デルの情報システム部門、その紆余曲折の歴史

2004/9/4

デルコンピュータ 情報システム本部 本部長 山田祐治氏 

 デルが全世界のIT部門を見直し始めたのは実は2000年以降だった。1984年の創業以来、徹底的な顧客指向でビジネスを展開してきたデルコンピュータだが、顧客へのフォーカスという姿勢が組織の中に顧客ごとのセグメント分けを生み出し、同社の組織はいわゆる縦割りの硬直した組織構造へと変化していった。

 また、積極的な市場開拓に乗り出した同社だが、次々に開設された世界各地の拠点では、各国独自の仕様で情報システムが構築されていってしまった。いまでこそデルの最大の強みはサプライチェーンの精度だといわれているが、当時はデータの標準化さえも満足に行われていなかったのである。

 2000年の時点でデルコンピュータには、世界中に10のIT部門があった。それらを統括する「Central ITチーム」は約3600人で構成されていた。「当時の従業員数は4万人弱であり、大雑把にいえば、10人に1人が情報システム担当者だったということになる」とデル 情報システム本部 本部長で、北アジア地域(日本、中国、韓国)の情報システム部門を統括する山田祐治氏はかつてを振り返ってため息をつく。注文システムの種類は30、サービスシステムは6種類、複数の製造システムが稼働し、データの種類も地域ごとにバラバラだった。米国では350以上の情報システム開発に関するプロジェクトが同時進行していた状況で、「プロジェクトの納期の満足度は非常に低いものだった。レポーティングも一貫して行われるということはなかった」(同)。つまり、情報システム開発のプロジェクトを統括する中央集権的なガバナンスなど、どこにも存在しなかったといっていい。

 ではなぜ2000年以降同社の情報システムに対する姿勢が変わったのか。確かに当時は情報システムの標準化が図られていなかったが、それでもデルモデルのビジネスは堅調に推移しており、「世界シェア1位が目前になり始めていた」(同)。そして、当時の会長兼CEOマイケル・デル(Michael S. Dell)氏は、IT部門および情報システムの抜本的な改革に乗り出した。世界シェア1位の企業とはすなわち、全世界どこでも同じ品質の製品とサービスを提供できる企業であり、そのために情報システムの統一化は必然の課題だった。また、同社が1996年にサーバ事業に参入し始めたこと、1997年からWebビジネスを加速させ始めたのも大きな要因だろう。

 デルのIT部門は6つの基本信条を掲げた。

  1. 常に最終結果を重視する
  2. グローバルなビジネス戦略がIT戦略を推進する
  3. 世界最高の技術チームを育成し、保護する
  4. (ところ構わずではなく)最適な地域・チームでのシステム構築
  5. 1回で、しかも正しく構築する
  6. スケジュール通りに、いつでも

 これらの基本信条は現CEOのケビン・ロリンズ(Kevin Rollins)氏も参加するデルの経営会議で厳密に審査され、つまり、経営会議で承認を得られなければ、どんな地域におけるIT部門の開発プロジェクトも動くことはない。そして、数値目標が設定された。例えば、「アプリケーションのITリソースの75%を新規開発に充てること」「ITの経費を売上高の1%以下に抑えること」「アプリケーションの開発サイクルは9カ月以下」「すべての戦略的なプロジェクトは、初めに開発された国の安定化終了後、6カ月以内にすべての国に展開する」「75%以上のITリーダーを内部からの育成・養成で実施する」など。これらの数値目標は、個人の業績目標に細かく組み込むことで、確実に実施する仕組みを作った。

 「社内にIT部門がある意味を考えることから始まる」と山田氏はいう。デルの躍進の背景にIT部門が果たす役割は非常に大きい。

(編集局 谷古宇浩司)

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