シリコンバレーについた瞬間、全てのものがつながった――そうか、自分がやりたかったのはコンピュータだったのだ:Go AbekawaのGo Global!〜Nir Horesh編(2/3 ページ)
グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はWix.comのNir Horesh(ニール・ホレシュ)氏にお話を伺う。よく遊び、よく学ぶ青年が「私がやりたいのはコンピュータだ」と気付いたきっかけとは何だったのか。
シリコンバレーはやっぱりすごい
阿部川 3年間の兵役を終えて、その後すぐに大学へ入学されたのでしょうか。
ホレシュ氏 いいえ。私もそうですが、ほぼ全てのイスラエル人は兵役の後、長い旅行に行きます。私はアメリカを8カ月かけて旅行しました。楽しむことも目的ではありますが、大学に入る前にいろいろな経験をしたいと思っていたのです。シリコンバレーを訪れたのもこのときです。それまでスクリーンの中でしか見たことがなかった、多くの企業のロゴが目の前にある。感動しました。
阿部川 幼いころから見てきた企業が目の前にあるのですから、感動も大きかったでしょう。
ホレシュ氏 はい、そしてその瞬間、全てのものがつながったのです。「そうか、自分がやりたかったのはコンピュータだったのだ」と。
私は自動車が好きですが、小さいときからこれまで自動車業界に大きな変化はありませんでした。極端にいえば「車を動かす技術」自体は100年間変わっていません。翻ってコンピュータは常にさまざまな変化が起こっているわけです。これに思い至ったときに何か大きなモチベーションのようなものが私に沸き上がってきました。
高校のとき、何のために勉強しないといけないのだろうと考えたとき、周りからは「自動車や飛行機のエンジニアになるためには勉強しないといけない」と言われましたが、そのときとは質の違うモチベーションでした。
阿部川 その瞬間が、自分のキャリアに開眼したときだったのですね。その後、バルイラン大学(Bar-Ilan University)に入学されます。専攻は何でしたか。
ホレシュ氏 電子工学を専攻しました。特にマイクロエレクトロニクス(超小型電子技術)と、エレクトロオプティックス(電気光学)を学びました。どちらもとても魅力的な科目です。光学がどんなに素晴らしいものか、もっと多くの人に知ってほしいと思いますし、マイクロエレクトロニクスを学んでいなければこうしてお話ししていることもなかったでしょう。
当時、将来をはっきりイメージできていたわけではありませんが、これらを学んだことによって将来の多くの扉が開いたのだと思います。
大規模プロジェクトでエンジニアとしての基礎を学ぶ
阿部川 大学を卒業後はアプライドマテリアルに就職されますね。
ホレシュ氏 アプライドマテリアルは、コンピュータ用の半導体チップなどを製造する企業で、非常に高度で厳格な製造の仕組みを持っていました。各ステップでの作業のモニタリング技術も卓越しており、問題が見つかるとすぐに対処できるような、優れたオペレーションのフローがありました。フェイルセールや先端の技術なども素晴らしいものでした。そこでは最先端の科学をどうやって実装するかを実践的に学ぶことができたと思います。
エルピーダメモリやソニーといった他の半導体関連企業と一緒に仕事をすることは、私にとってはビジネススクールで学んでいるような毎日でした。数億円規模のプロジェクトの中で「どのようにメンバーとコミュニケーションしたらいいか」「プレゼンテーションはどのようにすればいいか」「プロジェクトのマネジメントはどうやるのか」「優先順位はどうやってつけるか」などを毎日学ぶことができました。
多くの米国企業は仕事のやり方が決まっていて、そのためのインフラも整っています。仕事をするために必要なスキルやツールが整えられていました。そのような中で鍛えられれば、後はどのようなプロジェクトでも応用が利きます。ですから私は、最初から仕事をする上での土台を学べる、非常に恵まれた環境にあったと思います。
阿部川 学びの大きな職場だったのですね。ホレシュさんはエンジニアとして業務に携わっていたのですか。
ホレシュ氏 はい、最初の5年間はエンジニアとして働いていました。ただ、働いている内に目の前の作業をこなすだけでなく「どうすればプロジェクトや職場に良い影響を与えられるか」と全体のことを考えるようになりました。そのためにはマネジメントレベルの知識や経験が必要なのではないかと考え、早速テルアビブ大学でMBA(Master of Business Administration)を勉強しました。そのおかげもあって、アプライドマテリアルでの最後のポジションはプロダクトマネジャーでした。
