何でスキル不足のエンジニアをアサインしたからって訴えられるんですか:「訴えてやる!」の前に読む IT訴訟 徹底解説(112)(3/3 ページ)
顧客企業のプロジェクトのために下請け企業が用意したのは、プログラミングのいろはも知らないエンジニア。結局、契約期間途中で退場することになったが、責任は誰が取るべきなのか――。
一方的な撤退で皆が不幸に
さて、ここまで書いてきて恐縮なのだが、今回私が取り上げたい論点は「元請け企業と下請け企業のどちらに責任があったのか」ではない。
それよりも、こうした問題を避けるために――少なくとも、こうしたリスクを減じるためにできることはなかったのかということだ。裁判の結果は主要な問題ではなく、裁判の結果がどうあれ、対応策は変わらない。とはいえ、IT訴訟解説記事で結果を話さないのも無責任なので、判決のポイントを述べておく。
東京地方裁判所 令和3年12月20日判決より(つづき)
(顧客企業からの契約解除の要請については元請け企業の働き掛けにより、これを回避する)合意がされたと認められ、元請け企業が(下請け企業が撤退した後の)業務委託料を得ることができなかったのは、下請け企業が(中略)業務を遂行しなかったことによるものであり、何ら元請け企業に過失があるとは認められない。
裁判所は、元請け企業からの契約解除通知はなく下請け企業が一方的に撤退したことに原因があるとした。
裁判の結果としては意外なものではない。元はといえば、原告企業からの発注に対して被告企業が技術的に見合わないメンバーを送り込んだことが顧客企業からのクレームにつながったのであり、元請けや裁判所の言う通り、元請け企業には何ら過失があったとは思えない。
焦ってメンバーをアサインする前にやるべきこと
この事件は下請け企業の無責任なメンバー選定に原因があるように思われる。彼らがスキルアンマッチなメンバーを送り込んだために、顧客企業も元請け企業も、そしてAも皆不幸になってしまった。
営利企業である以上、受注や売り上げが欲しいのは分かるし、そのためにメンバー選定の目が曇ってしまうこともあるだろう。しかしそのために失った金銭と信頼という代償は大きい。
個人的な意見だが、この下請け企業は受注に当たり、1つの提案ができたように思う。不幸にしてメンバーのスキルが業務を遂行するのに足りないと分かったときには、スキル育成計画を提示するというものだ。メンバーのスキルをしっかりとアセスメントし、すぐには無理でも一定期間必要な研修やOJT(On the Job Training)などを経ることで業務可能なのであれば、その計画を顧客企業に示して了承してもらうという手もある。
無論「そんな余裕はない」と断られることもあるだろうが、IT人材は不足しているし、そもそも新規メンバーというものは顧客の業務を覚えたり、作業環境に慣れたりするまでに一定の期間を要するものである。そうした場合には技術的な習熟もそれに合わせて実施できるかもしれない。
都合の良い話に思えるかもしれないが、これは私の経験の中で幾つも実績のある方法である。不幸にして「そんな余裕はない」と断られても、本件のように損害賠償と信頼の失墜という、経営に影を落としかねない不幸には見舞われずに済む。
こうしたことは、下請け企業だけではなく、元請け企業、顧客企業、そしてA本人からも提案はできる。読者がどのような立場におられるかは分からないが、どの立場であれ、初めての仕事を受ける場合にはそうした提案をされるべきではないだろうか。
細川義洋
ITプロセスコンサルタント。元・政府CIO補佐官、東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員
NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。
独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまでかかわったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。
2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わった
個人サイト:CNI IT Advisory LLC
書籍紹介
本連載が書籍になりました!
成功するシステム開発は裁判に学べ!〜契約・要件定義・検収・下請け・著作権・情報漏えいで失敗しないためのハンドブック
細川義洋著 技術評論社 2138円(税込み)
本連載、待望の書籍化。IT訴訟の専門家が難しい判例を分かりやすく読み解き、契約、要件定義、検収から、下請け、著作権、情報漏えいまで、トラブルのポイントやプロジェクト成功への実践ノウハウを丁寧に解説する。
細川義洋著 ダイヤモンド社 2138円(税込み)
システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」が、大小70以上のトラブルプロジェクトを解決に導いた経験を総動員し、失敗の本質と原因を網羅した7つのストーリーから成功のポイントを導き出す。
プロジェクトの失敗はだれのせい? 紛争解決特別法務室“トッポ―"中林麻衣の事件簿
細川義洋著 技術評論社 1814円(税込み)
紛争の処理を担う特別法務部、通称「トッポ―」の部員である中林麻衣が数多くの問題に当たる中で目の当たりにするプロジェクト失敗の本質、そして成功の極意とは?
「IT専門調停委員」が教える モメないプロジェクト管理77の鉄則
細川義洋著 日本実業出版社 2160円(税込み)
提案見積もり、要件定義、契約、プロジェクト体制、プロジェクト計画と管理、各種開発方式から保守に至るまで、PMが悩み、かつトラブルになりやすい77のトピックを厳選し、現実的なアドバイスを贈る。
細川義洋著 日本実業出版社 2160円(税込み)
約7割が失敗するといわれるコンピュータシステムの開発プロジェクト。その最悪の結末であるIT訴訟の事例を参考に、ベンダーvsユーザーのトラブル解決策を、IT案件専門の美人弁護士「塔子」が伝授する。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- スキルシート詐欺が起こるメカニズムとエンジニアが取れる対処法
本当は持っていないスキルや経験を“盛って”しまうスキルシート詐欺。未経験や微経験エンジニアを襲う犯罪行為は、なぜなくならないのでしょうか。 - IT業界の仕組みと偽装請負の闇を分かりやすく解説しよう
上流企業のエンジニアは、プログラミングを行わないって本当?――IT業界への就職/転職を考えている学生や若手エンジニアに贈る、エンジニアとして希望通りのスタイルで活躍するために知っておきたいIT業界の仕組みと慣習、そして自分に合ったIT企業の選び方。 - 全ベンダーが泣いた!――改正民法のIT業界への影響を徹底解説
人気過去連載を電子書籍化して無料ダウンロード提供する@IT eBookシリーズ。「IT訴訟解説」のパート4は、120年ぶりの改正民法がIT業界にどのような影響を与えるのかを、徹底的に、徹底的に、徹底的に解説する - 真夏のホラー、召し上がれ――全エンジニアが震え上がる阿鼻叫喚の生き地獄 IT訴訟解説連載、初のebook化
人気過去連載を電子書籍化して無料ダウンロード提供する@IT eBookシリーズ。第55弾は@ITイチの人気連載「IT訴訟 徹底解説」です - これは、もう「無理ゲー」じゃない?――IT訴訟解説ebook、好評にお応えして早くもパート2 どーん!
人気過去連載を電子書籍化して無料ダウンロード提供する@IT eBookシリーズ。第59弾はみんな大好き「IT訴訟解説」のパート2です - IT訴訟例で学ぶベンダー残酷物語の実態と回避策
人気過去連載を電子書籍化して無料ダウンロード提供する@IT eBookシリーズ。「IT訴訟解説」のパート3は、ベンダーいじめ系特盛です