発注書もないのに、支払いはできません――人工知能泥棒:コンサルは見た! AIシステム発注に仕組まれたイカサマ(1)(3/3 ページ)
「間もなく上長の承認が下りるから」「正式契約の折りには、今までの作業代も支払いに上乗せするから」――顧客担当者の言葉を信じて、先行作業に取り組んだシステム開発会社。しかし、その約束はついぞ守られることはなかった……。辛口コンサルタント江里口美咲が活躍する「コンサルは見た!」シリーズ、Season2(全8回)は「AIシステム開発」を巡るトラブルです。
背に腹は代えられない
「北上の持つノウハウを人工知能に覚えこませ、人手を介さないでチラシ広告を作ろうっていうのが、この『広告自動作成システム開発』の目的だったわけよね?」――美咲が尋ねた。
中堅の広告代理店である北上エージェンシーは、スーパーマーケットなどが新聞に挟み込む「折り込みチラシ」の制作を事業の中心としている。
折り込みチラシは、レイアウトや見だしの言葉、色合いなどで紹介される商品の売れ行きが大きく影響されるため、制作にはさまざまなノウハウが必要である。例えば、消費者は広告を見る際、まず紙面の左上を見てから視線を右上に移し、その後は紙面の一番下を見る傾向が強い。そのため、目玉商品をこの目の動線上に配置すると、お得な商品が多い店であるという印象を与えられる。
見だしの言葉も、値引き額が大きなときには値引き率を数字で表現するが、それほどでもないときは、「大特価」「春の行楽フェア」といった、やや抽象的な表現にとどめたりする。それでも、ただ商品を並べただけの広告よりは、消費者の期待感を高められ来店客数が増えるのだ。それ以外にも、商品や価格に自信があるときには、あえて白黒の印刷にしてコストを削減するなど、1枚の広告を作るにもさまざまな工夫やアイデアが盛り込まれている。各広告会社は、こうしたノウハウを長年に渡って蓄積し、クリエーターたちに伝承してきたのだ。
北上エージェンシーは、創業社長の「北上幸三」が確立した幾つものノウハウが、同社を創業30年で年商数十億の規模までにした原動力だった。
北上エージェンシーがマッキンリーテクノロジーに引き合いを出したのは、自社の持つ広告作成ノウハウをAIに覚えこませ、幾つかのパラメータを入れるだけで自動的にチラシを作成するシステムだった。
日高が小さくうなずいた。
「ご存じでしょうが、最近は新聞の販売部数減少に伴ってチラシの需要も減っています。そこで北上は、需要が伸びているインターネット広告部門に社内のクリエーターたちを移し、チラシ広告はシステムにまかせてしまおう、という考えです」
「生駒さんっていう人が北上側の担当者ってこと?」
「ええ。システム企画部の部長です。元は広告を作るクリエーターだったようですが」
美咲が少し首を傾げた。
「自分たちが最も得意とする分野をコンピュータ任せにするって、随分と思い切ったことをするわね」
「生駒さんの話だと、もう背に腹は代えられないってことみたいです。北上のノウハウを生かしたチラシ広告をAIがちゃんと作ってくれるなら、品質はそのままでコスト削減ができるってことらしくて」
「そんなにうまくいくものかしら?」
「もちろん、簡単なことではありません。広告主であるスーパーの『基本情報』や、広告に載せる『商品』『季節』『天気』『時事ニュース』などをパラメータとして入力して広告を作るんですが、それには膨大な『情報』やクリエーターの『感覚』をデータ化して、AIに学習させなければなりません」
「そんなことがちゃんとできたところ、今までにないでしょ?」
「ええ。でも、北上社長は一代で会社を育て上げたチャレンジャーですから、生駒さんの提案を面白がったみたいで」
「システム企画自体も生駒って人がやったの?」
「ええ。なかなかのアイデアマンではあるんですよね。それまで3人のクリエーターが8時間程度かけて作っていた広告を、パラメータ投入に必要な15分ほどで作ってしまう。全国規模で日に数百枚のチラシを作る北上エージェンシーにとっては大きな省力化になるってことみたいです」
「ふーん」美咲は、そう言いながら日高が持ってきた企画資料を手に取った。そこには企画者として「生駒健司」の名前があった。
書籍
細川義洋著 ダイヤモンド社 2138円(税込み)
システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」が、大小70以上のトラブルプロジェクトを解決に導いた経験を総動員し、失敗の本質と原因を網羅した7つのストーリーから成功のポイントを導き出す。
※「コンサルは見た!」は、本書のWeb限定スピンアウトストーリーです
細川義洋
政府CIO補佐官。ITプロセスコンサルタント。元・東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員
NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまで関わったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わる
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