう十分」を超えて

 そして2002年は、Webサービスを使ったアプリケーション連携が本格化する1年になるだろう。あまりに影響が大きな技術であるだけに、それを応用した具体的な情報サービスやビジネスのあり方については依然見通しが利かない状態だが、来年の今ごろには、Webサービスによってコンピュータ業界のバランス・オブ・パワーは大きく変貌しているかもしれない。

 Windows 3.0の登場から約10年。Windowsがコンピューティングにもたらすインパクトについては一応の決着をみた。しかしゲームはこれで終わりではない。そしらぬふりをしながら、時代は確実に次の10年に向けて動きつつある。この正月休みには、「もう十分」という気持ちは忘れて、次の10年を夢想してみようではないか。End of Article


小川 誉久(おがわ よしひさ)
株式会社デジタルアドバンテージ 代表取締役社長。東京農工大学 工学部 材料システム工学科卒。'86年 カシオ計算機株式会社 入社、オフコン向けのBASICインタープリタの開発、Cコンパイラのメンテナンスなどを行う。'89年 株式会社アスキー 出版局 第一書籍編集部入社、書籍編集者を経て、月刊スーパーアスキーの創刊に参画。'94年月刊スーパーアスキー デスク、'95年 同副編集長、'97年 同編集長に就任。'98年 月刊スーパーアスキーの休刊を機に株式会社アスキーを退職、デジタルアドバンテージを設立した。現Windows Insider編集長。

「Opinion」



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