阿部川 技術的な問題を解決するだけではなく、全体を俯瞰(ふかん)する視点を手に入れたのですね。
「これからはソフトウェアの時代だ」とハードウェア業界から転身
阿部川 その後、幾つかの企業でお仕事をされます。起業もされていますね。
ホレシュ氏 はい。私にはどうしてもやりたいことが2つあり、それを実現するためには起業が最適だと考えたからです。
やりたいことの1つ目は「企業」という枠組みから離れることです。企業で働いていると「自分は大きなシステムの中の一部分でしかない」と感じます。何かやりたいことがあっても決まるまで時間も労力もかかります。私は、自分の意思を企業に大きく反映させたいと考えていました。出世すればそれができるかもしれませんが、20年も待ちたくありません(笑)。
2つ目は、よりクリエイティブな環境に身を置くことです。イスラエルはスタートアップ企業を支援する仕組みが豊富ですが、その企業のほとんどはソフトウェアを扱っています。なぜかといえばハードウェアは、製造や開発のための工場や研究施設が必要な上、製品のライフサイクルも長いので多くの資金が必要だからです。ソフトウェアは、PC一台あればコーヒーショップででも起業できる。物事を早く、しかもフレキシブルに、開発もアジャイルに進めることができるソフトウェア開発は魅力的でした。
ですが、イスラエルでは多くの人がハードウェア企業での仕事を求めて活動しています。イスラエルにあるハードウェア企業はたかだか10社程度であるにもかかわらずです。私はそのような「業界のジョブサイクル」から抜け出したいと思っていました。これらの思いは結構長い間私の中にあって、今思えば、それに対する最初の取り組みがMBAを取ることでした。
阿部川 なるほど、MBAの取得もソフトウェア業界への転身につながっているのですね。全く違う業界に移るのは大変だったのではないでしょうか。
ホレシュ氏 その通りです。幾つかのソフトウェア企業で仕事をしましたが、うまくいかないこともたくさんありました。
例えば、Guitersという企業では音楽用アプリケーションを販売しました。音のシンセサイズをもっと簡単にできる方法があるのではないかと考えたのですが、当時はハードウェアの能力が追い付かず頓挫してしまいました。
同級生が起業したSparkupという企業では読書をより楽しくするソフトウェアを開発しました。子どもたちをコンピュータのディスプレイから解放して、もっと本を読めるようにしようというものでした。製品はよくできたのですが、ビジネスは順調とはいきませんでした。
2015年に起業したBeachesは、事業というよりはプロジェクトで、創業者が「何かを自らやってみたい」というので手助けをしてあげました。ちなみに創業者は当時、高校生でした。ここでは体験型学習用のアプリケーションを開発しました。
実はこのプロジェクトそのものは今も存続しています。多くの人がこのプロジェクトに参加しては何か成果をつかんで、外に出ていく、そのようなやり方で運営されています。Beachesはデザイナーやデベロッパーになるための実践を補うためのプロジェクトといえます。お金を稼いだり、投資したりすることはできませんが、後の人生に役立つような経験を提供します。
阿部川 現在も継続されているのですね。経験がないけれど起業の意思がある方を支援する素晴らしい取り組みだと思います。Wix.comに入社されたのはそのころでしょうか。
ホレシュ氏 いいえ。Beachesに携わりながらLeverateという会社でソフトウェア部門のプロダクトマネジャーをしていましたので、Wix.comはLeverateの後で入社した形になります。
Leverateはトレーディングのためのプラットフォームを提供しています。私はそこでソフトウェアの管理業務をしていました。小さな会社でしたが、私が望んでいたビジネスモデルと製品を持っており、製品の開発、デザイナーとの協働、品質管理など、ソフトウェアに関する全てを体験できたと思います。Leverateでの経験が現在のWix.comにつながったといっても過言ではありません。
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